幼い頃から、突然なんの前触れもなく恐怖に駆られることがありました。
理由を問われてもわからない、今感じてるのは本当に恐怖なのかすら怪しい、悲しみとか焦りだったかもしれない。
例えるならば、西の山の方から世界がほろほろと崩れ落ちていくのではないかと思う感覚。
いい大人になった今でも、幼い頃に感じていたこの感情はまだ残っていて、たまに襲われてしまいます。
昔は言語化できなかったけれど、きっとこれは「時が進むのが怖い感覚」なのだと思うようになりました。
ではなぜ時が進むのが怖いと感じるのか、こういうとき自分の中に何が起きているのか、もしくは何をしていないのか。
そんな話を書いてみようと思います。もしかしたら同じような恐怖心にとらわれている人がいるかもしれないから。
時が進むのが怖い
「時が進むのが怖い」という風にでも検索しなければこの記事にはたどり着けないと思いますから、きっとこの文章を読んでいる人は時が進むのが怖い、ということに気付いたのだと思います。
なぜ時が進むのが怖いのかという理由は人ぞれぞれでしょうが、きっと自分でもわからないからこそ検索するのでしょう。
明確な理由があるのなら悩む必要はありません。まだ言葉になってない恐怖や不安があるに違いないです。
僕はそもそも「時間が進むのが怖い」のだと自覚するまでに長い時間がかかったし、ましてやその理由なんて知る由もありませんでした。
やっとわかったのは「自分が何も積み上げていない」ことに起因する恐怖ではないか、ということです。
崩壊に向かう何かの気配が怖い
否応なしに世界は時を進めます。
自分が何もしなくても、世の中は動いてしまう。生み出されるものもありますが、自分が何もしていないという状況において感じるのは、緩やかに崩壊に向かう何かの気配なのではないでしょうか。
世の中に生み出されたものは、生み出された瞬間から劣化をはじめ、崩壊へと向かいます。何かが始まると、途端に終わりに向けて走り出すのです。
それは自分の命も例外ではなく、時が進めば進むほど、着実に崩壊へと向かっていく。
この根源的とも言うべき恐怖に打ち勝つ方法は、自らが何かを生み出すことに他ならないのではないかと感じます。
もちろん、世の中を見渡してみると、自発的に何かを生み出そう、何かを作り出そうとする人の方が少ないのかもしれません。
しかし誰でも、自分が何かを生み出すとか、何かを継ぐとか、何かを為すとか、そういう基本的な向上心みたいなものは持ってるのではないかと僕は思います。
だけどそれはとても難しいことだから、たまに時に置き去りにされてしまうことがある。
僕らが何かを生み出す行為は、崩壊ほど着実ではない。
この事実に打ちひしがれてしまうことがある。

恐怖心の根本に、「何も生み出していない」とか、「何も積み上げていない」という感覚があったことは確かだと思う
幼い頃からこんな恐怖を感じていたのかと言われれば、確信はありません。
だけど恐怖とか、焦りとか、悲しみとか、そういうものに定期的に襲われていたことは事実で、その理由の根本に、「何も生み出していない」とか、「何も積み上げていない」という感覚があったこと、今考えてみてもそれほど見当違いではないのではないかと思います。
それはいわゆるクリエイティブな領域だけでなく、人間関係とか、技術的なこととか、いろいろなことにまたがっていたのではないか。
言語化できるほど強い意志も向上心も持っていなかったかもしれないけれど、むしろ成長期にこそそういう欲求は強いかもしくは純粋で、とりわけ神経が細かった僕はただただ怖いという感覚だけ抱えて落ち込んでいたのかもしれません。
同じような経験がある方はいないでしょうか。
この記事を通してそんな誰かと気持ちを共有できたらうれしい限りです。
コメント