目標達成とその方法にこだわりを持つことは愚かなのか

発想と行動を記録する

僕らが使う常套句の一つに「出会いがない」があると思うんですよね。

それは身近に異性がいないということではなく、異性として意識できる人との出会いがないという意味で、つまり、恋愛に発展する気配すら感じない、という嘆きが含まれています。

出会いがないと嘆く人がいたら僕は二つくらいのことを考えます。

一つは、出会いがないと思うなら婚活パーティみたいな出会える場所に行くとか、新しい趣味を始めるとか、なにか行動を起こせば良いのに、ということ。

もう一つは、出会いがないって結局雑談のシメの言葉というか、今あんまり恋愛に興味ないけど棚ぼた的に良い異性が現れたら嬉しいけどそういうことってないよね、的な意味だから、出会える場所に行くとかすれば良いのにって解決を示す考えがナンセンスだよなってこと。

でもそれだって宝くじ買わずにまったく努力せず急に大金が手に入らないかなーって言ってるのと同じくらい都合の良い話だよな、とも正直思うのです。言わないけど、思うのです。なんでなんもやらずに出会いがないとか言うのかな、とか、言わないけど思う。

この、僕の頭に過る考えは正論ではあると思います。だけど正論って得てしてつまらなくなることが多く、僕が出会いに対して考えるこれはつまらない正論の最たるものだなと感じました。

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目標は達成できれば良いってわけじゃない

この記事で何が言いたいかと言うと、目標は達成できれば良いというわけじゃないことってけっこうあるよねってこと。

目標を掲げると当然聞いた人は目標を達成することが目的だと思うけど、実際そうでないことってあるというか、目標には違いないし達成はしたいのだけど、その方法は何でも良い、というわけではないケースが意外に多いということ。

だから目標を達成したければこうすれば良いのに、その目標を持ってるならなんでこうしないの?と思うことがあっても、実際受け入れられないことは多く、それは不思議でもなんでもなく、普遍的なことなんじゃないだろうかってこと。

さらにしつこく塗り重ねさせてもらうけど、結果よりプロセスが大事、ってヤツがけっこう真理で、僕らはもちろんハッピーエンドを期待してはいるのだけど、本当に楽しみたいのはそこに至るストーリーの方であり、そこに魅力を感じなければエンディングはあってもなくても良い、ということ。

これだけ書けば僕がこの記事で書きたいことはだいたいカバーされてるのだけど、こう考えるに至った経験を書かせてください。

クラウドファンディングで初期の支援を集められなかった僕は

僕は今クラウドファンディングで小説家を対象にしたアーティストインレジデンスをやってみたらどうだろうと思って企画を立ててみました。

はっきり言って達成は難しいと感じています。理想は企画を立てた最初から注目され、支援が集まるというもの。蓋を開けてみればそこそこ企画自体に目を通してくれる人はいるものの、支援には繋がらない様子です。

わりとはじめから、ちゃんとしたアドバイスをしてくれる人はいました。

身近な人に支援するように頼んでおいでよ、直接話したら支援してくれるよきっと、というようなもの。挑戦するんならもっと人を巻き込んで、チラシ配ったりもして地域の人にお願いしなよ、というようなもの。

正義には違いなく、アドバイスをありがたく感じました。また、クラウドファンディングの攻略法として、友人や親せきなど身近な人にはあらかじめ相談しておいて、初日に支援を賜る、というのが王道だということも知りました。

初日に大半の支援が集まれば、あとから見た人も盛り上がっている企画だと思い支援しやすくなるので、成功率が上がるのだそうです。

僕がそれらをやらなかったのは、根回し文化がどうしても好きになれないってことと、企画自体に魅力を感じてもらって支援してもらうことが理想だったからです。よく分からないけど支援はするよー、はプライドが傷つく。

もし敗因が身近な人に話を通しておかなかったことだとしたら、それはそれで納得です。チャレンジに失敗して、そら見ろ手当たり次第に声かけないからよって言われても、今度からはそうする、とは言えない。

出会いにこだわっても良いだろう

賛否あると思います。いやそんな偏屈なこと言うくらいならそもそもクラウドファンディングなんて使うなよとか、それにしてもそもそも人望がないから応援してもらえないんじゃないの?とか。

僕自身そういう風に自分を批判的に見たりもしましたが、やっぱり、目標は達成できれば良いってわけじゃないな、これで失敗してもそれが正解なんじゃないかという考えが曲げられません。これは愚かなことなのでしょうか。

こんなことを考えてるうちに、「出会いがない」という人に僕はどんなことを考えてたのかを思い出しました。「出会いがない」と嘆くくらいなら出会う努力をしろよと、婚活パーティとか合コンに行くとか趣味で繋がるとかいつもの生活パターンを変えて新しい場所に飛び込んでみるとか、できることがあるだろうと。

そんなことを何一つせず「出会いがない」というのはやめてほしいと思ってなかったか。

でも、「出会いが欲しい」ときって、正直口にするのは憚られるけど、いわゆる運命的な、作為のない、出会うべきして出会ったというストーリーが必要だと言ってるんじゃないかと思うのです。

そんな夢みたいなこと、都合の良いこと、起こるわけないじゃんっていう意見もまた正論だけど、そういうことを求めてないことが僕らには多いものですよね。

最初は何とも思ってなかったけどふとしたことで意識するような出来事があってとか、本当にたまったま誘われて行ったイベントで会った人と何かと縁があってとか、そういうものを期待し続けても良いし、それが正しいこともあるんだって今は思う。

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