書くのが楽しいなんて嘘だ。書くのは怖い。

僕が万が一文章を書くのが楽しい!とこのブログで発信したら、もしくは過去にしていたら、それは嘘だと考えていただきたいのです。

2016年∼17年のムードに流されて、自分は好きなことをしているのだアピールをしたかったのだ、もしくは楽しいと感じる素質があるから自分は文章を書けるし、書き続けることができるのだと人に知ってもらうためのささやかな見栄だったのだと笑ってやってください。

何か書くとき、怖いという感情の方が強いことを認めないわけにはいかない。もちろんちょっとは楽しいから書くんだけど、僕の自己イメージとして、快楽を動機に同じ性質の行動を繰り返すというのは嘘くさいと思います。

僕は不安や恐怖に突き動かされて、書く作業を繰り返します。

書き続けないと忘れられそうで怖い、書くことを続けなければ何もしていないような気がして怖い、書くことで発見できるはずのものを逃すのが怖い。

それは、例えば一瞬ものすごいド忘れをして、分かり切っているはずの人の名前が思い出せなかったり、声の出し方がよく分からなくなってしまったり、カギを握りしめながらカギを探していたりするような信じられないポンコツさを自分に認めるときの怖さに似ています。

もっと実感のあることを言えば、例えば僕は過去に血尿を出したことがあるんだけど、あのあとはトイレに行く度に怖かった。怖かったんだけど、自分の尿が正常な色をしているかどうか、確かめずにはいられなくて、少しでも尿意を感じるとトイレへ駆け込む時期があった。

怖いもの見たさとも違うんだけど、そんな感じで、自分の中にある不安や異常がどんな形をしているのか、なぜか知りたいと思ってしまう。

同時に、不安がないこと、異常がないことを確かめて安堵したいという気持ちも湧いてくる。

神経質に何度も確かめたくなる怖さ。繰り返さなければ落ち着かない確認行為。

多分このブログに関しては、ほとんどそんな気持ちで更新されていると思います。

もちろん100%ではないし、こうして言葉にするとやはりこれも嘘、という感じがするんだけど、書くのが楽しいという感覚は持っていない、と、たぶんそれも言葉にすると嘘で、なんだかんだ本当に好きでやってるだろうし楽しいから続けてるんだろうけど、そんなに単純じゃない。

強迫観念というのかそれともただの習慣と言えば良いのか分からないけど、少なくとも僕は書くべきものがないときはすごくスッキリしていて清々しい気持ちだし、書くことがあると落ち着かない。

これはどういうことなんだろう、って思ったのでメモ。

書くのが楽しいなんて嘘だ。書くのは怖い。(完)

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