地に足がついた生活と浮ついたビジネスのバランス

まちづくりを考える

自分の家の畑で野菜が獲れるのはすごく良いことだな、と思います。

畑があれば生きていけるとまで言うと少し大げさかもしれないけれど、少なくとも飢えて死んだりはしないだろう、くらいの安心感はある。

こういうのを指して「地に足がついた」と言うのは少し違うかもしれないけれど、自分の身体でできる範囲、自分の足が届く範囲に生きる糧があるって大事なことだなと思う。

「最悪、お金がまったくなくても生きるくらいのことができるってスキルや知識が欲しいな」と最近思うともなく思ってる。その気になれば自給自足、何か大きな崩壊しても共倒れしない知恵と力。

一方で、自分の身体とか、意識が及ばない距離でお金を生み出す力、みたいなものに憧れることもある。

例えばブログとか、youtubeとか、広告で儲けたり、コミュニティやサービスに課金してもらって儲けたり、みたいな、(あえて言うけど)浮ついたビジネスってのも魅力がある。なんか頭と精神で稼ぐみたいなのってカッコいいですもんね。

バランスだと思います。あまりに自分の身体だけで生きていれば身体を損なったときに詰んでしまうし、身体ではなく距離を越えた、精神的な繋がりによるビジネスはある日急になくなってしまう可能性もある。

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選挙をきっかけに生きることとか働くことを考える

昨日(2019/7/21)が選挙だったってこともあって、生きることとか働くことをなんだか考えるともなく考えました。

強く思ったのは、「自分の身体使って働いて働いて、自分の時間を目いっぱい使って働いて、死ぬまで働かなきゃならん、ってのもおかしいし、人気や目立つ力さえあれば濡れ手に粟で膨大な額を稼げてしまうのもなんか危うい」ってこと。

このブログでは最近何となくバランスについて考えてるけど、「格差社会」なんて言われるように、なんか、漠然とした大衆の、ちょうど良さというか納得というかの総量がだんだん目減りしてるのではないかと思います。

誰もがみんなお金持ちである必要も、誰もが平等に貧しい必要もないけれど、精神と身体が充足する、それぞれ丁度良い幸福感というか、そういうものを追及して報われる世の中なら良いのに。

いやこういうとあたかも今はそうなってない、みたいに聞こえるかもしれないけど、そう思っているわけではないです。

僕らは自分自身の幸福を追い求める権利をしっかり保証されていると思う。だけど、だけど今はまだ目が粗いところがあるなとは思う、という感じです。

個人のレベルでも、地域のレベルでも、国のレベルでも、その場で生きれて、同時に外側と精神的に繋がりがあり、内外で活発な経済のやり取りができる状況が作れたら良いね

まちづくり(このブログのメインテーマ)の文脈で言えば、いろいろな意味で潤うというか充足する(それこそ精神的な意味で)ことも大事だけど、究極この地域にいれば死にはしない、くらいの安心感みたいなものを作るのも大事だなと思います。

「地に足のついた」と言って良いのかはやはり分からないのですが、自分の足が及ぶ範囲で身体を動かせば十分に生きていけて、誰に賞賛されなくても、誰に注目されなくても時間を過ごすことができる環境というのは考えなきゃいけないことだと思う。

そしてバランスを取る形で、やはり外側の人とのつながりを得たり、応援してもらったり、経済的な交換も活発な地域になれば良い。

地に足のついた生活と(再びあえて言うけど)浮ついたビジネスのバランスは、個人が考えることでもあるし、地域が考えることでも、ひいては国のレベルで考えることでもあると思う。

 

 

 

 

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