「人は物事を見たいように見る」という好例

人は見るものを見たいように見るものらしいですが、本当にその通りで、いつもフラットに、ゼロから物事を組み立てて、目の前に現れた事象を観察するのは至難の業です。

人は見るものを見たいように見るものだということを相当意識しなければ、自分がそれを見ているのか、それともそれを見たいように見ているのか、という区別を付けることは難しい。

これは単純に「偏見や先入観を抜きにして物事を見るのが難しい」ということで、そんなことは言われるまでもなくよっく分かってるはずなのに、それでも難しい。

これはしばしば勝手な評価をして理解を阻んだり、独善的になることがあるので、できるだけフラットなものの見方ができるようになりたいというようなことを以下の記事で書きました。

フラットで客観的な見方ができる人になりたい。朝は朝、夜は夜。晴れは晴れ。曇りは曇り

これは少々抽象的な話になってしまったのだけど、今回はタイトルの通り「人は見るものを見たいように見る」という好例を見つけたので、僕らの誰もが持っているそういう性質が、現実をまったく別のものにしているという話をしたいと思います。

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猫の視点とばあちゃんの視点

うちの猫とばあちゃんの話です。

うちの庭に、最近野良猫さんがやってくるようになりました。どうやら2∼3匹ほど我が家の庭に寄る輩がいるようです。

うちの飼い猫であるモモさんは庭にヨソのヤツがやってくるとなれば縄張りが荒らされるので気が気でありません。

実際に庭に来たら必死に(室内で窓から窓へ移動する形でだけど)追いかけて威嚇するし、何もいないときもパトロールを強化しているようです。

僕から見るとモモさんはヨソの猫が来ることにストレスを感じていて、怒っているように見える。

そして多分実際にそうだと思う。だってしっぽこんなに膨らませて威嚇してるのです。

ところがばあちゃんから見るとお友達を待っているように見えるようで、モモさんが庭を眺めていると「今日はまだお友達来ないねー」って話しかけてるし、たまたまモモさんが別の部屋にいるときに野良猫がやってくると、「ほれ、庭に白猫が」ってわざわざ呼びに行く。

「いやばあちゃん、たぶんモモ喜んでるんじゃなくて怒ってるんだと思うんだ。だからわざわざ見せなくて良いんだよ。モモはそんなに平和な感じな心境じゃないと思うよ」

このやりとりを何度もしてる。

可愛いあの子と使えない新人君

ほんと、僕らは物事を見たいように見るようにできている。

ばあちゃんの場合は顕著だしなかなか情報をアップデートしてくれないけど、なんか野良猫が来るたびにムキになってるモモさんと、毎度まいど「ほら野良猫が遊びに来たよ」ってやってるばあちゃんを見ていると、僕の方が見たいように見てるだけなのかもとも思う。

モモさんは本当に友達を待っていて、一緒に外に出て遊びたくて追いかけてるのかもしれない。それは本人(猫)に言葉で説明されなきゃ分からないけど、しっかしそれにしても僕らは物事を見たいように見るもんだと思う。

可愛い女の子を見たら優しくてよく笑う天使みたいな子に違いないって思ったり、新入クンは使えないに違いないって思ったりするだけでなく、実際にあらゆる行動が「天使の証拠」になったり、「使えない証拠」になったりする。

猫が可愛いからって頭の中まで可愛いわけじゃないどころか、多分「てめえ誰に断ってきたねえ足つっこんでんだコラァ!」くらいの勢いで怒ってるんだけど、ばあちゃんから見たら「今日いっぱいお友達きて良かったね」になる。

頭の中と実相が全然違う。

僕ら物事を見たいように見るけど、けっこう見られたように振る舞ったりもする

程度の違いこそあれ、誰でも「物事を見たいように見る」ようにできている。

それが何?という話かもしれないけど、とにかく僕らはそういうところがあるというだけの話です。そういうとこあるよなあって思ったって話。

あと面白いと思うのは、僕らはけっこう「見られたなりに振る舞ったりする」ということ。

真面目だと思われてると思ったらその人の前では真面目に振る舞ったりするし、優しい人だと思われたり、賢い人だと思われてると分かったら、僕らはそういう予想を裏切ったり本当の自分を貫いたりせず、けっこう素直に見られてるように振る舞う。

可愛いあの子はどんどん可愛くなっていくし、使えない新人君はどんどん使えなくなっていく。

これを多少実生活に寄せて思うことがあるとすれば、「人に期待する」というのは良いものだ、多少根拠が足りなくても人を買いかぶるのは良いものだ、と思う。

ちなみに猫はどんなに見たいように見ても一向期待に応えてくれない。

そういうところがたまらない。

似たようなことマイナス面として書いたことがありました。興味ある方はどうぞ!

自分の頭で考えることができない/枠組みに依存する人間

「人は物事を見たいように見る」という好例(完)

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