コンテクスト消費という概念があることを踏まえて、いまどんな小説を書くべきか

コンテクスト消費の話を前回の記事で書きました。

文学とは何かを『今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史 戦後文学篇』読んで考えた。コンテクスト消費と小説の相性の悪さ。

一つひとつの作品の質が問われることはあまりなく、特定の場や流れ(文脈)の中で盛り上がりが生じる。

消費されるのはコンテンツではなくコンテクストである。

小説で言えば、たとえば「ジャンル」も分かりやすいコンテクストの一つだと思う。

もしくは「芥川賞」などの文学賞、各小説投稿サイトなどがコンテクストを持っている。コンテンツを含む場、みんなが参加し注目される場。

コンテンツが演者だとしたら、コンテクストは舞台。

そして今は「あなたがどんなものを見せるかよりずっと、どんな舞台に上がるか」の方が重要な時代だということ。

市場に君臨するのはコンテンツではなくコンテクスト。

それを踏まえて、いま僕たちはどんな小説を書くべきなのか、ということを考えていきたいと思います。

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結論、僕たちは好きなことを小説で書くしかない

どんな小説を書くべきか、という話になれば、好きなことを書くしかない。僕の個人的な意見だけど。

好きなことと言っても、ブログ記事みたいに「僕は虫が好きだから虫を書くぞ」みたいなこととはちょっと違って、小説を書きたいと思ったときに、その感情が満たされるようなことを書くしかない、という感じ。

結局小説として仕上げるためには自分の興味関心の及ぶ範囲で、知っていることの範囲で、手触りのある言葉を使っていくしかないです。

だからどんな時代も書けることを書くしかなくて、書けることとはすなわち、たとえ自覚していなかったとしても自分の好きなことに違いないはずです。

テーマやキャラクターなどで巧みに時代を捉えるべきとは思うけれど、どう書いたってこの時代に生きてる僕たちが書くことは時代性を帯びるでしょう。

だから書けることを書くしかない。書けることを書ききることが唯一の答えである。

だけどそれじゃ身も蓋もないので、もっと具体的に、どんなことを書くべきかを考えてみます。

まずはジャンルの話から。

ライトノベルに挑戦してみる?

小説を書くときに夢があるのは、ライトノベルではないでしょうか。

ライトノベルという舞台(コンテクスト)。

人気になればアニメ化の可能性もあるし、アニメ化すればグッズ展開なども期待できる。何より純文学とかよりずっと「読んでる人の数」が多い気がしますよね。

ノベリストドリームを達成しやすいのはライトノベルというジャンルではないか。

いうなれば舞台(コンテクスト)が充実しているジャンルだと思う。

 

いやコンテクストが充実してる(盛り上がりがある)と思えるからこそ挑戦者が多く目立つのは難しいし、パターンを踏襲しながら真新しさを追求するのは至難の業。

好きなことを書くとは言っても、この舞台に上がるんだと決めた以上、舞台が要求するものは意識しながら書かなきゃいけない。

そういうことを考えるとどんなジャンルにせよ難易度は同じという仕掛けに気付く。

純文学にせよ、SFにせよ、その舞台に上がると決めたらその場のルールに従う必要がある。

結局場が要求するものを作らなきゃいけない中で、少しだけ周りを出し抜いて時代を掴むって、まるで針の穴に糸を通すようなものじゃないでしょうか。

でもそれって本当なんだろうか。

コンテクストを自分で作る

もしかしたら、僕たちはコンテクストを自分で作るという気概が必要なのではないでしょうか。

少しだけ小説から離れて、例えばyoutubeも大きなコンテクストの一つだと思います。

youtubeで配信して活躍している人っていっぱいいて、参入障壁も薄く、夢のあるものだと思う。

盛り上がってる舞台だから、どんどん人が増える。見る人も、作る人も。

そんなコンテクストを見ていると、一定の時間ごとに「新しいコンテンツ」が生まれることが分かります。

例えば、一昔前のyoutuberと言えばお菓子やおもちゃのレビュー、やってみた系が一世を風靡したような気がする。ヒカキンのイメージ。子ども向けのコンテンツが多かったのではないでしょうか。

でも最近だとお勉強系コンテンツが増えましたよね。

英語の学習チャンネルとかはあったけど、「成功のための知識」「稼ぎ方」と言ったジャンルが増えてきた。自己啓発系と言えば良いのか。

そして不思議なのが「ルーティン系」。私のナイトルーティンみたいな動画。ただ自分の普段の生活を垂れ流しているだけの動画。これも急に増えた。

何が言いたいかというと、それまでその場(youtube)で求められていると思われていた姿からは想像できなかったことが意外に流行ったりすることがあるということ。

そして一度受け入れられたら爆発的に後発組が続き、枝分かれしたコンテクストになる。

だからこそ、「コンテクスト」という概念は意識しつつも、コンテクストに飲まれることなく、場の要求に従うだけでなく、ときには「俺のコンテクストについて来い」みたいな強気な態度で創作することが大事なのだと思う。

改めて、僕たちはいま小説で何を書くべきか

コンテクスト消費の時代に僕たちは何を書くべきか。

好きなことを書く。書ききる。それしかないんじゃないかなと思います。

そこに少しコンテクストという概念を意識することを加える。

ついでに言えばコンテクストを作るという気概を持って書くということが大事なのかも。

コンテクスト(文脈)を新しく作ると言っても、気をてらうというのとも違うと思います。

書きたいことを書いて、それがそれまでのコンテクストを裏切るようなものだったとしても気にしないということが、この時代には必要なんじゃないか。

そして、未来のことは分からないから、とにかくいろんなコンテクストに自分のコンテクストをぶちこんでみるということが大事なのだと思う。

どこでどんなコンテクストが拾われて枝葉を広げていくか分からないから、小説なら色んな文学賞に応募するとか、いろんな投稿サイトに投稿するとか、とにかく試行回数を増やすべき。

言ってできるものじゃない(し僕もなかなかできない)けど、意外にやることは単純で、ただ書くだけ。

センスとか時代感覚とかそういうつかみどころのないものって実はそんなに必要ないんじゃないかなと思った、という話です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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