2022年8月18日の日記
・アンソニー・ホロヴィッツ著『メインテーマは殺人』を読み終わった
杉江松恋さんによる解説は「惚れ惚れとするフェアプレイ」という一文から始まっている。
なんて良い言葉だろう。惚れ惚れとするフェアプレイ。この一文に『メインテーマは殺人』の魅力が詰まってる。
・実は本文の途中からきまぐれに解説を読んだ。これはよくやること。後で読むでも先に読むでもなく途中で読む。読書モチベーションが下がった時点で解説に目を通す。
これは何となく復習と予習が同時にできる気がして僕にとってはかなり合理的な行動。ここらでいったん整理したいな、と思ったあたりのことが解説の序盤で書いてあったりするし、なんかだれて来たな、と思ったところへ見どころ的なところが提示される感覚もある。
だから解説は途中で読むことも多い。
・フェアプレイじゃないミステリーはフェアプレイじゃないのかというとそうでもない、ってなんか小泉進次郎構文の派生形みたいなことを書いてしまったけど、ミステリーを読んでフェアプレイじゃないなって思ったことはない。
そもそも僕があまりミステリーを読まないからかもしれない。フェアプレイと呼べないミステリー小説はごまんとあるのだろう。とんでもないトリッキーな展開などはあると思うけどそれはそれ。楽しければ良いのでしょう。
本気でなぞ解きに挑みながらミステリー小説を読む人にとっては、ミステリーはフェアプレイの方が望ましいのでしょう。
フェアプレイとは多分、本文中に必ず手掛かりがあり、論理的に犯人を導き出せるということ、だろうか。後出しの設定とかがあると確かに、こんなの分かるわけねえよってなるもんな。
・「ノックスの十戒」とか「ヴァン・ダインの二十則」と言ったミステリーを書く上で守らなければならないルールというものがあることは何となく聞き及んでいる。
ミステリーを一種のスポーツやゲームととらえたら、やはりある程度のルールは必要になってくるだろうなと思う。
制限があるから面白いというか。例えば野球。勝てば良いからと言ってバットでキャッチャーを殴り始めちゃったらお話にならない、みたいなこと。
ルールを守ったうえで意表を突くってのが大事なんだろう。
考えたらスポーツだってゲームだって、毎度毎度おんなじようなことをやっているのにも関わらず人はずーっと見続けている。
色々な展開があるのはあるけれど、ルール内で、どちらかが勝ち、どちらかが負けるという単純な、言ってしまえば展開が見え透いているようなことでも、人は熱狂できる。
だからミステリーもルールを守った上で、毎度探偵役が犯人を追い詰めて解決するというお決まりの展開を続けても、人々は十分楽しめる。
・『メインテーマは殺人』は僕もフェアプレイが貫かれたミステリーだと思う。
犯人は早い段階から登場しているし、犯人を特定するための手がかりも提示されている。
いくつかの事件、何人かの登場人物の思惑や関係が交差して複雑に絡まり合った謎が、探偵によってするすると解かれていく快感がちゃんとある。
厳密に精査すれば、文章だけの世界であるが故に気付けない部分というものもあるだろうけれど、少なくとも真実を明かされたときに嫌な気分になるような記述がない。
読んでいて気持ちの良いミステリーだった。
・最近、というかここ何年か、眠りの質が悪い気がして、昨日初めてドリエル(睡眠補助剤)を飲んで寝てみた。
寝続けるということができず、4、5時間で必ず起きてしまう。8時間とかぶっ続けで寝ていられた時代が懐かしい。もうあんなに満ち足りた睡眠をとることは生涯できないのだろうか。
そう思うと変な絶望感に襲われて朝から少し鬱。
ドリエルを飲むと確かにいつもより深く眠れた気がするけど、起きてからの頭のボーっと仕方が容赦無い感じで、あまり常用するわけにはいかないなという感じ。
・家族が休みだと僕の気持ちも非常に安らぐ。
これはどういうことだろう。妻の仕事が休みで、子の保育所も休みだったら、僕が仕事でも仕事があるという気がしない。僕も休んでいる感覚になる。心安らかに働けるという感じ。これどういうことなんだろう。
ブログについて
・ブログはオワコンと言われて久しいが、まあ確かに読まれない。相変わらずアクセスを集めてくれる記事はあるにはあるけれど、一時期よりずっと見られなくなったのは確か。
・パーマリンクの設定を変えたせいでこのブログに訪れても記事本文が完全に消えていて読めないという事態が発生していた。
・訪れてくれていた人がいたらすみませんでした。解決しました。
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