小説系youtubeチャンネル登録者100人の時点で将来の展望を赤裸々に語る

自分で考える創作論

「小説・創作・古民家(てか旧佐藤医院)」を軸にしたyoutubeチャンネルを作っています。

作りたてほやほやの動画は以下↓

【読書執筆効率二倍】分身できる日のルーティン【理想の一日編】

以下はチャンネル登録を促すページへのリンクです。ぜひ覗いてみてください。

折原先生は小説を書かない
すべてフィクションです

昨日ようやくチャンネル登録者が100人に達して、とりあえず最初の節目を迎えました。

動画14本で100人なのでなかなか良いペースなのではないかと自負しており、有体に言ってちょびっと調子づいているので、この勢いを借りて将来の展望を語っておきたいと思います。

youtubeで発信する意図、この時代の小説家としてどう生きるか、旧佐藤医院の在り方、そしてまちづくりとの関わり。

このあたりを関連付けながらいっぺんに語るので長い記事になりそうですが、興味ある方は読んでいってくれると嬉しいです。

ここで書く内容はまだ机上の空論になってしまいますが、とりあえず好き放題に青写真を掲げて、間違っていたら軌道修正しながら前進していこうと思います。

このブログはそういう試行錯誤の経過を記録することに存在意義がありますから、赤裸々に?というかなんと言うか、考えていることを正直に書いていこうと思います。

自分で言うのもなんだけど、ちょっと面白い記事になると思う。マーケティングと創作の両方が入り乱れた論を展開しますからね。

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登録者数を増やす/ファンを増やす

youtubeという媒体に着目すると、どうしてもチャンネル登録者数とか広告収益に焦点があってしまいます。

しかしそれは僕には難しいです。美女やイケメンであれば顔や身体で登録者が増える、有名人であれば名前で増える、トーク力や技術があれば情報で人々は集まる。もちろんすべて兼ね備えている人もいる。

どの分野で戦うにしても僕が現状のyoutubeの厚いコンテンツ内で抜きんでることは難しく、上には上がおり、僕に限らず、今からyoutubeに参戦する後発組が力で場を制することは、よほどの幸運がない限り不可能に近いです。

誰もが言ってることを言うようで既にオリジナリティがないですが、僕はオリジナルにならなければならない。競争せず、どんな小さな領域でも良いから唯一無二にならなければならない。

もちろん将来的にも、いや将来的にこそ、刹那的なブームに乗って俄に再生数を稼ぐ汎用型youtuberではなく、youtubeを利用して自分の世界観を伝えるクリエイターを目指す必要がある。

youtubeに動画を作らされるのではなく、youtubeを利用してコンテンツを作るクリエイターにならなきゃならん。

それは登録者数を増やすという発想よりはファンを作るという考え方であり、すこしyoutubeという媒体から視線がズレます。他でもないこの人を見るのだ、この人の世界観を観察するのだ、この空気を自分の生活のワンシーンに取り入れるのだ、という気にさせる、世界に存在する何かとして成り立つことを目標とします。

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1%の顧客と出会う

小説を実際に書く、書いている姿、創作環境、書いている小説の内容を動画で発信する。

この方法については長らくこのブログでも試行錯誤していたところだったのですが、ようやく動画を撮ろうという発想に至りました。

なぜ今まで思いつかなかったのかが不思議ですが、僕の中で先が見えず、コンテンツの方向が見えずにしばらくもがいておりました。

小説家ごと作ろう。その小説家はすでに物語の中にいる架空の人物で、自らの経験を小説にしている。

【モーニングルーティン】北海道の古民家でひきこもり執筆する小説家の悠長な朝のルーティン|morning routine

つまり僕の動画はリアルを伝えるものではなく、フィクションを伝えるものにする。最初から最後までフィクション。

そして最後というのは、この場合「小説」。

折原先生は小説を書かない
すべてフィクションです

このチャンネルで言えば、折原先生が実際に自分の身に起こっていることを書いた小説を書き上げること。

その小説は現実に存在するようになる。実際に書いてるから。電子書籍として売り出すことになるでしょう。

それを買うのは誰か。youtubeの登録者、このブログの読者、動画置き場にしているnoteのフォロワー、その中の1%。

たった1%と思われるかもしれませんが、実際に購入というアクションを起こすのはその程度。

つまり僕は登録者を増やす、ファンを増やす、そして1%の顧客と出会うために色々なものを更新することになります。

1%の顧客についてもっと詳しく

もちろん、書いた小説を買ってくれる「1%の顧客」は多いに越したことはありません。

そもそも1%以上を目指すべきでありますし、1%を大きくする必要があります。

つまりチャンネル登録者数1000人の1%では10人ですから、1万人、10万人を目指すに越したことはないというのと、1000人の登録者数があれば50人(つまり5%)に小説を手に取っていただける工夫をするべきです。

しかしとりあえず1%です。1%を目指します。とてつもなく小さい数字に思えるかもしれませんが、人に積極的な動作を促すのはとてもとても難しい。

折原先生は小説を書かない
すべてフィクションです

もう三度も張っている上のyoutubeチャンネルへのリンク。この記事を読んでいる人のうち、一体何人が踏んだでしょうか。

おそらく1%未満だと思います。100人いたら1人です。あなたはそのうちの一人ですか?だとしたら僕はそんなあなたの稀有な行動に感動します。100人に1人の存在です。誰が、までは分かりませんが、リンクを何人が踏んだのかはある程度分かりますから、本当にyoutubeチャンネルへ進んだ人の数を見て感動します。

僕は上のような文を書くことで、もしかしたらリンクを踏む人の数は1%くらい上がるかもしれません。

少なくとも、最初にチャンネルへのリンクを見たときよりは興味を持っているはずです。次に出てきたら見てみようかな、最後に見るかもしれないな、と思う方が数人はいらっしゃると思います。それが人情だと思います。

1%の根拠と、チャンネル登録者数100人の重み

これまでのブログ運営の経験と照らし合わせてなので大したデータではありませんが、人がリンクを踏む確率、広告を踏む確率は自然に身を任せていると1%というのは妥当な数字だと思います。

このブログは広告収益を得ていますが、ページCTR、つまりページを見られた回数のうち、何回くらい広告がクリックされたかの率ですが、先月のデータは1,27%。100ページ見られたらそのうちに1回ちょっと、読者さんのなんらかの都合で、もしくは間違いで、広告がクリックされているということです。

決して良い成績ではありません。おそらく平均を少し下回る感じでしょうか。このあたりの工夫をもっとしなければならないのですよね。

さてここでお話しているのは、以下のリンクを踏むかどうかの確率が1%ということです。

折原先生は小説を書かない
すべてフィクションです

仮に1%の方は僕のチャンネルをご覧になったとして、そのうち何人が「チャンネル登録」という行動に移るでしょうか。

やはり1%と見て良いと思います。

1%のなかの1%。

10000万人がこのページをみたら100人がチャンネルページへ訪れる。そのうちの一人がチャンネル登録をする可能性がある。

そう考えると100人で喜ぶのもあながちおかしくないと思いませんか?実際100人という節目、僕はとてもうれしいです。1000人に達するともっとうれしい。増えれば増えるほどうれしい。

小説を売ることはどれくらい難しいか

広告を踏むとかチャンネル登録をするというのは、とくに労力は使わず、損をする行為でもないですよね。

だけどそんな行動でさえ、とくに促すようなことをせず、自然に任せておけば1%くらいの人しか実際には行いません。

お金を出すとか、実際に体を動かすとか、そういう行動を促すのは当然もっと難しい。

「小説を買ってもらう」。これはどれくらい難しいでしょうか。考えるだけで吐き気がします。

小説を書く人間で、ほぼ毎日小説を読んでいる僕でさえ、「小説を買う」という行動は稀です。

図書館で借りたり、買うとしたって中古の本を買ったり。新刊はもう何年も買ってない気がします。出版不況と言われて久しいですが、出版業界でさえ、本を売るのは簡単じゃない。

個人ではなおさらでしょう。仮に無料で読めるとしたって、個人の小説が読まれることは極端に少ないです。

恋する瞳は(10071字)|折原圭|note
1/10 「うちの学校に写真部なんてあった?」と相沢が、ニキビ面の相沢が、後ろの方で仲間たちと囁きあっている声を聞いたとき、近藤秀兵は自分の背中が卑屈に縮まっていくのが分かった。背筋を伸ばそうと思っても、頭も背筋も重たくて、視線をほんの少し持ち上げることだって難しかった。 相沢の声は担任の横矢にも届いていたようで、「...

一体僕は何%の確率に期待しており、何%、人の行動を促すことができるのでしょう。

youtubeとブログを使えば購買意欲を高揚する宣伝を自力で行うことができるか

理屈としては可能だという前提で、このブログとyoutubeを使って、お金を出して小説を読んでくれる誰かと出会うために日々色々と考え、作っているわけです。

ブログでは今書いているこの記事のように、考えていることをかなり開けっ広げに書きます。

youtubeでは純粋に小説作品の世界観のプロモーションのような感覚を持っています。

少しずつ少しずつ、作品でどのような内容が展開されるのかを、言い方は悪いですが刷り込む形で、何となく作品と触れる状態を作る算段です。動画を見れば見るほど、架空の世界に真実味が生じていく(いけばいいなあ)のです。

仮に僕が「こんな小説を書きました、キンドルストアから購入できるので買ってくれると嬉しいです」

動画でそう言って、一体誰が僕のような個人の小説を買うでしょうか。そもそもそんな動画を誰が見るでしょうか。

その小説は面白いに違いない、その小説は私が好きそうだ、もしくはこいつが書く小説なら一読しておいて損はないだろう、という確信なくして、本を買ってもらうという、考えただけで途方に暮れるような結果にたどり着くはずがありません。

もっと言えば、このチャンネルが好きで、今作っている架空の小説家である折原圭のことを好きになって、彼が現在置かれている状況を詳しく知りたい、彼をとりまく世界で何が起こっているのかを知りたいという好奇心の刺激なくして、小説が買われるわけがないと僕は考えます。

できるかどうかはやって見なければわかりませんが、目指すのはそういう将来です。

さらに言えば、普通に書店で買うよりも面白い小説体験が提供できなければならないでしょう。普通に買って読むだけでなく、動画と照らし合わせてみると考察が進むとか、動画の視聴者のコメントが作品内に反映されるとか。

WEB、動画、小説、架空、フィクション。

そう言ったものが持てる可能性を有機的につなぎ合わせるとともに、それぞれ(ブログ、動画、小説)単体でも十分に楽しめるコンテンツを考える。これが理想の形です。

まちづくりにつながるか

以前、以下のような記事を書いたことがあります。

やたらと長い記事ですのでよほど時間がなければ読む必要はありませんが、とにかくここで伝えたいのは、ずっと創作とまちづくりについて考えているということです。

【創作×田舎=まちづくり】大言壮語も吐いてやろう
ながいものを書きました。15000字ほどあります。とにかくとにかく、自分の頭の中にあるものを書き記しておかなければ発信がままならないと思いました。自分の頭の中で考えていることはあるけれど、それを差し置いて、人が関心を持っていること、...

僕はまちをフィクションにしたい。少なくとも他所からみたときに一部分だけでもそういう領域を抱えている、というのは魅力的なことだと思うのです。

その舞台として「旧佐藤医院」を活用しています。

動画の舞台は「旧佐藤医院」です。小説家である折原圭が、この建物の中で引きこもって創作を行っているという大きなストーリーがあります。

もっと深堀すれば、折原はある理由から建物の外に出ることができません。さらにネタバレを少しするならば、本来折原は小説家ではなく、ある経緯により小説を書かなければならなくなってしまった、いわば囚われの身です。

そのあたりを含めて小説では物語が展開されるわけですが、動画を見る人、小説を読む人にとって「旧佐藤医院」はあくまでフィクションの舞台であり、このブログで説明しているようなコミュニティスペースではありません(だからこのブログ記事を読んでる方は動画内で旧佐藤医院の名前を出すのはできれば控えてほしいなって思ってます実は)。

現実的には、僕が創作の一環として旧佐藤医院という建物を利用しているだけで、将来的には他の誰かもあの建物の使い方を考えて、自分で自分のコンテンツを作るなり、何かに没頭する場として活用するなりしてほしいと考えています。

僕がやっているように、旧佐藤医院という建物、僕が住む朝日町という町が、創作ツールとして何人かの人に利用されることを期待しているのです。

民泊との兼ね合い

将来を見据えて民泊を行っています。

一週間、二週間という時間を使って、この町に引きこもり、創作活動などに没頭できる環境を作る。

そのような意図で民泊を始めました。

対象者として想定しているのはこのブログを読んでくれるような方。創作やまちづくり(コミュニティデザイン)に興味関心のある若い方です。

若いというのは年齢的な数字というよりはマインドの方のつもりですが、とにかく若い感性を持つ方、という感じです。そんな人が町にいることで僕も、作り出されるコンテンツも、そしてそれらコンテンツに触れる人も楽しくなるような、そんなものが発信される拠点になれば最高です。

そうするとなんか朝日町面白いぞ、なんかわからんけど何かあるぞ、みたいな空気が出来上がるでしょう。

決して分かりやすい価値でもなければ、ちょっと見て分かるようなものでもない、小説のような奥深さを、町を使って作り上げていきたいのです。

僕のブログはこのような大言壮語に理解を示してくれる方を探すためのフィルターになっています。

この記事にしたって普通はここまで読みませんから、ここまで読んだとしたらそれだけで僕と親和性の高い数%の内の一人に違いありません。

とにかく人が集まれば良い、とにかくみんなでわいわいできる、賑やかな町を作りたいわけじゃない。

繋がりとか、人の輪とか、そういうものに興味はありません。人の繋がりとは儚いものですし、人の輪は広がれば広がるほど煩わしいことが増える。冷たいように見えるかもしれませんが僕はそう思っています。

大きなコミュニティに関心がない。僕は一対一のコミュニケーションを好み、浅く広い関係よりも深く狭い関係を望みます。かつインスタントで着脱可能で、軽々とした人間関係が好きです。

民泊はそういう関係を作ることができて、かつ一定のハードルを拵えることができるものだと考えています。

先客万来じゃない。よくぞ見つけてくれました、よくぞここまで来てくれました、と心から言える関係。そしてそれぞれの創作に没頭する、という繋がりで信頼しあえる人が定期的にやってくる町を作りたい。

ブログ、動画、旧佐藤医院、民泊

ブログ、動画、旧佐藤医院、民泊。

これらも有機的に繋がりあう。かつ、それぞれが単独で触れることができるサービスになる。

全てをつなげて考える人がいれば、その人にとってもっとも強いサービスになる。そして僕はそういう方の存在を期待して考えて作る。リンクを踏む1%とか、チャンネル登録をする1%とか、小説を購入する1%とか、そういう1%の網の目を潜り抜けて出会える0,0…1%の人と出会うための努力をする。

机上の空論、大言壮語、絵に描いた餅かもしれないです。

だけど描かないことには、自分の力で前へ進めないのもまた人間だと思います。

とりあえず今の段階ではこのようなことを考えているので、何となくでも興味がある方がいらっしゃれば、生暖かく見守ってくれると幸いです。

見守るだけでなく少し応援もしたいという方は、以下のリンクから簡単にチャンネル登録をすることができますのでぜひぜひ。

折原先生は小説を書かない
すべてフィクションです

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