夏目漱石著『草枕』の冒頭はと言えば
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
というところまで覚えている人は多いと思いますが、この先がかっこいいのです。
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あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊い
冒頭文の続きはこうです。
住みにくさが高じると、安いところへ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟ったとき、詩が生れて、絵ができる。
人の世を作ったのは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三件両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。
あれば人でなしの国に行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくいところをどれほどか、寛容て(くつろげて)、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。
ここに詩人という天職ができて、ここに画家という使命が降る。
あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊い。
画家である主人公の、芸術に対する信頼が伺えます。
人の世って生きにくいよね、ってところで多くの人の共感を得て、この冒頭文は有名になっているのだと思うけど、「生きにくいよね」から「人の心を豊かにする芸術は尊い」という結論に向かう精神がかっこいい。
夏目漱石『草枕』冒頭の勝手な解釈(現代語?訳)①
僕らの住む人の世は窮屈で住みにくい。
よく頭を使ってうまく立ち回ろうとすれば「せこい」とか「ずるい」とか「要領が良いだけ」とか「八方美人」とか「信用できない」とか「自分のことしか考えてない」とか「卑怯」とか言われてしまうし
感情に流されてしまうと反対に騙されたり、人目を気にしすぎてビクビクしてしまったり、自分が良い目にあうことに罪悪感を抱いてしまったり、関わるべきでないことに関わってしまったりして損をしてしまう
じゃあもう良いや自分は自分らしく生きよう、自分はこう思うからこうするんだと言い張って、自分を尊重しようと思ったらヒンシュクを買うばかりでかえって窮屈極まりない。
もぅどないせっちゅうねん…人の世はルールブックの用意されていないゲームで、都度ルールが変わるゲームで、みんな勝ちたくて勝ちたくて仕方ないのに誰も勝っちゃいけないゲームみたいだ。
じゃあそんな煩わしいルールのないところへ行こう。そこにはルールがないから…ああそうか、みんなやりたい放題でやったもん勝ちの弱肉強食の世界だ。
そんな殺伐とした世界よりは、人の世の方がいくらか住みやすいに違いない。
夏目漱石『草枕』の勝手な解釈(現代語?訳)②
人の世が住みにくいと思うなら、人の世が少しでも生きやすいところとなるように工夫しなきゃならないだろう。
僕らはとにかく疲れている。
人同士であることに。
人と人は同じ心を持っていながら分かり合えないという事実に。
人はみんな自分のことしか考えていないという疑心に。
その心を少しでも寛がせるためにも、限られた命を素晴らしい経験にするためにも、芸術というものは必要である。
なぜなら、心がなければ芸術を解することはできず、心があるからこそ生まれ出るものが芸術だから。
我々の心が住みにくさを作っているのであれば、我々の心を肯定する人間が必要で、それが芸術家だろう。
すべての芸術家は、人の心を長閑にして、人の心を豊かにするから尊い。
『草枕』をもう一度読んでみよう
草枕を読んだことがあるよという方は多いと思うけど、内容を覚えているかと言われると微妙で、とにかく「冒頭文はあれだろ?智に働けば角が立つってヤツ」っていう程度しか覚えていない人が多いのではないでしょうか。
僕も実はそのクチで、こないだ久しぶりに『草枕』を読みました。家に文庫があると思ったらなくて、青空文庫で。
みなさんもこの機に読んでみてはいかがでしょうか。はじめての方も、そうでない方も。
『草枕』のページへリンク貼っておきます。
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『草枕』は創作論の塊みたいなお話です。冒頭文後のことも記事にしたいのですがここではとりあえず冒頭だけ。
書いた→『草枕』の創作論/芸術は僕たちの現実を少しはマシにしてくれているだろうか

よく読むと芸術は尊いんじゃなくて、芸術の士は~尊いと書いてあるので、自己肯定の塊という見方もできますが、なんにせよ芸術の力を語るこの話の冒頭はかっこいい。
「人の世って住みにくいよね。夏目漱石もそう言ってるし」って言い合って納得するのは止して、「人の世が住みにくいなら、住みにくいところをいくらかでもくつろげるようにして、束の間の命を、束の間でも生きやすいようにしよう」と言える人間になりたいものです。
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夏目漱石『草枕』の冒頭は続きがかっこいい。芸術は尊い。(完)
コメント
うーん。漱石の文章はあれで簡潔かつ完成されているからわざわざ現代語訳チックにする必要はないかと……
にぽさん
コメントありがとうございます!
確かに、お詳しい方にとっては無粋なものを書いてしまったかもしれません。
ただこの記事は、「とかくこの世は生きづらいって夏目漱石のあれなんだったけ」という方、智に働けば~って冒頭は何となく知ってるけどそう言えば『草枕』はちゃんと読んだことないなあという方を想定して書いたものであります。また、この機に続きを読んでみようと思う方がいれば良いなと思っていたので、そのような方にとって取っつきやすい紹介の仕方はないかと考えたものです。
内容には賛否あるかと思いますが、このような意図については納得いただけると考えております。
塚田 和嗣
則天去私について知りたくて、読みました。73歳の女性です。
小説の創作態度についての言葉なんですね。
私は、娘の死に会い悩みに悩んで、、先日、新宿にある漱石山房に行き、漱石の人生観が知りたくて、昔読んだ草枕を読んでいます。あなたの噛み砕いた解釈に、納得しましたが、生き方の座右の銘のように考えている人もいます。小さな自分に拘らず、人間は、広い宇宙の存在の一つであり、自分で、何とか出来るものではなく、大きな自然にゆだねようという風に勝手に考えますが、漱石が、たかだか49歳の人生での考えかと思うと、、自分は、その先を考えていこうかと、あなたの解釈を読み、考えました。
ちなみに、大学で英文学を学びましたが、日本文学は、素晴らしいと思うこの頃です。
記事を読んでいただき、ありがとうございます。このブログで書いた則天去私の解釈は、あくまで僕の恣意的な解釈です。僕がそのように読みたかったからそう読み、それをそのまま書きました。出会うタイミングや、求める答えによっていろいろな面を見せてくれるのが、文学の素晴らしさの一つだと思います。漱石の持つ、不安や自意識、そしてそれらと併せ持つ達観やユーモアの文章が、あなたの気持ちを慰めるものになれば良いとこころから思っています。
[…] […]
文化の日智に働けは四角立つ
文化の日情に棹さし丸くなる
文化の日意地を通せば三角だ
文化の日人の世は数が棲む
文化の日数棲む世界1とπ
文化の日πを仲間に数進む
文化の日πと1とはお友達
文化の日なぞり逢せて丸四角
文化の日心転じて数が棲む
≪…四角な世界から常識と名のつく、一角(いっかく)を磨滅(まめつ)して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。…≫から、≪…動 静…≫について≪…芸術家と呼んでもよかろう。…≫を[数学者と呼んでもよかろう。]で詩的に遊ぶ。
[四角な世界から秩序の一辺を消去して三角の点・線・面を円のうち棲ますのを数学者と呼んでもよかろう。]
三角系の一点でスピンさせれば、点・線・面の絆は融合し円と共有できゲシュタルト感覚で平面の本性を知る。
動と静四角に潜む秩序や
クルクルと三角回し四角生む
群と生る点線面に絆在り
線動き曲直が数を生む(草枕六)