当ブログの軸となる概念図の説明させてください。こんな風に「まちづくり」を考えています。

突然思い立ってトップ画像のような図を作りました。

このブログの構造というか、僕がこのブログを書くとき頭の中にある概念図みたいなものです。

多分、「このブログ雑記ブログではなさそうだけど、だから何だと言われても分からない」みたいな印象だと思うんですよね。

「まちづくりがテーマ」と言われても、なんかそういう感じはしないし。人気記事のトップは夏目漱石の『草枕』の話だし、その次は羽川翼の話。「まちづくり関係ないやんけ」って僕が思うんだから、始めて訪れる人はなんなのこれって思うかもしれない。

多くの方はブログの全体像なんて気にしないで、一記事ずつ用があるものに触れるだけだから「全体像が分からないよな…」という僕の心配なんかしてもしなくても良いのですが、もしこの手の話に興味持ってくれる人がいたら、全体を貫く概念を伝えられるものがあったら便利だなと。

そんでこれは書く側の欲ですが、全体像を知ってもらった上で読んだ方が、ある一つの記事を読んだときに僕がそれを書いた意味が分かりやすいんじゃないかなと。

という訳でこの記事では即席で作った概念図らしきものの説明を少しします。

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陰陽道のあれ。活かしながら回る関係

このブログは「まちづくり」というテーマがメインなんですけど、なんかあんまそんな感じはしないんじゃないかな、と思います。

文明と文化、多様性、個性、コミュニティ、創作(伝える技術)みたいなテーマの記事がランダムに書かれ、うだうだ言ってるブログです。これがまちづくりに繋がるのかと言われれば分からない。

でも僕の頭の中ではこれらの小テーマが循環しています。図のように。

厳格で論理的な概念図だから頭に叩き込んでくださいという物ではもちろんありません。

冗談みたいなものだし、あくまで僕の中で意識しているサイクル、というか軸。

え、これって陰陽道のアレじゃ…って思いましたか?

僕『シャーマンキング』って昔ジャンプで連載してた漫画が好きで、作品内では陰陽師が主人公で、となると陰陽五行思想みたいな話にも当然なって、当時の僕はほおーっとすごく納得したんです。

何が納得って、例えばwikipediaから該当箇所を引用させてもらうけど、以下のようなこと。

五行思想の特徴は、「相生」と「相剋」という、それぞれの要素同士がお互いに影響を与え合うという考え方である。相手の要素を補い、強める影響を与えるものを「相生」、相手の要素を抑え、弱める影響を与えるものを「相剋」という。注意しておきたいのは、「相生」は相手を強めるので常によい、「相剋」は相手を弱めるので常に悪い、という捉え方ではないことである。

具体的には

「木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水は木を生ず」という関係を『五行相生』という。

というような相関関係。何かが何かを生んで、その何かが何かを生む。大自然に存在するサイクル。

ここで知ってほしいのは、そういうのに影響を受けた中二病的な部分が僕にはあって、このブログで記事を書くときはそこのところが強く意識されてますよということ。

影響を受けていて意識されていますよというだけで陰陽五行思想ともちろん同じではないです。相生の関係はあっても相克の関係はあんま考えてないし。だからしつこいようだけど気楽に見て欲しい。

コミュニケーション→まちづくり→ものがたり→個性→多様性

図を五行思想的に説明すると

コミュニケーションはまちづくりを生み、まちはものがたりを生む、ものがたりは個性を生み、物語は多様性を生むという関係があるワケです(僕の中で)。

ん?と思った方が多数だと思うのでもう少し言葉を補って説明しますが、僕はこのブログでコミュニケーション不全がコミュニティ崩壊のきっかけになるんじゃないの的なことを考えたことがあるという背景があって。

なぜ文明は崩壊するのか。なぜ夫婦やカップルの関係は破綻するのか。きっと原因は同じだ

だってコミュニケーションが取れる環境や関係だからこそコミュニティって呼ぶんでしょ?じゃあコミュニケーションがないコミュニティは有名無実的な状態であって、それってまさに、まちが一つのコミュニティだとしたら、消えゆく地方の現状なんじゃないか、みたいな流れ。

だからコミュニケーションがまち(コミュニティ)を生む。

という感じで、ある概念がある概念を生む、活かすという関係を持っている。

残りは駆け足で失礼します。

「まち(コミュニティ)」があれば、そこには「ものがたり」が生まれる。そして「まちづくり」という過程そのものが「ものがたり的」であると僕は思う。

「ものがたり」の中には「個性」がある。ものがたり的に言えば、キャラクターと言った方が据わりが良いかもしれない。

それぞれのキャラクターが活きる土台では、多様性が活きる。

多様性が活きる環境ではコミュニケーションが活発である。コミュニケーションが活発な地域は良い町になり、良い町には良い物語が生まれ、良い物語には良いキャラクターが集まる。良いキャラクターは多様性の価値を高め…という風に、一周するごとに向上、というか一皮剥ける感じで成長していく。

こういう風に星型のサイクルを巡って、巡って、僕らの「文明と文化」は育まれているのだと思う。

僕の中では記事同士に脈絡があるんだ

ピンと来てくれる人がどれくらいいるだろう。

保険的に何度も言うけど、これが真理だとか言ってるわけじゃないです。

ブログを書く上でこういうサイクルがあるんじゃないかって意識してるから、個性の話をしてみたり、多様性の話をしてみたり、創作論的な話をしてみたりしてるんだよという話。

羽川翼の話をしよう/「完全に正しい」という異常な個性について

「多様性」は他人を認めるための言葉ではなく、「自分が間違ってる可能性」を知るための言葉だと思う

なぜ僕たちには物語(フィクション)が必要なのか

概念図は気楽に見てほしい、という割りに主張するように何度も貼ります。

個人的には今までモヤモヤと僕の中にあった概念を図にできて嬉しいという気持ちがあるし、各記事には僕なりに脈絡があって、ということは知ってほしいから。

分かりにくいと思うので繰り返して説明します。「生む」と言われるより「活かす」と言った方が分かりやすいかもしれない。

コミュニケーションはまち(コミュニティ)を活かし、コミュニティはものがたりを活かす。ものがたりは個性を生かし、個性は多様性を活かす。多様性が活かされる環境はコミュニケーションが活きる場である。

念のためにもう一周。陰陽五行説の「木は火を生じ、火は土を生じ…」ってのもちょっと見ただけではよく分かりませんもんね。言い回しを変えていけばどれかの言い方がピンと来るかもしれない。

コミュニケーションがあるところにはまち(コミュニティ)がある。コミュニティがあるところにはものがたりがある。ものがたりがあるところには個性があり、個性があるところには多様性がある。多様性がある場所にはコミュニケーションがある(だって極論、僕らは分かり合えない同士で分かり合いたいからこそコミュニケーションを取るのだから)

繰り返すけど、この営みの循環によって、良くできましたって具合で星マークが積みあがって、その土地、その国の文明と文化が形成されていくんだ、と僕は思っている。

会話とか、理解とか、苦しみを経て、逐一喜んだり怒ったりして、大勢で乗り越えながら。

循環が損なわれると停滞と衰退がはじまる

図の説得力はさておいて、「循環」というものは大事だということは間違いないし、そこに反対する人はいないと思う。

僕らの生きる世界では、あらゆることが循環で成り立ってる。

地球上の水が巡るサイクルと浄化システムは小学校で習ったと思うし、血液の巡りが悪いと身体がすぐに壊れてしまうこともみんな知ってる。お金がうまく循環しなくなると今の日本みたいな状況になるし、メンバーの固定が癒着や不正やなれ合いを生むみたいなコミュニティの流動性の無さによる弊害もよく聞く。

僕らにとって滞ることそれ自体が結構な問題で、健全なサイクルで巡ることはそれだけで健全な状態を作るというのはおそらく大きく間違ってない。

しつこいのは分かってます。でも説明させてほしい。

もしかしたら滞ったパターンを説明するのも良いかもしれないから。

どこから初めても良いんだけど、例えば「個性」が何らかの理由で損なわれるとする。否定されたり、抑圧されたり。個性という概念で詰まって先に進めない状況をイメージして欲しい。

個性が否定されると、多様性が否定される状態とすごく近くなる。多様性が否定されるとコミュニケーションの余地が無くなる。コミュニケーションの余地がない状況でコミュニティを作るのは困難で、コミュニティがないとものがたり的にも魅力がない(要説明か?)。魅力がないものがたりの特徴の一つとして、登場人物の個性(キャラクター)が立ってないという場合がある。キャラクターが立たないのはどうしてか?多様性を尊重せず、限られた視点でのみ人間を見るから、同じようなキャラばかりになるせいだ。同じような思想や外見を有する者同士では、コミュニケーションが空転する。毎回同じ話、マンネリの毎日、成長も変化もないまま衰えていく。それはまち(コミュニティ)に反映される。

このブログはまちづくりについて考える

うん、けっこう面白い話だと思う。

自画自賛とはまさにこのことで恥ずかしい限りだけど、面白いと思ってるからこそ僕はブログを書き続けられるわけだし、こういう気持ちも大事だろう。

この記事では、僕のなかでブログ内の各カテゴリーにこんな相関関係があるから色んな話題に飛びながらも雑記ブログではないんですよという説明をするのが目的でした。

僕の中では脈絡はあるんだけど、図で説明したように基本5本の柱があって、その循環で積みあがっていく「文明と文化」という大きな概念が出来上がるというイメージがあるから一本調子で説明するのが難しく、見る人からすればどこに軸があるか分からない、結局なんの話のブログなの?って状態になってると思ったのです。

文明と文化と言えば固いけど、その中身は僕らの「暮し」とか「哲学」とか「楽しい人生」とか、そういう生きる上で付きまとう全部。僕らが生きて生み出すもの全部。

で、僕の視野で言えばそういうこと考えることって、僕の暮し、つまりこの辺鄙な田舎町のことを考えることとほぼ同義で、そういうわけでこのブログは「まちづくり」を考えるものなんですよ、という話でした。

にしてもこれだけじゃあまりにも概念だけすぎる。もうちょっと書きたいことあるから次書きます。

当ブログの軸となる概念図の説明させてください。こんな風に「まちづくり」を考えています。(完)

見せるタイプのメモ

循環→錬金術との関係。

鋼の錬金術師

地球の大循環のパワーを利用するメイと、自分の中で循環を作り出すエドワード。

全は一、一は全。

ホムンクルスは行き詰まりの象徴?どん詰まり。文明を壊す存在。

物語自体が循環を表している。

物語を一周して成長した兄弟が得た心理は、自分の分の10に1を足して11にして誰かに渡すというもの。成長と発展のサイクル。

これを踏まえて、まちづくりのときに意識しなければならないのは「循環」だという主張。

人が巡ること、経済が巡ること、思考が巡ること。

自分のところで止めようとしない。

一地域としては、移住者が増えればハッピー、お客さんが増えればハッピーかもしれないけど、それだけをゴールにするのではなくて、住んでくれた人がどう生きることができればプラス1を誰かに与える存在になるか、来てくれた人がどうなればプラス1を持って帰れるかを考えるべき。

一が潤うことで全が潤い、全が潤うことで一が潤うという循環が必要。

これは社会全体に当てはまる。個人が潤えば国が潤うし、国が潤えば個人が潤う。それは機械的な循環や自動システムではなくて、ある程度人間の人間らしい感情が必要となる。ときに犠牲、ときに無駄、ときに愛、ときに情。

システムを消費するだけの存在は大きいけれど、そういう人間性に負けることがある。

なんの話?

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