菅田将暉に嫉妬しそうである。
嫉妬というのは自分より微妙に恵まれている人に対してするものであって、時代の寵児とも言うべき大人気俳優に抱くような感情ではないはずです。
それは分かる、それは分かるんだけど、菅田将暉がもし小説を書いたらと思うと嫉妬心がメラメラ湧いてきて夜も眠れない。眠れるけど寝つきが悪い。
実際、菅田将暉がどんなにドラマや映画で活躍していても、女性にモテていても、男女問わず高感度を上げていても、本田翼と交際しているというニュースを聞いてもまったく気になりませんでした。何ならファンです。
最近は歌手としての活躍も目立ち、本当にこの人は何でもできるなと感心した。
ああでも、これもしかしたらデビュー目指してるミュージシャンとかは悔しいかもしれないな…ってちょっと思ってしまったのが悪かった。
そう言えば、菅田将暉が新進気鋭の小説家でありながらモデルに抜擢される役どころのドラマは見続けることができなかった。単純に面白くなかったからか、嫉妬心の萌芽を感じたからか。
多分後者。
そうじゃなきゃ菅田将暉と小説を結び付けて、あまつさえ嫉妬に至るはずがないじゃないか。
いずれにせよいつからか、菅田将暉に対しては半ば偏執的な態度で、小説だけは止めてくれ。小説だけは書かないでくれって思うようになってしまった。
菅田将暉ならどんな小説を書くだろう
書けちゃいそうなのが怖いのです。
さらっと、この時代にぴったりな、菅田将暉の才能がありありと発揮された一冊が世に出そうで怖い。「瑞々しい感性で描いた青春群像劇」あたりが書かれちゃいそうで怖い。
眠れない夜に妄想しました。菅田将暉どんな小説書くんだろう。
多分、仲良し四人組の高校生活が描かれる。
最初はコメディチックに書かれているんだけど、ある日突然、四人の中の紅一点だった女の子(仮に紅子)の存在が完全に消失している。
代わりに知らない男が普通に自分たちの仲間に入ってて、仲良しの男子四人組になってる。
主人公だけが紅子のことを覚えてる。
その入れ替わった男子がすごく気持ち悪く見える。思い出の部分は紅子と変わらないから。
まったくの別人なのに、一緒に行った場所とか、一緒にやったこととか、そういう思い出は全部そっくりそのまま引き継いでる。細部に違いはあるが、辻褄が合ってる。
それがまた悔しいし気持ち悪く思うんだけど、みんなは普通に、これまで通りに仲良しだから、気持ち悪いとか思うことにもちょっと迷いがある。
それまで紅子とは、性別とは関係なく友情を築けていると思っていたけど、なんか紅子が女の子であることに意味はあったんだろうかみたいなことを考えてしまう。
そういう複雑な気持ちが無意識に外に出て、ギクシャクした態度が仲の良かった四人組の中に亀裂を生んでいることも自覚できる。そんな始まりの物語なんかどうだろう。
嫉妬が起こる危機感は期待感でもある
妄想していて思ったことは、まず、「入れ替わり」という発想が『君の名は。』に知らず知らず影響を受けているようでいかにも僕は凡人だなあということ。
そして僕は菅田将暉に嫉妬しそうで怖いと思ってたけど、この危機感は期待でもあるのだということ。
時代性を丸々体現したみたいなあの青年が、文章を書いたらどうなるだろうって考えて、止めてくれとは言いつつも、ワクワクしている。
そして、多分そう思うからには、ストーリーがどうこうというところを期待しているわけではないということ。
ストーリーはパターンとその組み合わせ、キャラクターとその動きだと思うから、そもそもウケそうなものを考えれば、そのいくつものパターンの中から意外な組み合わせを考える発想になって、何となくやれば創作料理に似てくると思う。
意外であればあるほど、驚きはするが定着はせず、結局もっとも広く長く受け入れられるのは王道のストーリーラインだったりして、こういうところ小説は料理に似てるなと思うんだけど、いずれにせよ、どんなストーリー(料理)を作るかなんてところを菅田将暉に期待してるわけではないな僕はと思う。
じゃあ何なのか。
菅田将暉の、物事に向かう姿勢が怖い
菅田将暉原作ともなれば、それがどんなものであってもどうにかこうにか映画化とかアニメ化とかするだろう。
映画化なら主演、アニメ化なら主演声優になるはず。
声優も出来るのだろうか…と思って調べてみたら、2017年8月公開の『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』というアニメーションで声優を務めているようですね。やってるもんなー。すごいなほんと。見よう、これ絶対。
原作者で主演よりは、原作者で主演声優の方がなんか僕にとっては印象が良い。なんかそういうメリハリにもセンスを感じるなとか、思ってしまうのだと思う。
でも何より怖いのが、映画化とかアニメ化とかそういう表面的な活躍ではない。活躍されて困るなんてことはないのだから。
さっき、ちょっとストーリーを料理に例えたけれども、僕が怖いのは彼がどんな驚きの料理を作るかではなく、何ができるにせよ、彼が全身全霊で料理に向き合いそうなこと。
彼らしい作品を世間は求めるかもしれないけれど、僕が恐れるのは、彼が今持っている演技力とか歌唱力とか容姿やファッションセンスなど頼らずに、文学に向き合って、自分の文学作品を作り上げてしまいそうなこと。
だって、多分ある程度の小説を書いて、映画化とかアニメ化とかして、主題歌でも手掛けてってやれば、まあそうだよなそりゃ菅田将暉が書いたものなら話題になるわって言えるからまだ良いです。嫉妬なんかしないと思う。
でも全くそういう大人的な方針、経済的な展開について考えずに、文学という世界にリスペクトを持って、真剣に打ち込んで、菅田将暉という名前が無くても作品で結果を残しそうで怖い。うわ、これは書けないわってヤツがサクッと書かれれしまいそうで怖い。
そうなったら完全なる嫉妬。
結局どうしてほしいの
だから、もし菅田将暉が小説を書くのなら、いっそ、ぜひ、発売と同時に映画化やらアニメ化の話を進めてほしい。
なんなら書く前から満場一致のそういうつもりで、あくまで「原作:菅田将暉」が欲しいだけみたいな市場感漂うプロモーションをしてほしい。
それで、売れ筋を読める人なんかがそれらしく要素を作品に付け加えたり削ったりして、メッセージ性を強くしたりして、みんなが気持ちよく消費できるようにしてほしい。
そしたら、おおさすが菅田将暉だななんでもできるんだなって心穏やかに作品を楽しめると思う。そんなに嫉妬しなくても済むと思う。
ただ複雑なもので、同時に、菅田将暉の演技やどこにでも溶け込んでしまいそうな多様な面、ダウンタウンにお手紙書いてたの見たときに感じた芸に対する真摯なリスペクト、音楽やファッションなど文化的なものに対するセンス、そしてこれはただのイメージかもしれないけれど根アカを思わせるオーラ、を全部ぶつけた小説が読みたい!とは思ってしまう。
何この気持ち。
時代に育まれ、時代に愛された男が書く小説ってどんなだろうという恐怖と期待に慄きながら今日もすやすや眠る。
菅田将暉がもし小説を書いたらと思うと夜も眠れない(完)
コメント