長針のタスク、短針のタスク、秒針のタスクを設定するわけだけども、大切なのは連動感

発想と行動を記録する

おすすめと言ったらおこがましいのだけど、試してみてほしい思考法がありまして。

タスクを秒針、長針、短針で振り分ける。そしてそれらの連動を意識する。

つまり頭の中にタスク時計を作るわけです。

時計をよく見たら分かるけど、どの針も絶えず動いています(見なくても分かるか)。秒針は明らかに動いてる。長針は気長に見つめてれば確かに動いてる、短針は動いてないように見えるけど一時間でちゃんと数字と数字の間を動いてる。

秒針が動くから長針が動き、長針が動くから短針が動く。これらは連動しているわけです。

これを自分のタスクに当てはめる、という思考法というか計画法です。

Contents

スポンサーリンク

秒針のタスク

秒針は超短期的な計画で、刹那的な行動です。僕はその場ですぐできて、すぐさま進行するものをこの秒針のタスクにしています。

僕で言えば「本を読む」とか「ブログを書く」とかですね。

小説って読み始めたら例えどんなに時間がなくても数文字は読めるじゃないですか。ブログもしかり。一時間とか一日とかなくても、数文字は打てる。タイトルくらい考えられる。画面に打ち込まなくたって紙にメモできる。

秒針のタスクです。

スポンサーリンク

長針のタスク

長針のタスクになると、少しだけブロックが大きくなります。

「本を読み終える」「ブログを一本書き終える」。

やり終えることを考えると、少々時間が必要になりますね。どれも秒では進行しません。まあ一日か二日くらい、場合によっては一週間とかの幅を取ることもあります。

分厚い小説を読むときとか。考えきれてない話題を記事にするとか。

短針のタスク

短針はどうでしょう。

分かりやすく本とブログで例えると、例えば「〇〇全集を読み終わる」とか「記事1000本投稿する」とかが短針のタスク。

なかなか終わらず、その目標が遠い先のことのように思える。一時間短針を眺めるのは辛いですよね。全然動いてないように見えますもんね。

実際の生活では短針を見つめることが多いと思いますが、脳内のタスク時計ではあんまり見なくて良いです。気づいたら進んでる、って状態を作りましょ。

秒針の心で達成感を得る

この思考法でお伝えしたいのは、「常に達成感を得ることができるよ」ってことです。

例えば〇〇全集なんて読もうとしたら気が遠くなって嫌になります。それは「〇〇全集を読む」という意識、つまり短針を見つめる行為だからです。嫌になるんす。

だけど一文字一文字、一ページ一ページを意識したら、わりとぐんぐん進みます。秒が貴重になります。僕は歯磨きしながら本を読むと終わるまでに2ページくらい読める。僕は文字を読むのが遅く歯磨きは長いのでそれくらい。

トイレでは必ず座って、たいてい何か読む。スマホで読んだり、本を持ち込んだりして。読んだ文字列の面積が秒ごとに広がっていく。秒の意識をする。タスクが進んでるって気分になる。

読んだなって気になります。気付いたら一冊(長針のタスク)を終えてるもんす。

秒の行動が達成にたどり着く連動感を想像する

大切なのは連動感です。

秒針を進めることが長針を進め、長針を進めるといつの間にか短針が動いてる。いまやることはものすごく些細なことですが、秒針を進めなきゃそれより大きな針だって進まないです。

計画を立てるとする短針を動かしたくなってしまいます。ダイエットしようとしたらすぐ5キロやせようとか思っちゃう。語学を学ぼうと思ったらするペラペラになろうとする。そらそうですよね。

短針のことしか考えないから挫折するし、秒針のレベルで間違った行動を取ってしまう。一単語でも覚えないより覚えた方が良いのに何もしない日を作ってしまったり、少しだけと甘いものを食べてしまったり。

精神上の時計は正確に時を刻まない

こんなん書いてて僕だって苦しんでるんですけれどね。小説だって思いついたらもう完成したような気になって、実際は完成しなくて、自己嫌悪の毎日です。短針を早く進めたいんだ。

でもグランドデザイン的な計画や理想があるなら、秒針のタスクを進めるって意識します。

数文字は書ける、メモは取れる、一章程度なら一日で書けるかも。あ、そのためにはまだメモが足りない、という風にまた秒針のタスクに戻る。えらい時間がかかる。秒針ばかり大量に消費する。実際の時計のように、きっかり60秒で一分進むとは限らないし、60分で一時間進むとか限らない。

5800秒でようやく1分進む精神世界を生きてるのかもしれない。

そういう感覚を自分の抱えてるタスクごとにイメージするのが、僕にとって精神衛生上とてもよかったので、記事にしてみました。

短針ありきの秒針だし、秒針は短針につながってる

最後に、秒針や長針のタスクを意識することをやたら勧めた気がするけど、短針をしっかりイメージするのも大事です。

なぜなら、秒針のタスク、長針のタスクにつながるからです。それがないと、途端に「刹那的な」時間の使い方になってしまう。消費的な時間の使い方になってしまう。

プラスの効果もあります。僕の場合「書きたい小説」が不完全ながら頭の中にあります。見つめたら途方に暮れてしまうような短針のイメージがあるわけです。

だから見ない方が良いんだけど、この短針がしっかり頭の中にあると、例えば「さっき聞いた話」とか「偶然読んだ文章」とか「この切り口」とかが秒針のタスクに寄与していることに気付くことがあります。

いわゆる、意識しないまでも頭のどこかで考え続けることで閃きが生じる「セレンディピティ」的な体験が増える。そんな気がするんです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました