「頑張る」の意味って時代によって変わっていってると思った

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「頑張る」ってことばにどんなイメージがあるでしょうか。

大きくポジティブなイメージ、ネガティブなイメージ、どちらでしょうか。

「頑張って」と言われたら嬉しくなるでしょうか、それとも辛くなってしまうでしょうか。

「頑張れ」と言うとき、相手にどんな気持ちを抱いてほしいでしょうか。

「頑張る」という言葉は個人的に興味深く、曖昧で実に日本語的だなと考えています。

時代によって、状況によって、「頑張る・頑張れ」は良い意味にも悪い意味にもなる。手札としては良いのですが、切るタイミングを間違えれば逆効果になる、という感じ。この記事ではそんな感じの話をしていきます。

 

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頑張るの語源は?

頑張るの語源はいくつか説がある(のかな?)ようなのですが、僕が聞きかじったのは「我を張る」から転じて「がんばる」→「頑張る」です。

「我を張る」と言えば一気にネガティブなイメージになりますよね。

わがままとか意固地とか融通が利かないとか、そういう印象になります。

あれはおよそ8年ほど前でしょうか、姉と共に姪っ子が帰省してきたとき、既に他界しています祖父が「この子は頑張らん子だ」と姪を評価していました。

空気感で判断すれば祖父は良い意味で「頑張らん子だ」と発言したのですが、僕らは少し混乱しました。

「頑張らない子」って褒められてると思わないですよね。

しかし祖父は「我を張らない子」という意味でそう言ったのでした。大人しくだっこされて機嫌が良い姪っ子を見て、「頑張らん子」だと言った。

つまり祖父にとって「頑張る」はネガティブワードだった。

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「ファイト」の翻訳語としての「頑張る」

僕らが普通に考えている「頑張る」のイメージって、英語の「ファイト」を翻訳した上での「頑張る」ではないでしょうか。

もうひと踏ん張り戦うんだ、ここで力を使うんだという、応援としての「頑張る」です。

スポーツの応援、人生の踏ん張りどころ。もっとカジュアルな場面でも、僕らは頻繁に頑張る、頑張れを使いますよね。

この使い方に関して、例えば僕の祖父のように高齢の方が違和感を抱くかというと別にそうでもないのでしょう。

うちの祖母も普通に「ファイト」の意味で「頑張れ」を使いますし、ただ「頑張る」の意味が時代を経て広くなったということだと思います。

状況によって印象が違う「頑張る」

「頑張れ」がタブーとなってしまうことってありますよね。

頑張れと言われてすごくバカにされた気がすることもよくあるはず。

特に自分でできていないと自覚できる分野に関して「頑張れ」と言われると傷つきます。

(余談)FF8で、サイファーとキスティス先生とのやりとりに以下のようなものがありました。

キスティス先生「あなたが班長よ、がんばりなさいね」

サイファー「先生… おれはがんばれって言われるのが嫌いなんだよ。その言葉はデキの悪い生徒に言ってやれ」

キスティス先生「なるほど。サイファー、がんばってね」

また、既に頑張っている人に頑張れを言うのも禁物だったりします。

この辺りは意味というより使い方の問題ですよね。

良い言葉だからいつでも使えるわけじゃないし、悪い言葉だから使っちゃいけないわけじゃない。

ポジティブに働くこともあれば、ネガティブに働くことがある。

頑張れはよく利用されるわりにそういう意味で繊細な言葉だと思うので、使い方に注意しなければならないですね。

現代では「我を張る」ことこそ大事では?

最後に言いたいのは、現代では「我を張る」ことこそ大事ではないかということです。

つまり、頑張るの語源である「我を張る」の方の印象が、現代においては決してネガティブなものではなくなっているのではないかと思うのです。

一昔前の日本では、「我を張る」のは良いことではなかったかもしれません。

協調性がなかったり、意思表示が強すぎたりすると集団から疎まれたり、団結を乱したりしたかもしれない。我を張る性質は歓迎されなかったのかも。

だけど個人化の時代がやってきて、集団に属すること、一致団結することの小回りの利かなさが豊かさに影響を及ぼすようになった今、それぞれが「我を張り」意見を主張したり、スタイルを貫いたりすることが重要なのではないかと思うのです。

 

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