散らかせる場所の必要

発想と行動を記録する

散らかせる場所が必要です。

最近大人になってきたのか、一昔前よりは整理整頓ができるようになってきました。

こんなことを言えば妻に笑われる(か怒られる)かもしれないですが、これでもできるようになってきた。

正確に言えば、整理した方が良いかもな、と思えるようになってきた。

しかし、こと書いたり読んだりすることに関しては、どうしても好き放題散らかして良い場所が必要です。

アンチお片付け。キッチンとかはキレイな方が良いけど、本とかメモとかは散らかり放題の方が絶対に良い。心地良いし頭の中で考えなくてもその配置が、その乱雑が、勝手に考えてくれている気がするから。

置きっぱなしにして良い場所、定位置に戻さなくても良い領域が必要。

同じ意見の人いますよね?

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散らかった本を整理すると全部忘れるような気がする

僕は自分の家に自分の部屋というものを持っていないので、何となくパソコン付近と飾り棚の上が僕のスペースという感じ。

そこは読みかけの本でいっぱいです。常時10冊程度は散らかっています。

妻はどれも読みかけの本でそこに無きゃいけないのだということを分かってくれているような気がしますが、掃除のときに全部まとめて積み上げられていたりするので何とも言えないところです。

散らかす側に言わせればすべて計算された散らかりであって、秩序だった散らかり方をしています。本の配置が変わっていると思考がリセットされた感じになる。だけど片付ける方からしたらただただ散らかってるだけなんですよね。

実際パソコン周辺も(そもそも妻のパソコンだし)飾り棚も公式に僕のスペースというわけじゃないのだから、掃除のときに積み上げられるだけで普段はそっとしておいてくれるだけ感謝しなければなりません。

本やメモの散らかりは好奇心と興味が周回した痕跡だ

傍から見たらあちこちに読みもしない本を置いてあるように見えるかもしれませんが、僕の周りにある本は僕の頭の中にある本です。

少なくとも頭のどこかで考えていることであって、そこらに置いてあるからと言ってただ置いてあるわけじゃない。

何かを考えるとか、何かに興味を持つとかって、順番通りに規則正しく行われるものではありません。

目が覚めたときに好奇心が赴くことと、ご飯を食べたあとに興味が湧くことは違う。手を動かしたいこともあれば黙って考え事をしたいこともある。

一日のうちにこれらがサイクルを持って回っていて、散らかった本やメモはその痕跡なのです。

だから本には触れないで欲しいと言いたいところだけど、それは身勝手なことだということも分かる。見てくれは悪いし子どもの教育にも良くない(のかな?)。

でも整理整頓された状態を保つということは何も考えるなと言われるに等しいことです。

散らかして、その気になるまで決して片付けなくて良い場所が欲しいですね。

コミュニティスペース「旧佐藤医院」がそう、と言いたいところですが、ここも僕の個人的な部屋というわけではないので限度がありますね。

旧佐藤医院
北海道士別市朝日町にある、コミュニティスペースです。元病院です。

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