5月19日に結婚式を挙げました!
全体的に良い式で、とても楽しい時間を過ごすことができました。
ゲストの皆さんは暖かい言葉をかけてくださり、スタッフのみなさんの手厚いサービスにも痛く感動いたしました。
何より、妻のウェディングドレス姿やカラードレス姿は本当に美しく、みなさん褒めてくださり、妻が充電されていくのがよく分かって幸せだった笑
ただ、僕が謝辞でめちゃくちゃやらかしました。
Contents
謝辞で大失敗
しどろもどろ、どころか考えてきた挨拶がまったく思い浮かばず、長い沈黙を作り、言いかけた話題を止めてしまったり、忌み言葉を使ったりと、およそ失敗と言えるものを全部盛り込んだのではないかと思います。
わざとやってんのかってくらいのスピーチでやっちゃいけない失敗を全部やってのけたと思います。しかも自分たちが主役の式の、親戚や親しい友人たちの前で。
これは辛い。思い出しても吐きそうなくらい。今後どうすんべと思うできごと。こんな無様な経験をすることってある?という信じられなさ。
良い式の締めくくりを汚してしまった感があるし、来てくれた方もスタッフも気を使う。そしてそれが痛いほど分かる。あ、これは触れちゃいけないヤツだと、みんななかったことにしようとしてる感がある。
しかし性質的に、誰かを怒らせたりするものでもなく失敗を許すとかというものでもないので、謝るのもなんかおかしい(妻には謝ったけど)。
ただ、新郎が残念なことをやらかした、情けなかったということを知られただけで、この点に良いわけのしようがないです。
ちょっと失敗ではなく、自他ともに認める大失敗です。今はまだ、笑えない類の失敗です。
この経験をどうしようか、というのが、この記事で書きたいことです。
謝辞の失敗の原因
失敗には必ず原因があります。そしてそれは一つではありません。今回のような失敗のオンパレードみたいなケースでは特にです。
謝辞の目的以上のことをしようとした
僕たちがそれぞれ実家で飼っている猫たちが、いかに僕たちの関係や式に貢献したのかを説明しようとしていました。
文章もきちんと考えていましたが、いざやってみると、そんな説明をする場ではないと気付かされました。
僕の役割は来てくれた皆さんにお礼を言うことなので、そこに集中すれば良かったのですが、欲張りました。
それも跳ね除けて言いたいことを言えるメンタルがあれば良かったのですが、そんなメンタルは持ち合わせていませんでした。
極度の疲労と動揺
当日までに、ひどく緊張した状態が続いていました。
緊張疲れがあって、前日には寝たのか寝ないのか分からない状態。夢と現を行ったり来たりするような夜を越え、迎えた当日は、衣装に着替えるとちょっとシャキッとして意外に大丈夫と思っていましたが、ある瞬間からプツンと何かが切れました。
寝不足に加え、体質もあると思いますが、人と交流するだけでこれほど体力を使うものなのかと、笑顔を作り続けるのは(しかも作れてない)こんなに過酷なことなのかと実感しました。
さらに、いざ謝辞を始めると自分の言ってることが分からないという現象にも見舞われます。緊張によってというより、疲労の影響の方が大きいと思います。
そこへ動揺が加わります。
作ってきた文章が出てこないことの動揺。ゲストの方の気まずそうな顔を見て動揺。一言で言えばパニックに陥りました。
頭が真っ白とはこういうことなのかと実感しました。
驕りがあった
僕は人前が苦手なのかどうか、実は自分でもよく分かっていないのです。
内向的な性格だし、人前はそれなりに緊張はするけれど、今までは何とかできていました。
友人代表のスピーチも二度行いました。一つは急きょ前日に頼まれたもので、大切な友人なのでカンペは見ないできちんと自分の心を乗せた言葉でやるぞと決め、つかえたりはありましたが言いたいことをきちんと言えました。
二つ目のスピーチは事前に準備する時間があり、大変緊張しましたが、ほぼ淀みなく話せたし、みんなの顔を見ながら、アドリブもいれれたくらいで、たくさんの人に褒めてもらえました。
このような成功体験があったので、謝辞くらい余裕という意識もどこかにあり、結果、猫のことを話すぞみたいな発想にも至ったわけです。
完全なる驕り。さらに僕は文章を作るのが得意という自意識もあったので、挑戦という感じもあったのです。
それが場に相応しいかどうかの検証を怠ったことと、当日の疲労によりまったく文章が出てこない状況を想像することもしなかったのが悪いです。
代案を用意していなかった
代案を用意していませんでした。
もし頭が真っ白になったらこれだけは言うとか、体力が底をついていたらこの短いやつでいくとか、事前に考えておけば良かったのです。
しかしそれをしませんでした。驕りがあったこと、緊張や疲労が予想以上だったことを考慮せず、謙虚さや自分に対する不信感みたいなものが乏しかったのです。
また、妥協案みたいなものを作ることにも抵抗があり、これもまさしく驕り。驕りや油断はマジで命とりです。
臆病に臆病にしていれば良かった。
これからスピーチを控えている方へ
これから、結婚式に限らず、スピーチを控えている人の中にも、失敗を恐れている方がいると思います。
僕はめちゃくちゃ失敗しました。今までの失敗ランキングを楽々塗り替えるような失敗です。
失敗しても大丈夫、とは言えません。全然大丈夫じゃないです。時間を巻き戻すか、50年くらい進めてほしい気持ちでいっぱい。
今だったら、あのときこうやって乗り切れば良かった、こう言えば良かったということが湧いてきますが、そんなことを考えても後の祭りです。あのときはどうしも何も出てこなかった。言葉を話すこと自体が困難でした。
ぜひ、驕ることなく、油断することなく計画を立ててください。
酷い緊張状態にあるということは、どこかに不安要素があるという内なる自分からの警告だと思います。今思えば、アットホームな式で緊張する理由などないに等しいのに、緊張状態が続いていたのは、自分に警告されていたからなのでした。
練習する、原稿を見直す、代案を用意するなど、自分を疑い、できることは全部やっておきましょう。
あと、疲労は考慮すべきです。一番予想外だったのは、式中、目が開けていられないほどの疲労に襲われたことです。
シャンとしなければと思うものの、途中で意識が遠のいていきました。
寝すぎなほど寝てください。式前はしっかり何か食べてください。緊張してるかもしれないけど。体力さえあれば当日仮にいろいろあっても臨機応変に立ち向かえます!
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さて、中には僕と同じように、既に失敗後の方もいるかもしれません。
失敗を悔やみ、同じようなことをした人はいないか探し、どうやって気持ちを切り替えようか考えてる人もいるかもしれない。
そこで、これより先は失敗後についての記録を書いておきたいと思います。
メンタル面、思考回路。失敗をやらかすと脳内はこんな感じになるという記録です。
失敗直後のメンタルと思い知った妻の愛情
式が終わったあと、それだけの失敗をやらかしたならすぐさま逃げ出したい、泣き出したいという気持ちになるかと思うかもしれませんが、謎のスッキリ感がありました。
何はともあれ終わったという感覚、おそらく、ほとんど意識がなかったのでしょう。
ゲストの皆さんをお見送りするとき、だんだん冷静になってきて、後悔の念が押し寄せてきました。恥ずかしさが込み上げました。
人生において僕が失敗するのはまあ僕の個人的な失敗なのでまだ良いのですが、結婚式となると、「新郎としての役割を全うできたか」という観点が入り込んでくるわけです。
あんな情けない旦那で奥さん可哀想とか。こんな男を選んだ奥さんへの同情というか気遣いみたいなものがあるわけです。
これが辛い。
当の奥さんはこんな僕のことを許すも何も全然怒っている様子もないし、後で思い出してグアー!!ってなってるのを見てかわいいとか言ってくれさえするのです。
そうだ、この人のこの愛情深さみたいなものも、僕は来てくれたみんな伝えたかったのだ。僕が完全に沈黙したとき、手を握ってくれたのも嬉しかった(居たたまれなくて式場の装飾見てたとか言ってたけど笑)。
一生の愛を誓った約2時間後に病めるときが来たわけですが(はやい)、妻は変わらぬ愛情を示してくれました。
妻のお父さんも。僕の真正面の奥にいたんだけど、僕がマイクを持って大失態を晒してる間、すっごい笑顔でした(お母さんの顔は見られなかった)。笑顔の真意は分からないけど、あんな状況でもうわ優しいなー、妻のお父様なんだなと感じられました。
この記憶は救いなのです。
うまく言えないけど、いろいろなことを知った瞬間でした。
失敗後、一夜明けてからのメンタルと危険な思考回路
式を終えた夜や、次の日は非常に落ち込みました。
というか今も絶賛落ち込み中です。
書かないとやってられん、みなさんに吐き出さなければやってられんという状況で、書く行為をしなければ、頭の中で悪い思考がどんどん巡っていきます。
具体的にどんな思考が巡っているのかと言うと、以下のようなものです。
失敗すると被害妄想に陥る
みんなにかっこ悪いと思われた。友人たちには見下され、馬鹿にされただろう。それも今後、面と向かってバカにされるでなく、どこか別の場所で馬鹿にされるに決まってる。
被害妄想です。
とはいえ、これは間違いなくそうだろうと今現在思っています。
まだ時間が経っていないし、その後にきちんとみんなと話をしたわけではないので、この被害妄想的な考えからは抜け出せない状況です。
みんなの名誉のために言っておくけど、みんなとてもいい人です。本気で僕のことをバカにしたり見損なったりする人はいないと思いますが、僕のメンタルにより、被害妄想的な思考に囚われているという状況だということです。
実際友人の一人(乾杯してくれた友人)は、わざわざ用事を作って僕の家まで来てくれました。僕の失敗に触れるようなわけではありませんが、顔を出して、慰めにきてくれたんだと思います。
そうじゃなかったとしても、慰めになったことは事実です。
失敗すると拡大解釈を始める
今回のケースで、自分は人前はダメなんだ、スピーチなんて向いてないんだとどうしても考えてしまいます。
もう二度とスピーチなんかしないぞと思ってしまいます。
先ほども言いましたが、スピーチの場面やその他、人前に出る場面でも、実は成功体験の方が多いのです(だから驕りにも繋がったわけだし)。褒められる機会の方が多かった。
だけど一度大きな失敗をすると、それもここぞというところで決められなかったと思うと、もう自分はダメだと思ってしまう。失敗のインパクトは本当に強い。
さらに、家族や友人、妻側の家族や友人にも、今後まったく信用されないだろうとか考えてしまう。
卑屈な精神になります。これはマズイ。
失敗するとプライドを貶めて楽しようとする
僕は今後、きちんとやらなければならない場面ではことごとく失敗するのではないかとまで考えてしまいます。
何と言うか、そういう自意識を持って、失敗する自分を許してしまいそうになるという感じです。
今後失敗しないため、失敗をして傷つかないために、プライドを落とすという予防線を張ろうとしていることが分かります。
これは本当に危険なことだと思う。
自己肯定感が損なわれるというのは本当に致命的なことだと思うので足掻かなければならないと思いますが、ベッドで横になったりするとどうしてもそういう自分に身を委ねてしまいそうになります。
失敗すると身勝手になる
多くの方に祝福されたこと。
妻のドレス姿が美しく、みんなに褒められたこと。
妻が楽しかったと言っていること。
それだけで十分すぎるほど十分なのにも関わらず、僕の中で披露宴が悪い記憶となりつつあります。正直、結婚式の話をされるのも思い出して嫌な気分になってしまうことがある。
素直に良かった良かったと言えないところがある。
こんな身勝手なことはありません。失敗を引きずって、悪い経験としてインプットしてしまうのは失敗そのものよりも罪なことだと思います。
実はこれを避けるためにも、早々に吐き出さねばならないと考え、この文章を書いていたりもします。
無暗に肯定することでもないと思うけど、失敗から目を背けたいばっかりに人の良い記憶を抑え込むのは身勝手な行動です。
失敗すると憂うつになる
今後、家族や友人たちと会うときのことを考えると非常に憂うつです。
これは普通のことかなと思います。
来月友人の式にゲストとして参加するのですが、みんな僕をどんな風に扱うのでしょう。
本当に恐ろしいことですが、ここも自己本位なところで、実際はみんなそれほどよく覚えてないか大して気にしていないかもしれません。
そうであって欲しいけど、変に腫れものに触るように扱うのではなく、面と向かってバカにされたいという気持ちもあり、複雑です。
既に失敗してしまった人へ
既に失敗してしまったという方が、同じような経験をした人はいないかとこの記事を読んでいるかもしれません。
その後のメンタルや思考回路は、僕が経験したものと似ているのではないでしょうか。
被害妄想や拡大解釈が起きる。卑屈になり、どうせ自分なんてと思ってしまいそうになる。そうなってはいないでしょうか。僕はめちゃくちゃなってる。なってるけど、別の僕がそれは危険だと言っています。
だからこれを読んでくれている方がいれば、その方にも言いたい。
失敗自体、取り返しなんかつかないけど、そのせいで自分の可能性を損ねるのは危険だと思います。
どうにかこうにかやり過ごすしかありません。時間が解決してくれるかもしれないし、いずれ笑い話になるかもしれないです。
それまでのことを考えるとなかなかしんどいものがありますが、糧にしていきましょう。
失敗は取り返しがつかなくても、あの失敗があったからできたというようなことも、今後増えていくはずです。
失敗についてポジティブにまとめるよ
悩み切って、ちょっとポジティブなことを考える余裕も出てきました。
まず気付いたのは、成功は狙ってできるけど、失敗は狙ってできないということです。
だから失敗する方がずっと難しく、貴重な経験だと言えると思います。
それが大舞台となるとなおさら、身内の前となるとなおさらです。
まだ定期的に強烈な落ち込みに襲われる段階ですが、だんだん謎の楽観的な思考が巡ってくるようになりました。
大事な場面で大失敗の経験をしたってすごいことじゃないか。
人の結婚式で失敗するよりずっと良かったじゃないか。
人の悩みに寄り添える経験になったのではないか。
ひとつ怖いものなしに近づいたのではないか。
そして何より、自分で失敗したからこそ強く優しい人間になっていける気がする。
結婚式でのスピーチ大失敗とどう向き合うか。謝辞失敗の原因と失敗後のメンタル(完)
コメント
こんにちは。
私も全く同じ経験をしました。
お会いしたいぐらいです。
実は今日は義理の兄の結婚式なんですが、やはりあの悪夢が蘇ってきます。
親族の心配気な顔、兄妹の恥ずかしそうな顔。
ほんとこの記憶、どう処理したら良いかわからないんですよね。
義兄には失礼ですが、結婚式というもの自体がなんとなく憂鬱です・・
相続税マスターさん
コメントありがとうございます。僕と同じ経験をされたと聞いて、失礼ながら僕の方がホッとしてしまいました。今頃披露宴に参加されている頃でしょうか。もうすべて済んでしまったでしょうか。いずれにせよ、お義兄さまのご結婚、おめでとうございます。
僕もこの後、いくつか結婚式に参列しましたが、やはり何となく居た堪れない気持ちでした。結婚式自体が憂鬱というお気持ちもよく分かります。いまさらながら、何故教会でやる必要がある?と考えてしまったり、式と披露宴の一連の流れに組み込まれてしまっている自分が恥ずかしくなったり。
また、自分の恥ずかしい経験を思い出すように、他人もあのときの恥ずかしさを思い返しているのではないかと考えてしまいました。
僕は海外ドラマなどで誰かがドジを踏んだり失敗したりしたときに「not your day」と声をかけているのを目にして、「そうか、あれは僕の日じゃなかったんだ」という風に考えると少し楽になりました。以来失敗したりうまくいかなかったりしたときは僕の日じゃないって思うようにしています。相続税マスターさんにとってもこれがお守りのような言葉になるかどうか分かりませんが、よくある失敗、たまたま運の悪い日、自分に向いてない日だったということで、お気持ちを楽にしていただけたらと思います。なぜか色々うまくいく日もありますもんね。
塚田 和嗣