春、去年着てた服ダセぇなこれ現象が文章でも起こる

もうすぐ春だからかなんか知らないけど、自分の中でほのかに立ち上る変化の気配を感じている。

漠然とした感覚だし、あまりに微動で、どこがどうとは言えないのだけど、とにかく何かが変わっている自覚があって、落ち着かなく気持ちが悪い。

具体的なことを言えば、過去に自分が書いた文章に実感がない。別人が書いたみたいに見える。単純に数が多いから覚えていないという可能性もそりゃあるけどそうじゃなくて、記憶はあるのに実感がない。

僕ならこんな風に書かないぞ、てかこんな話題まったく興味がないぞ、という拒否反応みたいなものがあって、今の僕から見るとかつての僕は別人に見える。家の中に知らないおじさんがいてやたら取り乱すみたいな心境。

こういう文脈を見れば、こころ優しい人生の、もしくは文章の先輩方は「それは成長してる証拠だよ」と言ってくれるのかもしれないし、僕自身「これは成長過程に起こる脱皮みたいなものなんじゃないか」と思いたくなるんだけど、これが良いことなのか、悪いことなのかは本当に分からない。

ただ、変わらないことと変わることを比べたら、変わること自体は良いことだろうと思う。そういう楽観的な思考を信じて、この変化の感覚をじっくりとこね回して観察したいという欲求がある。

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今の僕が気持ちよさを求めて書く

何が変わりつつあるのか分からないけれど、多分僕は今の僕の段階で、気持ちよく書くことや、興奮しながら文章を書く方法、もしくはそんな内容を探すべきなんだと思う。

文章のすばらしさは制限をちょっと越える気持ちに宿るのではないか

という記事を先日書いたのだけど、もしかしたらこれも自己を越えて書かねばならないという気持ちが書かせたものなのではないと思います。

気持ち悪いのは、自分のことが分かってる自分と、自分のことが分かってない自分の二大勢力のうち、分かってない自分の方がだんだん強くなってきて、分かってる自分が戸惑ってるからなんだろう。

あれ主導権握ってんの俺じゃなかったっけって思う自分の身体の自由が全然利かないみたいな不自由さだけをクリアに自覚できるから、何となく気持ち悪いのかもしれない。

ここは思い切って、まだ自覚できていない自分に主導権を明け渡す感覚で、どうしたら自由に身体や頭を使えるだろうと色々試してみたい。

去年着てた服ダセぇなこれ現象が文章でも起こる

なんかややこしい書き方をしてしまったけど、この感覚はあれだ。衣替えの季節になって、久々に半袖の服を出したとき、「え、おれ去年こんなの着てたの?」っていう感覚とほぼ同じだ。

そのときは気に入って買ったはずの服も、なんなら去年のヘビロテ要員の一着だったヤツも、なんか無性に色あせて見える。有体に言えばとんでもなくダサく見える。愕然とする。なんで誰も言ってくんなかったの、って思う。

これと同じ現象が文章でも起こる。

いかんぞいかんぞこのままでは外歩けねえぞみたいな気持ちになって急にそれまでなかった買い物欲が湧いてくる、ちょうどそんな感覚で、「文章の書き方」にまつわる本を読み漁ったりする。

そしてまた、今の自分の気分にフィットする何かを選んでは、自分のスタイルに取り入れて、最初からこうでしたよみたいな顔をする。

恥ずかしい。けどこういう風に何周も自己破壊と創造を繰り返し、だんだん自分に似合ったスタイルや、ずっと無性に好きでいられる芯となる感性みたいなのを纏えるようになるのかもしれない。もしくは、移り変わるものに合わせていく手間が大事なのかもしれない。

そういう風に文章を身に付けたい。

あらゆるものが色あせる。

暖かい季節に先駆けて、僕の中にいる虫がウゴウゴしてる。

春っぽい。

春、去年着てた服ダセぇなこれ現象が文章でも起こる(完)

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