今後ブログで書きそうなことをメモしておく日

今日はメモの日にします。

書きたいことが積もってまったく整理できていない状況にも関わらず、書きだすとどれ一つまともに最後まで書けないみたいな、下品な話だけど便秘みたいな状況に陥っています。

とりあえず出せるだけ出すことにする。

今興味があるトピック、ブログに書きたいトピックは以下の通りです。

・100人中100人が正しいと言ったことは急に嘘くさくなるというかほぼ確実に間違いを孕んでいると思える不思議。多分パーセンテージによって正しさの「正しそうな感じ」は変わる。正しさは数で決まるのではなく、バランスで決まるのでは。

・コミュニティを形成する上で、似たような性質の人同士が固まった方が気持ちが良さそうだけど、同時に、同じ性質の人同士が固まり過ぎるとウザいという気持ちもあって、これも上記の「正しさのバランス」と通じるものがあるのかもしれない。

・上記の二つはあるコミュニティを客観視したときの問題であって、傍からみて、自分たちの正しさを疑わない連中で構成されているコミュニティは胡散臭い。しかし、そのコミュニティ内にいることは心地よい。つまり上記二つで言うバランスとは、主観と客観のバランスなのかもしれない。

・このバランスを保つ工夫をどのようにしていくべきか。そもそも人為的にコミュニティ内のバランスを把握しコントロールすることは可能なのか。可能であったとして、コントロールすべきなのか。そういうコミュニティに魅力はあるのか。おそらく、身近なコミュニティにおいて、無意識にバランスを取っている誰かがいるはず。

・これまで書いてきたコミュニティについての記事をまとめて読み返してみたい。考えが変わっていたり、深まっていたりする可能性がある。

・現実のコミュニティを観察することは、小説を書く際に役立つと思う。僕らは組み合わせによって言動が変わったりする、発言率が変わる、割と人が変わったようになることは多く、一貫したキャラクターというのはある意味現実味を欠いている可能性がある。

・小説上の表現で、どれくらい現実味を重視するか。例えば身近な同じ年代に「○○よ」「○○だわ」と話す人はいないように思うけれど、小説内では頻出するように思う。また、実際の会話は実際に文字に起こすと言うほど会話になってない。この問題は既に語られている感があるけれど、自分で考えて、バランスを考えていかなきゃいけないと思う。

・一番の関心は、現実世界では物語世界中の人物同士のように、お互いの思惑や状況を汲んだり、キャラクターとして尊重するようなことが少ないように思うこと。物語内のキャラクターとして個人を尊重することは少なく、実際はそれぞれが勝手に相手をキャラクター付けしてコミュニケーションをとる。

・キレイなものに見飽きた問題。キレイな写真をたくさん見るけれど、キレイなものはキレイなだけで、最近はキレイなことを頭で理解している状態なような気がする。美しさと好ましさを切り離すことはできず、好ましさには記憶や感触といったもっと切実なものが積み重なってできている。

・あらゆるものには毒が必要だと思うという話。毒は様々な形を取る。毒の話。キレイなものはキレイなことは分かるけれど面白く感じない。切なさが足りない。やはりバランスの問題を考えているのかもしれない。

・ツイッターとか人のブログとか読むとたまに思うんだけど、みんなが頑張ってるなら僕は頑張らなくても良いんじゃないかってナチュラルに思うクズ発想にびっくりしたという話。働きアリの法則みたいな話になるけれど、どんなに小さなコミュニティでも、仕事にあぶれる人、さぼる人はいる。僕は今怠けアリのメンタルを持っていると自覚する瞬間がある。ここにもコミュニティの不思議がある。

・関連棚
『熊と踊れ』と『カラマーゾフの兄弟』を読み比べて思うこと→信用できない父性について。

『ドリアングレイの肖像』と『他人の顔』を読み比べて思うこと→顔と性格について。

妖怪の本を最近よく読んでいるので妖怪に関する何らかの何かを書きたい。

たぶんいまのところこれくらい。今後整理しながら書いていきます。

今後ブログで書きそうなことをメモしておく日(完)

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