小説が世界に必要ではなく、人を救う力もないとして、それでも小説を書く理由は?

小説とは何か?を考えるための25の質問の10問目

小説が世界に必要ではなく、人を救う力もないとして、それでも小説を書く理由は?

の回答です。

この質問はよく分からないですね。

自分で考えたんだけど笑

小説がまったく有用ではなく、必要でもなく、誰も救えない、正真正銘の無駄だとして、それでも小説を書く理由はあるか。

きっと極端な話を考えてみたかったんだと思います。

哲学的な問い(のようなもの)をしてみたかった。

ニヒリズムみたいな。

人生がまったくの無意味だとして、どうして僕らは生きる必要があるのか、どうして僕らはより良く生きる必要があるのかを考える、的な。

最近、小説を書くということに少し踏ん張りが必要だと感じるようになってきました。

それまでは書きたかった。つい書きたかった。いつの間にか小説のことを考えていた。

しかし創造には波のようなものがあるのか、最近は、よし、書くぞと自分に喝を入れなければ書くことができない、ということが多くなった。

自然の波にまかせていたら月にかける量は文字数にして3万字程度だということが分かった。

その程度。

本当は、自分にとって小説を書くとは呼吸に等しい行為であって、意味のあるなしに関わらず、気付けば自然にやってしまっているもの、というようなところに着地するのだと思っていた。

だけど実際そうじゃなかったらしい。小説を書いちゃいけない、と言われれば苦しいけれど、生きているうちに優先順位が下がってしまうことはある。

呼吸と言うにはすこし粗末にしすぎるところがあるし、書かなかったからと言ってたちまち魂が萎んでしまうということもない。

計画を立てすぎたのかもしれない。書きたい小説の計画を立てすぎて、頭の中が立て込んでしまって、パンクに近い状態なのかもしれない。これはよくない。

あと最近はコワーキングスペースの図書館づくり、つまり空間づくりにはまっていて、創造力をそっちにもっていかれてしまっているのかもしれない。


中途半端な計画を立てず、しっかりと戦略的に計画を立て、ビジネスライクに小説を書くことをしても良いのかもしれない。

具体的には、一つひとつにしっかり集中して、確実に書きあげる。

このままずっと書けないのと、一つひとつ着実に書き進めるのとでは、どちらが良いかなんて自明のこと。

しかしそもそも僕は乱読家ならぬ乱筆家で(字が汚いというだけの意味じゃない)、あれを書いてるうちにこれを書き、これを書いてるうちにこれを書く、というようなことを繰り返している(これがダメなのか?)。

どこかで集中するタイミングがあって一つに集中する期間はあるけれど、たいてい気まぐれにむずむずと書きたいものを掻き進めている。

ブログもnoteもそのサイクルの一つになっている。

なんの話をしていたのでしょうか。

なんの意味もないのに小説を書く理由か。

楽しいから?

いや、なんか違う。もっと切実な理由があるような気がする。

何というか、「ずっと言いたかったことがある」という感じ。

だけどそれをそのまま言ってしまうと途端に形が変わってしまうような気がするから、迂遠なプロセスを辿って、その、言わんとしてる部分に辿りつきたいというような。

そのためには小説を書く必要があるような気がする、という感覚がある。

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