偏愛は通貨になる

愛は通貨になる、という記事を書いたのですが、正確には「偏愛は通貨になる」だと思いました。

「愛は通貨になる」と言ってしまうと、人の善性や正しさと言った、社会的に価値のあるものを超えられないんじゃないか。

そういう気持ち悪さが、愛は通貨になるを書いた直後からありました。

愛は通貨になるの内容は、ごく簡単に言えば、「お金が次世代のものになることで、自分の正義が実行できる経済圏を作ることができるようになる」というものでした。

この正義という言葉も強く、なんだか融通が利かない印象があって何となく言っていてむず痒い。

世の中には正義とも悪ともとれない領域があって、もしくはそれらを超えた領域があるのだから、価値を正義に落とし込んでしまうのは大変な窮屈を感じるのではないか。

結局、正しくなければならないのなら、そういうプレッシャーの中で、新しい時代の中の新しい正しさを身につけなければならないのではないか。

結局正しくないもの、評価されないものは報われないという構図は一緒なんじゃないか。

そう思ったのも、僕が偏愛する文学という分野も、正義や悪、正しいと間違いで語れない領域のものだと思うからです。

正しいもの、善きもの、人に愛されるもの、支持されるものが価値を持つことは一見すごく好ましいことのように思うけれど、そういう尺度だけで評価されるものは、一方でつまらない。

文学のようなものは、ひどく偏った愛情を受けることもあれば、唾を吐き捨てられるほど毛嫌いされてもおかしくないものだと思う。

ベストセラーはつまらないなんて聞くけど、普遍的に良しとされるもの、ある評価軸で正しいとされるものは確かに往々にしてつまらない。

そりゃ一概には言えないけど、「認められた正しさ」を求めることは無難を作り、人の心をざわつかせたりすることがなくなってしまう嫌いがあると思う。

分かりにくいのではっきり言うけれど、芸術には毒が必要で、人によって薬になったり、文字通り毒になったりすることが求められるんだと思うのです。

毒にも薬にもならない水は、偏愛の対象にはならないと僕は思う。

例えばまちづくりの分野でも、新しい経済の形や在り方というのは使えるものだと思う。

自分たちの経済圏、地域通貨なんてものは昔からあったけれど、それがデジタルになり、実態がなくなることで、よりスマートに扱えるようになる。

新しいお金のあり方に沿って、多くの人々に愛され、多くの人々に支持される正しいまちを作るのなら、きっと僕らはひどくつまらないものを目指して、無難な良さを作ることになると思う。

毒を作ることも薬を作ることも恐れて、誰が飲んでも美味しい水を目指すのだと思う。

それでも良いんだけどさ、でもつまんないよねってなってしまうのが僕は嫌だ。

僕はよくこのブログで、まちを人に例えたりするけれど、僕が思うに自分の町の好きさって、自分の友達や家族が好きな感覚とすごく似ていると思う。

僕らは友達が別にこれと言った取り柄もなくて、多少得意なことがあったって社会に通用するレベルではなくて、特に立派というほどでもないのを知っているけど、身近な人というだけで大好きだったりする。

誰もがそこまで立派なヤツじゃないって知ってるけど、ていうか部分的に最低だしクソだなって思ってるけど、まあ人に言うほどじゃないが良いところあるのも知ってるし、まあ普通なんだけど好きってのがけっこう普通の感情だと思う。

言うなればこれも偏愛。

僕らには理屈じゃないし説明もできないし、他所から見て大したことないって分かっていながら好きなものがけっこうあって、むしろそういうものだけで僕らは囲まれてるといってもよい。

言うほどの正義じゃない、言うほどの正しさはない、そんなに多くの人に認められてるわけでもない。

だけど悪いわけじゃなくて、間違ってるわけでもない。

僕らが大切にしている人も、まちも、多分そんな程度のもので、良いの反対は悪いじゃなくて、多分「近い」って程度のタンパクさで、僕らは良いからでも悪いからでもなく「近い」から抱きしめていたりするんだと思う。

そういうものの価値を評価できてこそ、多様性に追いついた通貨の在り方は生まれると思う。

普通の価値を持ってて、普通に好きで大切なものが僕らにはいっぱいあって、そういうものを評価できてこそ「新しいお金の在り方」には価値が芽生えるんじゃないか。

言うなれば、正しさに正しい価値を与えるだけじゃ足りなくて、世の中で全然大したことなくても、世界とくらべたらしょぼしょぼの情けなさでも、そこに偏愛があれば、それは評価され、その気になれば数値化できるシステム、みたいなものが「お金2.0」時代に求められるのではないか。

そうじゃないと、正しさの様相が変わっただけで、結局「圧倒的な正しさ」や「割り切った正しさ」「もしくは賛成者多数を作り出す技術」を振りかざさなければならないしんどさは一緒じゃないか。

僕ら別に平凡だけど、平凡で満足できるほどには、身近なものや身に迫るものを愛する力は持っている。

そういうものを頼りに生きていけるようになれば、本当に良いと思う。


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