たまには良いこと言うブログ

ブログについて

「たまには良いこと言うブログ」くらいの認識で読まれるブログを書き続けていきたいなと感じております。

「へえ、たまには良いこと言うじゃん?」って思われるブログです。

良いこと言いたくなりがち、良いこと言ったんぞ!ってなりがちなんだけど、良いこと言おうとしてすべり続けるのも辛いですからね。

「たまには良いこと言うブログ」ぐらいが続ける上で精神衛生上良いですね。

ということだけを言いたかったので以下蛇足です。

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人の役に立つブログ記事とは?

ブログ記事とか書こうとするときは「人の役に立つ記事を書こう」とか「誰かの考えるヒントを提供できたら良いな」とかわりと善性に満ちた気持ちで書いてるんだけど、残念ながらそう簡単に人の役に立つことはできない。

ブログ記事においては「人の役に立つ」とはどういうことなのか、けっこうはっきりした答えが出ています。

それは検索需要に応えること。

世の中の人がサーチ窓に打ち込むキーワードは、いったいどんな気持ちで、どんなことを期待して打ち込まれているものなのかをよく考えて、それに答える記事を書く。

ブログで読まれる基本と言うけれども、ただ書きたいだけの人、ちょっと思いついたことを書きたい人にとってはしんどい作業だったりします。

世の中の人が気になっていることと、自分が書きたいこと、書けることの間にはギャップがあるから。

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自然に無理せず人の役に立ちたいけど、自分はどんな「役」になれるか少し考える必要もある

人の役に立ちたい、という気持ちは「ありのままで、何かに迎合することなく、自分の価値を確かめたい」と同義になりがちで、「人の役に立ちたい」は利他主義の皮をかぶった利己主義だったりする。

誰かのためになるなら何でもしたい!ではなくて、私は私のままで誰かに価値を認めてもらいたい、なんですよね。

それはそれで悪いことだと思わないし自然なことだと思う。

むしろ健全ですよね。こういう気持ちが自分を見つめさせるから。

自分って何ができるだろう?どんなことで人に喜んでもらえたら嬉しいだろう?どんな風に人の役に立てるだろうって考えるには自分を大事にすることも大事だ。

ポーカーとか麻雀とか一緒で、手持ちのカードや牌の中からどんな「役」を作ろうか考える必要があって、なんにでもなれるわけじゃないし、自分で作り上げた「役」じゃなきゃ誇りを持てないし。

たまには良いこと言うブログ

ってここまで深く考えた上で言ったわけじゃないけど「たまには良いこと言うブログ」って目指すにはちょうど良いなあと思ったのでこの記事を書きました。

ブログタイトル「たまには良いこと言うブログ」にしようかなってくらい目指すのに丁度良い。

 

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