僕は待ち合わせが苦手です。
ただし、僕が遅刻をする確率はとても低く、実際に遅刻をした経験はあのときあの人との約束に何が理由で何分遅れたと答えられるくらい、くっきり思いだせるものが三つほど。
あと小さい遅刻があるけれど、遅れそうなら連絡をするし、連絡をしない場合はそもそも時間に厳格さが必要ない場合であり、かつ5分以内である。
つまり、傍からみれば僕は非常に常識的な行動を取ることができるし、時間にルーズという印象は人に与えていない可能性が高い。
しかし待ち合わせは苦手です。
待ち合わせの時間や何かの開始時間を定められると、遅刻してはいけないという意識が高まりすぎて朝から緊張してやらなきゃいけないことに手が付けられなかったり、道に迷いがちな僕は一度会場まで下見をしなければと思って、実際に下見に行ってしまったりする。
つまり病的に時間を守ってしまうという意味で苦手。待ち合わせ、開始時間を決められるとそれだけでプレッシャーとなってしまう。
だから僕は時間が決まっている予定が嫌いで、基本的に予定を立てるのが嫌です。
行き当たりばったりが大好き。今日家行って良い?とか急に言われる方が良いです。
できるから得意とは限らない
何が言いたいかというと、タイトルの通りなんだけど、「できるから得意」とは限らないということ。
できることは周りから見れば得意そうという評価になるのだろうけど、圧倒的な苦手意識とか恐怖感情のせいで「やってしまうこと」「できてしまうこと」ってけっこうあるのではないか。
早起きが苦手な人は単純に「起きられない」というパターンもあれば、「朝起きるのが億劫すぎるので徹夜する」という選択を取るパターンもあるはず。反対に「早く寝すぎる(起き過ぎる)」とか。
不合理な行動を取ってしまう。過剰にストイックにこなしてしまう。
そういう病的な、仮面性の優秀さを纏って生きている人はとても多いと思う。
仕事ができる人は仕事が得意なのか?
コミュニケーションが取れる人はコミュニケーションが得意なのか?
僕はよくこういう疑問に悩まされます。
人より苦手だから人より過剰に準備をして、緊張して、やってしまっていること、結果的にできてしまっていることが多いのではないか?
そういう人を勝手に「できる人」と見なしてプレッシャーを与えていないか?
好きなこと、できることに囚われる
働き方とか、生き方、暮らし方を模索して、自分にぴったり合ったオリジナルの道を探す人は増えたと思います。
好きを仕事に、得意を活かす。できることをやる。
だけどできることって本当に得意なのか?好きなのか?と問えば、ちょっと違うものもあるかもしれない。
現代はある程度誰でも否応なく生き方を模索して、作り上げていく必要がある時代なのだと思います。
人生のパッケージ感覚は乏しくなっていってると思う。
それこそ好みもあると思うけど、端材やガラクタを拾ってきて、もしくは材料を自分で調達して、1から作り上げるような生き方を志向する人も多いだろう。
そういう風潮になれば、好きや得意を探し始めてしまうこともある。自分にできること、自分がやってしまうことに縋ってしまって、ニュートラル状態で緊張というような状況に陥っている人もいるのではないか。
という記事をちょっと前に書いたんだけど、僕はまさにそういうところがあるなあ。
好きじゃなきゃ、没頭しなきゃ、ひいてはこれでこうやって生きて幸せじゃなきゃっていう強迫観念みたいなのがある。
そんなプレッシャーを感じることも、人に与えることも、避けたいものだ。
三歩進んで二歩下がるくらいのペースで
僕らは好きなように生きることができる。
かなり自由に、自分の感情や嗜好に従って、人生を作り上げることができる。
その方法もシェアされ続け、あと数年もすれば好きなことをして生きるなんてわざわざ口に出すようなことじゃなく、極々一般的な生き方になるような気配さえする。器用な人はどんどん自分の道を作っている。
だけど、もしそういう生き方に過剰な正しさを与えてしまうと、中には「できるからと言って得意であるとは限らないこと」で人生を作っていかなければならない人もいるかもしれない。
それが幸せかどうかは分からないし、過剰にストイックになったり不合理な行動を取ってしまったりして、緊張状態が普通になってしまっているかもしれない。
これじゃあストレス度は他人が作った道を行くのとあんま変わらないなあ、と思いつつ、いやいやでもこれが好きな生き方なんだ、おれはこれで幸せなんだって言い聞かせて、人にそうやって言って回って認めてもらって、何もかも整ったとき、居心地の悪さをはっきり感じることもあるかもしれない。
今の風潮に乗って生きることとか、時代のスピード感に合わせるとかを優先すると、自分ができることや好きなことを疑うヒマなんてないかもしれない。
そういうの怖いなあ、不安だなあとネガティブな僕が叫んでいる。
何が間違っているとかそういう話じゃなくて、自分の気持ちとかそういうのも分からないもんだと思うから、時代の風潮とかスピード感に惑わされず、三歩進んで二歩下がるくらいのペースで、焦らずに人生を作っていきたいなと思う。
できるからと言って得意とは限らない。(完)
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