30年前の、お金の未来に関する対話/『三つの鏡』ミヒャエルエンデとの対話』を読んで

三つの鏡―ミヒャエル・エンデとの対話』の出版年は1989年、僕が生まれた次の年。つまり30年ほど前。

この頃から、「今のお金」に対する危機感というか、便利を超えてなんだか人生を支配しすぎている感みたいなものを感じている人がいたということに驚きです。

ところが30年経った現在では、この本で語られている内容(特に井上ひさしとミヒャエルエンデの対話を指しています)の希望的な未来が訪れていると思います。

この本の内容について軽く触れながら、お金の未来について考えてみたいと思います。

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お金が商品になりすぎるのは問題?

資本主義というのは、利潤の最大化を目指すシステムだといいます。

最低限の労力で、最大の価値を生み出せるように頑張ります。

規模が大きくなればなるほどその動きはダイナミック。

八百屋さんをするなら野菜とか果物を安く仕入れて、ちょっと手間賃的なものを上乗せして売れば儲かるけど、大きな会社は、最大の効率化を図るためにまずは大量の資金を投入、設備やシステムを整え、超効率的に動かなくてはなりません。

そうなると当然最初はどこかに借金ということになるけど、そういうことをすると金融とか為替とかいう話になってくる。

だけど、この競争社会で抜きんでるためにはまず大量のお金が必要なものだから銀行とかがお金を貸してくれるとかっていうのは意味があります。

銀行としてはあんたに賭けたよ、あんたを信用するよって意味でお金を貸して、貸した分のお金に利子をつけて返してもらうことでお金を儲けます。

あの『モモ』や『果てしない物語』で有名なドイツの児童文学作家ミヒャエル・エンデは、お金に対する問題点として、為替相場を通して、お金が「完全に商品」となってしまっているということを挙げています。

利子(単利)が利子を生んで(複利)、どんどん膨張していくように出来ている。お金自体に商品価値があるから、お金が動く度にそれにちょっと価値を上乗せしなければならない。

すべてを破壊していく元凶、もう自然保護運動にいたるまで事柄を駄目にしてしまう元凶は、お金自身が商品になってしまった事実があると思います。

膨張する資本主義システムへの対抗策

お金自身が商品というのはどういうことかというと、まず、どんな企業も必ず稼ぎ続けなくてはならないという事実から考える必要があります。

大量の人、エネルギー、資本を使って、使った分以上の利潤を作らなくてはならない。

資本主義経済では利潤が全てですから、いかに安く、大量に作り、いかに効率よく売り、いかに儲けるかがポイントになります。

大量に作り、大量に買わせ、大量に捨てさせる。それには大量の資本が必要になり…っていう風にやっていくと、今の競争社会が出来上がる。

使い捨てを推奨するシステムだから、言い換えればいかにゴミを作るかという仕組みでしょうか。

一世代前の携帯電話を使っていたらそれじゃもう古い、今度はこっち、更にこれはニューバージョンでという風に、どんどん先に使ったものをゴミにしていきます。

技術の発展と言えば聞こえはいいけど、資源の無駄遣いとも言えます。

今では環境問題もしっかり考えなくてはなりませんから色々と変わっているのかもしれませんが、『三つの鏡』の中でミヒャエル・エンデは環境を汚染する工場を例に出しています。

環境破壊をする工場に対して、そういうことは控えましょう、地球のために。という結論は一応出しますが、実際には資本主義というモンスターがいるせいで現状を変えられない。

なぜなら、利潤を追求するやり方=ゴミや有害なものを大量に発生させるやり方を止めると、製品が高くなり、売上が見込めなくなり、競争力を失います。

そうすると大量の失業者が生まれる。治安や国力は落ちる。

この悪循環の中では二つに一つを選ぶしかない。世界を破滅させるやり方ではあるけれども今のままの方向で進み続けるか、それとも大量の失業者と経済破局を覚悟するか。

どうすれば良いのでしょうか。

私が見ている唯一の克服の道は

あ、克服の道があるんですね。

本当に理性的な洞察によって、お金の制度自体がその内部ですっかり変わらなければならないことに、経済界の人たち自身が気づくことです。

これって、例えば今話題の仮想通貨のことだったりするのでしょうか。

利益を当てにするのではないお金のあり方が生まれること。

うん、こういう素朴なお金の使い方をもっと便利にできるようになるべきだと僕も思います。

 お金はあくまで便利な道具 地域通貨の提案

お金の本来の機能は、

①価値の交換

②価値の尺度

③価値の蓄積、保存

この、お金本来のあり方が維持できていれば、お金とは便利なものです。だって、人によって価値観は違うし、そのときによってものの価値は違うから。

物々交換じゃなくてそれぞれに適正な価値(作りやすさとか珍しさとか、重さとかを考慮して)を付けて、お金で交換できるようにする。

リンゴは時間が経って腐ってしまったら価値は皆無。だけど作ったリンゴを売ってお金にしておけば、リンゴを作ったという価値は保存できる。

それまでは便利な道具だったのに、いつのまにかお金自体に価値が生まれてしまったあたり(商品になってしまったあたり)が問題だという話です。

競争に勝つためにはまず資本がなければならないし、環境にとって不本意なやり方で競争し続けなくてはならない。競争のためには資本が必要となり、利子分を回収するために激しい競争をしなければならない。これは崩壊を招く可能性がある。

お金が商品になってしまったのが問題と端的に言ってしまえば少し偏った考え方かもしれませんが、何となく「そうかもしれないな」と思うことはある。

ミヒャエル・エンデはお金のあり方を取り戻す手段として、利子のない通貨である「地域通貨」を提案しているようです。その地域限定ではあるけれども、競争に使う通貨じゃない通貨。あくまで道具としての通貨。

調べたら実際に使われている地域通貨って過去も現在もいっぱいあるみたいです。

この「地域通貨」は、ひと昔前であればあまりにも野暮ったいものだったと思います。持ち運びが不便だし、これを作るのにお金もかかる。だけど仮想通貨ならそういう問題もなくなる。

もし、仮想通貨が地域通貨のような性質を最大限に発揮すれば、僕らの生活にフィットする、ちょうど良い存在になるのかもしれません。お金がない=ゲームオーバーじゃなくて、人同士の秩序とか尊厳を守る手段として、あくまで道具としてのお金を作り出すという発想です。

今は仮想通貨も金融商品のようになっているのが残念だけど。

精神世界の豊かさを伝える作家の役割

エンデさんと対話している井上ひさしさんは言います。

若い普通の人々―もちろん我々も入りますが―には人間の欲というものに明るく愛想をつかしている方が多いと思うんです。エンデさんの言葉で言いますと、変わりうる人たちが結構多いですね。

僕もそう思います。
特に最近の若い人たちでは、本当に競争とか欲とかいうものに愛想をつかしてると思う。

上の世代の手前、お愛想で付き合っているという感じです。競争社会の弊害に肌で触れ、もともと豊かな物質に囲まれていたということもあって、そんなムキになることないじゃん、もう十分幸せじゃんと思っている人が多い気がする。

モノより思い出だし、報酬よりやりがいだし、社会的なコネより心の繋がりが大事。社会的な成功より、自分を裏切らないことの方が大事。

そしていつも持っていたいものは財産ではなく自分だけのストーリーです。大きな企業も、この価値観の理解なくしては成長できない時代なのではないでしょうか。

特にネット技術の繁栄で、一人ひとりが少ない元手で自分の居場所(現実にもバーチャル世界にも)を作り、幸せになる選択肢が急激に広がっている感があります。その多様に「お金」はついてきているだろうか。

定型の幸せを得るためには競争競争、莫大な資本を投入なんかしなくても、価値を生み出す方法はあるということ。

お金はほんの少しの潤滑剤で、なきゃないで不便を楽しめたらいいんじゃないでしょうか。すべてにおいてお金がついて回る、お金がなければ身動きとれないというのは錯覚で、人間の価値や尊厳、強かさはお金に左右されないところにあるべきだと思います。

(井上)お金や物では完全な幸せは手に入らないことが、だんだんみんな分かって来ていますので、お金とか物とは違う、エンデさんに即して言えば、精神世界にものすごい豊かさがあるというすばらしい物語をたくさん読んでもらうことによって、普通の人の意識が変わることを信じてやるしかない、というのが、作家としての一応の結論ですね。

30年前の、お金の未来に関する対話/『三つの鏡』ミヒャエルエンデとの対話』を読んで(完

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