「自分でやった」が作る満足感が地域の10年先を作る

発想と行動を記録する

自分で見つけた、自分でやった、という感覚ってとても大事だと思います。

そう考えると、「情報を発信する」という行為も、誰かの「自分でやった感」を奪わないようにしなくてはいけません。

これはこないだ書いた コミュニティスペースの使い方を自分からスタンダードにしない という記事と似たようなこと、というかこれを土台にした記事です。

コミュニティスペースの使い方を自分からスタンダードにしない
小さな規模の世界観を守るという意思や工夫という記事を昨夜書きました。ざっくり何が言いたかったかというと、「サイズ感も含めて世界観」だと思うから、何かを発信したり表現したりするとき、とにかく広く、とにかくメジャーにと規模を広げたいところ...

「あるものを受けとるだけの人」を想定して情報発信すること、サービスを展開することはとても危険だと考えます。

具体的にどんな危険があるかというと、例えば「大事にしてもらえない」こと、があります。

「大事にしてもらえない」というのは何にしても致命的なので、人の内にある「自分でやった」この場合は例えば「自分で見つけた」という感覚は大事にしなければなりません。

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自分でやったことは強い満足感がある

「自分でやった」ことは何にせよ満足感に繋がります。

例を挙げるまでもなく、自分でやった感覚に浸った経験は誰しもいくつか持ち合わせているのではないでしょうか。

それは自信に繋がりますし、自己肯定感に繋がります。自分を大切にする人は、自分が関わったものも大切にするようです。

だから僕は「まち」のことをただひたすら発信するのではなく、手広く広報するのではなく、自発性を尊重し、好奇心と行動力を尊敬できる相手に届くように情報を制限したいと思っています。

具体的なことを言えば、コミュニティスペース「旧佐藤医院」についてや、我が家で営んでいる「民泊サービス」についての情報を想定しています。

「旧佐藤医院」も我が家で民泊をやっていることも、広く開かれた情報ではありますが、万人に知られるべきとは思いません。

自発的に興味を持ち、調べて、連絡をくれる人に届けば十分で、それ以外のところに届けようとする行為はむしろ余計なことだと感じます。

10年後の地域を作る出会いと到達の満足感

「旧佐藤医院」に興味を持ち、調べて連絡をくれる人、そして利用した人は、きっと「旧佐藤医院」を大事にしてくれると思います。

「ここは自分の特別な空間だ」、と思ってもらえることが重要で、そのために僕ができることは、情報を制限することだったりするのだと思います。

自分で見つけた激うまラーメン店を知っている場合と、「並んででも食べたい!人気ラーメン店10選」というネット記事で知ったお店を知っているのとでは、ありがたみが違います。

友達とか恋人とかの前で自慢できるのはどっちなのか、という話です。

「旧佐藤医院」についても、うちの民泊についても、市のホームページで見たとか、雑誌で見た、とかより、僕のこのブログに辿り着いて、自ら収集した情報という認識を持ってもらえた方が良いと思います。

もちろんこれは「まち」という単位でも同じことが言えます。

当然、誰かにとって「良い」地域であること、「面白い地域」であることを願って創意工夫することはしなければなりませんが、その上で、自分で見つけ、自分で選び、自分で足を運んだ、という出会いと到達の満足感を維持できるような情報の伝え方があるのではないかと考えています。

この、誰かにとって「ちょっと特別な出会い」になることの繰り返しが、10年後に大きな違いを生むのではないかと思うのです。

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