義務教育で教えたい、価値観の捨て方

結婚して8か月が過ぎました。

僕にもいつか子どもができたりするんだろうかと考えることがある。

この目まぐるしい時代、自分の子どもに教えるべきことって何なんだろうと思う。

自分の子どもに身に着けてほしいこと、これだけは覚えてほしいということ。

色々考えたけどまったく答えが見つからなかった挙句多少なりともピンと来たのは、「価値観の捨て方」だ、と思いました。

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マリオのキャプチャーが羨ましい

世の中にはいろんな価値観が溢れていて、それぞれの価値観によって作られる日常は同じ世界で暮らしているのにまるで違ったりする。

そんなことを考えていたりしているうちに思ったんだけど、マリオオデッセイで採用されているキャプチャー機能が羨ましくて仕方ありません。

キャプチャーってこういうこと↓。まあ乗っ取りもしくは寄生ですね!

帽子を媒介して、別の生き物にキャプチャーして、その性質や動作を自分のものにできる。

僕は純粋にこれ羨ましいなと思う。

猫や犬はどんな風に世界を見ているのか、砂漠で暮らす生き物は、海で暮らす生き物は、どんな価値観や世界観を持っているのか。

それを体感できるのは羨ましい。

動物も気になるけど、僕は日常で別の人になりたい、と思うことが多いです。

この人みたいに生きられたら良いのに、この人の仕事羨ましい、この人の才能や情熱が羨ましい。

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他人になることはできる

他人のことを羨んでいてもはじまらない、とは言え、現実世界では他人のキャプチャーってやろうとすればできるんですよね。

現代は情報やノウハウが溢れているから、何かに興味を持てば小一時間とは言わないまでも一日その気になって調べればそれなりの情報通になれる。

作家やミュージシャン、モデルや俳優みたいに、選ばれし人間みたいなイメージがあるものでも、真似から始めて、個人的に活動して、かなり本格的にそう振る舞うことはできる。

他人を羨めば、かなりの確率で(それが世間的に見ておままごとのレベルだとしても)実現できる。

僕ら今はかなり自由に、なりたいものになれる。

そしてマリオのように、必要なときにそう振る舞って、不必要になればその肩書きを脱ぎ捨てるみたいなことだってできる。

納得の橇(ソリ)を乗りこなし

肩書きも生活スタイルも選び放題が当たり前のこの時代に生まれる僕らの子どもは、きっと今よりずっと「何者かになること」が難しいと思うんです。

別に何者かにならなければならないということもないのかもしれないし、いろんな面があって良いのだろうけど、「自分って結局なんなんだろうな?」という問いに悩まされる人はもっと多くなるのではないか。

だからもし自分に子どもができたら「価値観の捨て方」を学んでほしい。

もう義務教育で教えてほしい。なんなら僕にも教えてほしい。

世の中にはいろんな人がいて、いろんな暮らしがあって、いろんな考え方がある。

どれも一長一短で完璧ではないことはすぐに分かるけれど、どんな生き方も、納得さえできれば最高に誇らしいものになる。

必ずそういう誇らしい自分が必要になる日が来ると思う。

そのためには、いろんな価値観の中からたった一つを選ぶ力も必要ですが、なにより日々雪崩のように押し寄せてくる他人の価値観という情報を、軽やかに捨てる力が必要だと僕は感じます。

納得の橇を乗りこなし、他の価値観を踏みつけ乗り越えながら目的地に達する力が。

自分ではない誰かになろうとするのは

ちょっと蛇足の話。

もうけっこう前の記事だけど、

自分ではない誰かになろうとするのはやめよう【寄稿】

という記事をいつだったか読んで、まだたまに読み返したりしてます。

 

もし、君が希望のライフスタイルを手に入れたいとそればかりに不安になって、とある肩書きを装い、いいところ取りを狙っているなら、君は肝心なことを見落としている。君が価値のあるものを生み出すことは永遠にないだろう。何かを生み出すということ自体、君のアンテナを擦りもしないだろうから。

「何かをやること」ではなく「何かになる」ことにとらわれてしまうことは皮肉だ。なぜなら、やることをせずに、何かになることなど一生できないからだ。

 

この時代、(過去と比べたら)なりたいものになりやすくて、価値観の着脱ってけっこう簡単にできる。

だからいろんなことができて、夢を叶えることも、もしかしたら簡単になっているのかもしれないです。

でも、何者かになることばかり考えて、なにかをすることに神経を研ぎ澄ますことができない環境はそれなりに不幸だと僕は思う。

何者にも簡単になれてしまうがゆえに、「何かをしてきた自分」「今何かをしている自分」を見失ってしまう経験を、自分の子はせずに済めば良いなと思う。

価値観の捨て方は義務教育レベルに大事なことだと思うけど、やっぱり自分で教えよう。

そのためにはまず自分が、他人の価値観を羨んで流されることなく、できることをやるのだ。

さまざまな価値観にさらされるけど、幸か不幸か僕にできることは限られてるから、そういう不自由さを頼りに生きていこう。

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