感動とは、関係性や繋がりの発見である。

文章を書く、創作をする、何かを作る人は、感動したいという感情と同じくらい「自分もこんな感動を作り出したい!」という欲があるのではないでしょうか。

感動ってなんだ。

実はそういう記事を以前にも書いてるのですが、図解して伝えるということを考えたとき、真っ先のこの感動についての記事を思い出したので、改めて書いてみたいと思います。

伝えたいことはただ一つ。

「感動は、関係性の発見だ」

僕が図解するとこんな感じ。

直観的に伝わるでしょうか。

この図のように、僕らあるものとあるものの繋がりや関係性を発見すると、ちょっと心が動くものだと思う。

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大きな感動から小さな感動まで、僕らは関係性の発見を求めてる

感動と言っても、幅はとても広い。

涙を流してしまうほどの感動もあれば、ちょっとびっくりという程度の感動もある。

例えば、偶然出会った誰かと共通の知り合いがいることが分かったら、僕たちはちょっと感動する(だからか知らないけど営業マンとか接客業の人って会話の中で共通の知り合いを探すってよくやりますよね)。

最近友達になった誰かと、実はあのとき同じイベントやライブの会場にいたのだなんて話を聞くと、ちょっとだけ感動する。実は既に出会っていたのだ、というような、変な感慨が押し寄せる。

創作物の、仕組まれた感動も、関係性の発見

アニメドラマ映画小説と言った物語であれば、この「関係性の発見」はよりドラマチックに仕組まれたものとなります。

ああ、あのときのあのセリフは、こういう意味だったのか。

あそこであれをしたのが、ここで活きるのか。

伏線を張るなんて当たり前のようにされていることだし、これは伏線だなということも分かることも多いけれど、やはりそれらが見事に回収され、ピタッと繋がると僕らの脳みそは喜ぶ。

余談だけど最近では、アニメ『宇宙よりも遠い場所』のプロローグと、第12話の、母の遺品であるPCを開くシーンのリンクに感動して、思わず泣きました……

見てない人は是非見てみてほしい。

大自然の不意に訪れる感動も、関係性の発見

雄大な景色を見て感動した、という人の気持ちが、実は僕はよく分からないです。

グランドキャニオンを見て思わず泣いたとか、オーロラを見ると涙が出てきたとか。

感動の裏には「関係性の発見」があるのだとしたら、きっとこの場合、「自分との関係性」に感動しているんだと思う。

「綺麗な景色」があるのではなく、「綺麗な景色を見ている私」がいる

ここまで来た自分、雄大な景色の中にいる矮小な自分。

そうじゃなければ、例えばその自然遺産やなんかが、一目見ただけで圧倒的な感動を引き起こす代物なのだとしたら、写真を見ただけでそれなりに衝撃なはずだし、小さな子どもでも男泣きみたいな泣きざまを見せるに違いない。

けど違う。ただそれがそこにあるだけでは、決して感動という域には達しないと僕は思う。

何かとリンクしたという経験こそが、多かれ少なかれ僕らの心を動かすものなのだと思います。

感動するには新しい関係の発見でなくても良い

実は、以前書いた感動に関する記事では「感動とは、新しい関係の発見だ」ということを書いたのですが、最近では、特に新しくなくても良いなと感じることが多いです個人的に。

もちろん意外な繋がりや不意のリンクには衝撃があって、確かにこちらこそを感動と呼ぶに相応しいのかもと思うけど、別にそんなこともないなと。

さっきアニメや映画の伏線の話をしたけど、実際、もう何が伏線なのかって何となく分かりますよね。

動画の配信サービスとかやたらと多くて、みんなすごい量の作品を見ていて、相対的な視聴者の「見る目」って多分一昔前より一段か二段ほど向上してるんじゃないかと思う。

あ、ここのこのセリフはチェックポイントだぞとか、このシーンはなんか意味があるぞっていう風に当たりを付けられる人が多いと思う。

その中で「新しい関係性の発見」をさせるのは大変困難で、もうそれを目指せば奇をてらう発想になりかねない。

それならもう王道でもあざとくても良いから、カチッと接続させてくれ!全部見事につなげてくれ!みたいな感情が強いです。

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