クマよさらば

先日、写真家である井上浩輝さんが関西大学の助教である溝口祐爾さんと共に僕の住むまち、士別市朝日町にいらっしゃいました。

溝口先生が実は親戚にあたりまして、幼い頃からよく見知った間柄で、普段は「ゆうじ君、ゆうじ君」と呼ばわっているのだけど、大学の先生つかまえてゆうじ君もないだろうということでここでは溝口先生と呼びます。

不要なアナウンスかもしれないけれど、これはこれから記事を書くにあたって重要な点なのです。

僕らとしてはどちらかと言うと「親戚のゆうじ君が来る」という点に意識がフォーカスされていたわけで、なんか写真家のお知り合いを連れて来るらしいよ、はあそれはそれは、朝日町気に入ってくれると良いね、とりあえず寝るとこ用意しなきゃねっていう田舎の親戚感強めの受け入れ態勢だったのです。

それで一緒にいらっしゃるというのが、「ナショナルジオグラフィック」トラベルフォトグラファーオブザイヤー2016、ネイチャー部門にて、日本人として初の一位を獲得した井上浩輝さんだと言うのだから、おいおい思ったよりすげえ人連れてくるな、となる。

「え、ゆうじ君はなんなんだい、大学の先生って一体なにをするんだい、なんでゆうじ君がそんな人と一緒にいるの…」って、なんか黒船来航みたいな、ちょうどそれくらいの「なんだなんだ感」はあるわけです。

聞けば、井上さんは東川在住で、朝日町も撮影範囲内だと言います。

溝口先生は井上さんの撮影に同行し取材するのだと言います。

そして今回、なりゆきで僕も二人に同行できることになり、伴って長年朝日町のシーンを撮り続けてきた父(血縁はないのですがここでは父と呼ばせてもらう)からこんなの触ったことないわっていう立派なカメラを貸してもらえることになって(血縁で繋がってないが故にこれが衝撃的だったのだ)、僕とカメラの関係が急に芽生えた。

この時点で僕の主体性や意思はほとんどなく、ふいに恵まれた状況に置かれた僕はあれよあれよと写真の旅に出るわけだけど、このときはこの経験がこれから書かんとすることほど意義深く、こころが動き、内省に至るものになるとは思っていなかった。

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知床×クマ×写真エッセイ

朝日町を巡ったあと、井上さんが言いました。

「これから知床行きませんか」

「はあ知床。」

朝日町から知床までの道のりは約270キロあります。

僕にとっては思いつきで行く距離ではないのであります。

クマが見られるかもしれませんと井上さんは言います。

朝日町にもクマは出るけど、僕は生まれてこのかた生のクマを見たことがありません。

カメラを手にできると決まった今、僕はクマが見たくて仕方なかった。借りたその日にクマを撮れたら、それはすごいことなんじゃないかって思った。

そんな気持ちでノコノコ撮影について行く道々、ふと冷静になって、なんだって僕はこの、明らかに住む世界が違うような二人と一緒の空間にいて、知床になんて向かっているのだろうと不思議に思う。

変だな変だな、僕なにやってんのかな。

意外にあっという間に知床に到着。

夕方頃に到着してから夜にかけてたっぷり探したけれど、クマは現れませんでした。

車窓の横を流れる木々の隙間を、糸で縫うように前へ後ろへ目で追うのに、突き当たるのは紛らわしい影であり、それらしい木の根であり、別の動物であり、求めるシルエットとは違う。

日が沈んで、気温が下がり、潮のにおいにも慣れて、電波が届かない宿に着いて、おかしな話だけどやっと知床にいるのだという実感が湧く。

森の闇に紛れるシカ

知床 キツネ

こちらが一番近くで撮れたキツネでした

次の日の早朝からクマ探しが再開されました。

溝口先生はクマの夢を見たと言った。

まさに「夢にまでみたクマ」の姿を求めて僕らは行く。

でもちょうどこのとき、僕は僕でかつて見たクマの夢を思い出す。

それは悪夢で、目が醒めると同時にはね起きて、大量の汗が背中を伝っている類の映像。

小柄なクマが家の前に現れるのだけど、そいつの爪は異様に長く尖っていて、絶対に近寄っちゃダメだと分かる。

そのクマに会うと不思議なことに僕らの動きは左右前後が逆転し、なおかつ移動速度が極端に遅くなる。つまり前に行こうとすれば後ろに引き戻され、後じさりしようとすると前へ景色が進む。

バトルマンガで異能系能力者に会ったときみたいだけど、咄嗟の変化に対応できず、逃げようとすればするほどクマに近づいてしまうのでパニックになる。立ち止まり、冷静にクマから遠ざかるべく、クマに立ち向かわなければならないという不思議な夢。

それ以前に、クマが狙っているのは僕の数メートル横にいるおばあちゃんだということが分かる。クマは僕らと違い通常の速度で、ナイフみたいな爪をぶんぶん降りながら、肩を揺らし、僕のおばあちゃんに近づく。

僕はそのクマを心から憎み、今あいつを殺せるなら何でもすると考えている。内心怖くて仕方なく、汗がびっしょりなんだけど、僕はやっとばあちゃんの目の前にまでたどり着き、振り上げられた狂暴な腕を見る。

そして最期に思ったのは、「ああ、こんなヤツにもかわいい肉球があるんだな」という拍子抜けした感想。

これは夢だけど、本来クマというのは避けるべきもので、万が一出会っても喜ぶようなものではなくて、とてつもなく恐ろしいものでしょう。

夢で感じた絶望を思いだせば、わくわくしながらクマを探している自分のギャップにおかしくなる。

でも知床でだって、ただワクワクしていたわけではありません。夢の中でアイツから逃げたいという気持とアイツを殺したいという両極端な気持ちがあったように、僕には常に葛藤がありました。

森 不穏

そこかしこにクマがいそうだったのにここでは出会えませんでした

単純にクマを見てみたいという気持ちと、クマになんか会いたくないという気持ち。

カメラに収めたいという気持ちと、僕じゃ無理だろうなという気持ち。

クマを見るまで帰りたくないという気持ちと、今すぐ帰って眠りたいという気持ち。

この両極端な、逃げるために前へ進むみたいな、人間らしい感情が、もしくはいつか見た悪夢のイメージが、ずっと僕の中でモヤついていました。

色んな感情の糸に四方八方から引っ張られて、傀儡のようにその場に立たされている感覚。

井上さんがタイムリミットを告げました。

僕の都合があって昼には帰らなければならなかったのだけど、そうでなくても日が高くなるとクマに会える確率は減るのだそうです。

それから約20分。もう今回会えないかなと得も言われぬ寂しさに浸っていると、溝口先生が「いたいた」と確信に満ちた声を出します。僕はそれでもクマを見つけるのが遅くて、少し目を木々の間に彷徨わせてから、やっと遠くにのしのし歩いているクマを見つける。

やっぱり写真には撮れなかったけど確かに見た。

初めてのクマ。

求めてた出会いだからこその衝撃。

井上さんと溝口先生はばっちりカメラに収めてて、さすがだなあ、ってこわ、写真で見るとより近くて怖い。

井上さんが道々、「クマは闇だ」と言っていたけど、見たらよく分かりました。

重力のかたまりみたいに重たそうで、ブラックホールみたいな引きつける力を持った闇だった。

それを見た途端にクマに会いたいとか、写真に撮りたいとか、見るまで帰れない、みたいな、どちらかと言えば攻撃的でアクティブな思いあがった感情は吸い込まれて、虚脱し、バランスを欠いた僕のこころを支配したのは「これで帰れる!」という安堵感でした。

あと、薄々、今日クマが見られなかったら僕は自分のまちで、クマ見たさに「クマ出没注意」の看板に惹かれてしまうかもしれないという嫌な予感からの解放感もありました。

力が抜けて、それまで忘れていた空腹を思いだし、眠くもなって、穏やかな生を感じた。

今月入籍するのです。

週末には奥さんになる人に会えて、知床行ったんだよとか、クマ見たんだよって話しができる。多分なんてことなさそうな顔をするのだろうけど、あのときの僕はそういうなんてことない顔をたしかに求めた。

家に帰れば愛猫がいる。ああ、お前も獣だったねって思う。いつも、あまりにも彼女なりの人語で話しかけてくるものだから忘れてたけど、いつだって僕が一番会いたい獣は間違いなく、小さな牙と定期的に切られる爪を持った君なのだ。

クマを見た。

普段ならクマは好んで探すものではないけれど、カメラを手にした途端武器でも持った気になって、僕は少し浮足立っていた。

引きこもりの性質が強い僕は束の間クマに気持ちを揺さぶられ、ぎゅーっと引きつけられ、会った途端にアクティブな感情が断ち切られ、容赦のないゴムパッチンを受けた。

そうしてただ一点の、ヒリヒリと心に焼き付いた場所のことを思いだす。

僕の主体性のすべてはまちにある。

僕が能動的に生きる場所として選んだまちには、きっと僕が写すべきものがあって、僕が表現したい景色がたくさんあると唐突に分かった。

写真勉強しよう。文章を磨こうと思った。

帰り道、疲れと、動揺と、達成感に塗れながら、なんかそれについて考えるための撮影の旅だったような気がして、井上さんと溝口先生がまちに来てくれたこと、カメラとの関係が芽生えたことに感謝しながら、この記事のタイトルを考えた。

「クマよさらば」

クマよさらば(完)

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