小説を書く人におすすめのストレス解消法は運動なんだけど、小説を書く人は運動を恐れてるかもしれないジレンマが面白い

自分で考える創作論

小説を書くってかなりストレスフルな作業です。

小説に限らず、じっと座って文字を書き連ねることは多大な肉体的ストレスがあります。

僕も肩こりが酷い。目もしょぼしょぼする。

加えて小説を書くというのは精神的に苦痛を伴うこともあります。

筆が乗っているときはサーフィンでもしてんのかなってくらい爽快な気分になるかもしれませんが、執筆中の8割くらいはウンウン悩んで一歩も前へ進まねえ、進んだところで正しい道なのか分からねえっていうストレスがのしかかります。

そんなときは黙って運動です。軽く散歩するでも良い。ちょっとくるっと走って来ても良い。その場でスクワットでも良い。

適度な運動が身体に良いばかりでなく心にも良いことは常識中の常識で、数少ない積極的に信じて採用して良い類の常識に違いありません。

肩こりも心もち解消できるような気がするし予防にもなりそうな上、運動後は血と酸素が頭の先まで良く巡り筆が進むという副効用まである。

小説を書くというストレスフルな作業をしている人はある程度スポーツに向いた格好で、一日一回走るなり早歩きするなりした方が良いと思う。

しかし、小説を書く人は同時にこの運動による素晴らしい効果を心のどこかで恐れていることがあるのではないかと思いました。

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ストレスは小説を書く力の源泉だったりする

考えてみれば僕にはそんなところがあるなと思うのです。

小説を書くエネルギーは少なからずマイナスな感情とか鬱屈した精神に依るところがあるのではないでしょうか。

簡単に言えば、ストレスは小説の原動力だったりするわけです。

肉体的なストレスがい小説の肥やしになることはあまりないのかなと思いますが、精神的なストレスや鬱憤が文章に変わっていく感覚というのは確かにある。

身も心も満足し充足している人は小説なんか書けないと思っているところがある。

欠落とか、渇望とか、そういう気持ちは小説を書くのに必要な力なのです。それがたとえ負の力だとしても、それを正の方向へ転化していく筋道にこそ喜びを見出すのではないでしょうか。

人生で溜まったストレスは小説で発散する。自らのカタルシスなくして優れた小説は書けないと思っている。

運動による素晴らしい効果は認めるけれど、小説を書くという行為の前では、原動力を失ってしまうことになりやしないかと恐れている。

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小説を書くのにストレスが必要って本当かな

でもそれって本当かな?と思うわけです。

小説が少なからず負の力で以て生み出される部分があることは否定できないんだけど、小説を書くことを続けたいなら長く書くことを念頭に置くべきじゃないか。

僕は最近積極的にこんな風に考えるようになりました。

小説を書いて生きていきたいと願うのであれば、安定したメンタルと体調で以て小説と向き合う力が必要なんじゃないか。

小説には確かに不健全なオーラがまとうことがあるし、そういう小説が魅力的なことも分かるけれど、僕がそうじゃなきゃいけないということはないんじゃないか。

また、小説を書いて生きるということは少なからずサービスをするということだから、そういう意味でも健全な精神で書いて、人の感情を動かすことはできないかを考える余裕がなきゃならないんじゃないか。

そもそも、運動をしてスッキリして書くことがなくなってしまうのであればいずれにせよ書き続けるなんてムリだよねって思うわけです。

運動の習慣によって小説界隈が空回り気味

というわけで、肩こりと頭痛が激しいことと、ダイエットしなければならないということもあり最近はわりと走りに出かけています。

そう言いつつ今日は風邪気味とか言ってサボってるんだけど、運動によるストレス軽減効果は目を見張るものがある。

困ったことに創作意欲が落ち気味で、くはっ!僕の小説を書きたい気持ちなんてこんなもんだったのか!って思って人知れず絶望感と戦ってるわけですが、これはもしかしたらより鋭いテーマ、強いテーマを探すチャンスなんじゃないかって思うプラス思考ぶりです。

なんか本来持ち合わせている孤独癖のある僕のネガティブエンジンと、同じく本来持ち合わせている運動好きな僕によるポジティブエンジンが同時に過回転しているようで結局進んでるんだか立ち止まってるんだから分からない不思議な感覚がする今日この頃です。

空回りって言うんだろうなこういうの。

 

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