優越感なしでは人は幸せになれないのか/『鋼の錬金術師』が刺さる、何度も。

何を持っているかより、何を人より多く持っているかで幸せかどうかが決まるのではないか、と思うことがある。

「人が持っていないものを持っている」 「人より多くのものを持っている」 「人より優れている」 という優越感なしでは、多分多くの人は自分の持ち合わせているものに満足することがないのではないか。

そんなことが思い浮かんで、ああ確かに優越感というものはなくてはならないものだと自分自身に感じるとき、僕は『鋼の錬金術師』を読みます。※リンクは少年ガンガンの公式ページに飛びます。

ひるがえせば「自分は人より多くのものを持っていない」と感じ、つい不幸を感じてしまうとき、『鋼の錬金術師』の物語は僕にグサグサと突き刺さり、なんて自分は馬鹿だったんだと気付かせてくれる。

お前は頭が悪いから不幸せなんか感じるんだと怒られているような気分になる。

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優越感は2種類ある!

例えば自分の彼女は世界一可愛い女の子だと思っていれば優越感はハンパではないでしょう。

実際は世界の99%の人にとってはそれほど魅力的ではない女性と付き合っていたとしても、自分が人より優れたものを持っていると思えればそれで成立するのが優越感という感情です。

これは幸せに違いありません。

もう一つの優越感は、例えばクラスの誰にもモテモテの女の子と付き合うことになったというパターンです。

みんなに羨ましがられて、睨まれて、憎まれさえするかもしれないけれど、そんなドロドロの感情でさえ全て心地よい初夏の風のようじゃという心境。

正直、個人的にはそこまで可愛いか?と思えるような人だったとしても、他のみんなに羨ましがられるという状況に優越感を抱かざるを得ません。

これも幸せです。

この二種類の優越感を持つ人がそれぞれいるとして、果たして本当に幸せなのはどちらでしょうか。

どっちも幸せです。

ただ後者の場合、周りの評価が変われば一緒に幸せじゃなくなるというデメリットがあるので「絶対」ではありません。

周りの評価がガラッと変わって、それでも自分はこの子が好きなんだ!なら、引き続き幸せ、むしろやっかみとかなくなって嬉しい限り、で良い。

でもそもそもそんな言う程可愛いか?と本当に思っていたとしたら、個人的にも彼女に興味がなくなってしまう。

その程度のものを喜んで持っていたの? かっこわる。という話しです。

優越感は良いけど人の価値観に乗っ取られ過ぎじゃなかろうか。

僕にはそういうところはないだろうか。

いやあるな…他人の価値観に影響されて主観が揺らいでしまうこと。

『ハガレン』の前に価値観の変遷を前フリに

優越感が他者の価値観によって湧いてきたり萎んでしまったりする、ということは、世の中の「価値観の変遷」というのは一人一人の人生に影響する、すごく大きな出来事ではないでしょうか。

「価値観の多様化」に伴って、最近では車を持っているとか、一戸建ての家を持っているというようなことは大して羨ましいと感じる方は少なくなってきたように思います。

もしくは大企業に就職したとかっていうのも、ブランド物の何かを持っているというのも同様で、かつては羨望の対象だったかもしれませんが今では特別な優越感を抱く要素ではなくなっている気がする。

かつてはそれらのアイテムが優れた人間のステータスだったかもしれません。

今でも良い会社に入れるのは優れた人間の証かもしれませんが、ステータスと言うには少し趣が異なっている。

今では人より「金銭的に恵まれている」にも関わらず、人より「自由な時間がある」人が優越感を抱くようになっているのではないでしょうか。

乱暴な良い方をすれば、いかに「楽して稼ぐか」というテーマで世の中が回っている。どれだけの「ゆとり」や「余裕があるか」が優越感の素材になっている。

結局働き方も流行りです。

実際にそういう働き方が世の中にはどんどん定着しつつある。

例えばユーチューバ―やブロガーは多くの人にとって濡れ手に粟の商売で、優雅な生活を送っているように見えるでしょう。

僕はよくクイズ番組に出ている芸能人をやっかみたくなります。

こんな知ってるか知らないかだけのクイズに答えるだけでお金もらえるなんて楽過ぎるだろって。

ああ、と言うことは僕も、「楽して稼ぐ」とかって部分を羨ましく思うところがあって、そういう人達に内心卑屈な思いを持って眺めている部分があるのだと言うことでしょう。

つまり、現代のステータスを得れば僕もそれなりの優越感を抱く可能性があるということです。

一昔前の価値観で言えば、僕は車を持っていないからかっこ悪いしお金ないと思われるしモテないからダメなんだって思ってるのに、車が手に入った途端調子に乗っちゃって人を見下したりこれでモテるとか思ってしまう程アホなんだきっと。

自分の自由な時間とたっぷりのお金があれば優越感を抱けるという予感が恥ずかしい。

世間の価値観の変化に伴って自分の人生が魅力的に見えたり空虚に見えたりしてしまう可能性がかっこ悪い。 主観が揺らいでるなって思う。

鋼の錬金術師が得た真理

※以下『鋼の錬金術師』の内容についてネタバレがあります。

『鋼の錬金術師』の主人公であるエドワード・エルリックは物質的にも能力的にも非常に恵まれています。

なんせなんでもありの錬金術が使えますから、その気になれば石炭を黄金に作り替えることもできる。素材があれば何でも作ることができる。

IMG_0432石炭から金を作るエドワード   (鋼の錬金術師 第一巻 128Pより抜粋)

まだ子供と呼ばれる年齢ですが体術に秀でており、大抵の大人よりは強いです。

その上「国家錬金術師」という称号を持っているので、大抵の大人よりは普通にお金持ちで地位も高い。↓

IMG_0431   (同上 118pより抜粋)

地位・経済力・能力を持っている彼は、それでは人よりも幸せでしょうか。

つまり凡そ物質的な欲求は完全に満たされていて、地位や名誉と言った概念的、社会的な欲求も満たされているどんな価値観の上にも「勝ち組」と呼べるであろうエドワードは、誰よりも幸せなのでしょうか。

もしそうだとしたら彼と弟のアルフォンスは何を追い求めて旅に出ているというのでしょうか。

それは、彼らは過去の錬金術の失敗によって失ってしまった体(兄は片腕・片足、弟は全身)を取り戻す方法です。

そしてエドワードは結局最後に、弟の体を取り戻すために錬金術師としての能力を捨てます。

それは錬金術という便利な能力を捨てることであり、国家錬金術師という国家資格を捨てることであり、同時に地位も経済力も捨てることです。 それどころかそれは…

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こんなことを言われる程のことなのです。 (第二巻 左135、右136pより抜粋)

等価交換だ

物語の冒頭はこんなセリフではじまります。  

痛みの伴わない教訓には意義がない 人は何かの犠牲なしに何も得る事などできないのだから

  錬金術の基本は等価交換だと言います。

一のものからは一のものしか作ることはできない。

何かを得ようとすれば、何かを犠牲にしなければならない。

彼らが犯した失敗とは、死んでしまった母を錬金術で蘇らせようとしたことです。

望みすぎた者は真理によって残酷な現実を突き付けられます。

思い上がった彼らが真理に与えられたのは、「体の消失」と「どうしても母を蘇らせることはできないという絶望」です。

せめて自分たちの体は取り戻そう、その方法を探そう、というのがこの物語の発端なのですね。

最終的にエドワードはあらゆるステータスや物質的な欲求を実現する術を捨て、代わりに弟の体を取り戻しました。

多くのモノを持っているから多くを手に入れられるのか

これは、弟がそれだけの価値に匹敵する存在だったから、ではありません。

そういうもの全部を失ってもまだ自分は持っているものがたくさんあって、仮にあらゆるものを失っても何一つ犠牲にしていないという真理に彼が辿り着き、真理に打ち勝つことができたからです。

自分には応援してくれる人は大勢いる、どんな苛酷な目に合っても誰一人自分達には諦めろとは言わなかった、そんな仲間や信頼できる大人たちに囲まれていた自分には「みんな」がいるのだ。

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IMG_0427   (第二十七巻 上・中128、下129pより引用)

もう少し穿った言い方をすると、はじめから何一つ持っていないただの人間である自分、与えられたり支えられたりしながら精一杯生きている自分が、何かを自分の力で得たと思い込んでいること自体がおこがましいということに気付いた、という感じでしょうか。

僕はそう思います。 そして無事体を取り戻した兄弟が辿り着いた新しい錬金術の法則は

10もらったら自分の1を上乗せして11にして次の人に渡す

という、それまでの等価交換の法則を無視するもので、自分以外の誰かに精一杯の自分を与えるという人生でした。

僕が持つ優越感

さて、なにをこんなに『鋼の錬金術師』の話しをムキになってしているのかというと、彼らの成長の物語が今回の「優越感」というテーマに結びつくからです。

エドワードが持っていたものはたくさんあるけれど、それは言わば彼自身のアイデンティティにはまったく影響しない、つまり彼の世界観にはまったく影響しない持ち物でした。

象徴的なキャラクターとして、「強欲のグリード」という人も出てくるのですが、彼が死に際に辿り着いた答えも、欲しかったのは力や金や女ではなく、こいつらみたいな仲間だったん

だ、というものです。

FullSizeRender (25)  こいつら↑(第二十七巻 72pより抜粋)

自分が得たもの、自分が持っているもの、そして得ようとしているもの、それらは全て錯覚であって、即ちそれを持っていることで得られる優越感もまた錯覚です。

そうですよね。 優越感というのは、一人では絶対に得ることができない感情です。

自分の持っているものを認めてくれる人がいるだろうという確信(例え錯覚や思い込みでも構わない)が優越感を生みます。

つまり他人ありきの自分であって、優越感という個人的な感情も実は人に与えられるものなのです。

もともと自分が持っているものなんて何一つなく、得たものでもってアイデンティティが定められる訳でもなく、自分の価値はいつも自分以外のところにある。

少し観念的過ぎるでしょうか。

例えば僕には、親友と呼べる人間がいます。

物心つく頃からずっと一緒(幼・小・中・高・大)ですから、実に25年くらい?の付き合いです。

これからも長い付き合いになる友達はいるでしょうが、気の合う仲間で、かつ貴重な幼少期の時代の記憶が共通のものであると言える人間はもう二度と、絶対に現れません。

一億円を一年で稼ぐことはもしかしたら出来るかもしれませんが、子供の頃、同じ景色を見ていたと確信できる親友はどんなに望んでももう得られないのです。

まだまだあります、祖父母は世界一僕に甘い夫婦ですし、僕にはチャレンジングな母がおり、賢い姉がおり(イケメンの旦那と元気な姪っ子二人も)、面白かったり綺麗だったりする先輩がいます。

そしてなぜか可愛い彼女も僕にはついています。

え、リア充じゃん。自分で書いてて驚いた。

僕は既に何億積んでも得られない人間関係を持っています。

僕はお金もありませんし人に自慢できる物は何も持ち合わせていません。

だけど、これだけの優越感を僕は持っています。

これも実は勘違いなのかもしれないけれど、2種類ある優越感の内、周りの価値観の変化で揺るがない方の優越感です。

他者から見た自分の価値ではなく、自分から見た他者の価値で満たされているから、僕の価値観のみでいつでも幸せを感じられるのです。

代わりと言っちゃなんだけど、僕には父はいません。 でも不自由な思いをしたことも、寂しい思いをしたこともありません。ただ、自分のおやじ世代の男性とはどう接すれば良いかいまいち分からないという弊害は多少あります。

あとそう言えば、僕にはあまり慕ってくれる後輩がいません笑。

それはちょっと寂しいのですが、僕自身年下の人は苦手というところがあるので不便は感じていません(強がりじゃないです大丈夫です)。

こう見るとバランスが取れているようにも見えます(等価交換?)。

そりゃ何もかもという訳にはいかないかもしれませんが、何度も言うように僕は十分、何億出しても得られない、努力で得ようとしても得ることは出来ない人間関係の中で生きています。

じゃあ、僕がこれから得るべきものってなに。

僕は錬金術も使えなければ何の地位も与えられていないただの生き物なのですが、周りにいる人達のおかげでやたら幸せです。

だから与えられるだけではなく、どうにかして何かを与えることができる人間にならなければならなければいけません。

僕も誰かにとっては人間関係の一部で、それが誰かの人生の価値を少しでも高められるものでなければと思うのです。

10もらったら自分の分の1を足して11にして返す。

そのためには、自分が漠然とした世間の中で優越感を抱くために何かを得ようとするのではなく、絶対的な優越感を抱かせてくれる誰かのために何かを得よう、何者かになろう、とする努力が必要なんじゃないか。

優越感は誰かのためのはみ出た自分の一部分

優越感は必要だと思います。

ただそれは自分が持っているものではなく、人にお返しできる分、10からはみ出た誰かのための1なのです。

はみ出た1がやっと他者にとっての価値ある自分なんだから。

そしてそのためにこそ人は人と関わり、働くのだと思うから。

どんな価値観の上でも揺るがない優越感は、大切な他者との間に生まれるものだというのがすべてに打ち勝つ真理なのではないでしょうか。

 

キンブリーさん好きで書いた記事→キンブリーさんの中立性/中立キャラが物語を動かす

「優越感なしでは人は幸せになれないのか/『鋼の錬金術師』が刺さる、何度も。」(完)

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コメント

  1. 樋口 より:

    自分の中から1を作り出し、それを人柱として幸せを作る。
    真理の扉を
    開くより難しくて、誰にでもできること。かも。

    コメント書きやすくなりました!

    • kzy より:

      コメントありがとうございます。

      真理の扉を開くより難しくて、誰にでもできること。

      僕もそう思います!
      タイトルのアドバイスもありがとうございました!