なぜ人は自分のふるさとを大事に思うのか。

「好き」という感情は「コントロールしたい」という気持ちなんじゃないか。

という記事の中で、僕ら実は「好き」って言う感情なんかなくて、気分と、それにフィットする何かがあるだけなのでは?というようなことを書きました。

だって、そうじゃないと世の中にある好きなものの性質の違いが説明できないから。

僕ら好きな人もいれば好きな場所もあって好きな食べ物も好きな音楽も好きな漫画のセリフもある。それぞれの好きって感覚はどれも微妙に違うように思う。好きって感情はとても節操がないように見える。

だから、僕らはただコロコロ変わる気分があって、その都度その都度、その気分にぴったりフィットするものが心地よく、好ましく思うんだろうって考えた。

これを踏まえて、なぜ僕らの多くは自分の故郷が大事になるのか、好きになるのか、ってことを考えたいと思います。

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多くの気分を体験している場所を好きになる

「好き」という感情はなく、ただ気分とそれにフィットする何かがある。

これが仮に本当のことだとするのであれば、僕らの住む町には本質的に好ましいものなんてないと言うことができると思う。

好きという感情を引き起こす絶対的なものがないのだから、人々に好かれるべくして好かれる何かなんてものはない。人々の気分とそれに合った何かがある。

だから多分僕は地域おこしとかまちづくり界隈で言われる「地域の魅力発見」的なことに拒絶反応があるんだろうなと思う。反射的に押し付けないでくれと感じてしまう。そうならないように気を付けてこのブログは書いているつもりなんだけど、どうなんだろう。たまに押し付けちゃうかもしれない。

そういうのは今置いとくとして、仮に好きという感情はないということが本当なら、僕らが自分の住む町や故郷を好ましく思うのは、単純に「長く暮らしている分、多くの気分をそこで体験したから」だと言えると思うんですよね。

生きていれば嬉しいことも楽しいことも悲しいこともあって、それどころか怒ったり憎んだり妬んだり、実に様々な気分を経験します。

その都度その都度、僕らはその気分にフィットした何かを、多分身の回りの世界のどこかに見つけようとするのだと思う。

もしかして物心つくってこういうことかな?

例えば僕の場合、18歳までは自分の町にべったり住んでいました。その後進学して札幌行ったりなんだりしましたが、「気分」の話で言えば、18歳までにもうあらかた経験し尽くしていると思う。ちなみに26歳の頃からまた自分の故郷で住んでます。

悲しいとか楽しいとかそういう基本的なことから、切なさとか遣る瀬無さとか妬み嫉みと言った複雑な気分まで、ほとんど全て経験したはず。あ分かりやすく「感情」で説明してるけど、気分ってもっと漠然としたカラーのようなものだと思います。

怒りの赤とか悲しみの青とか、もっと漠然とした、背景色のようなものが気分ってやつだと思う。

仮にその18歳の時点で何か経験してる気分が足りなかったとしても、それから10年経ったのだから、人として経験するであろう気分はもう無いんじゃないかなと思う。

大人と呼ばれる歳になってからは、自分の感情が説明できないなんてことはなく、言わば過去に経験した気分の焼き直しとか応用みたいなことばっかりで、自分がどう感じているか分からなくて動揺するみたいな新鮮さはありません。

つまり、やたら極端なことを言うけど、僕の人生で感じる全てのことや、僕の中に流れる気分のことごとくは、自分の町で生まれたということなのです。

そして生まれたてホヤホヤの気分を引きずって生きてた時分、僕は絶対にその気分をどこか良い感じの落としどころに貼り付けたはずです。

その気分がもっとも似合う音楽を聞いたり、友達と話したり、道を歩いたりして、気分と世界をフィットさせて、すこしずつ自分を作っていったはず。

その都度その都度カタルシスを得て、自分を落ち着けて、快感を得ていたはず。

あ、もしかしてこれが「物心つく」ってことなのかな?

気分のエッセンスを薄めて飲む大人

たぶん、これってみんなそうなんじゃないかなと思うのです。

大人になればたいていの気分は経験済みで、たまーにその気分の濃さが更新されることもあるかもしれないけど、日常においてはどれもお馴染みの気分という感じ。

もしかしたら「絶望」とか「悟り」とかいう真っ黒とか真っ白みたいな気分は随分な大人にならなければ分からないのかもしれないけど、それも疑似的には映画とか小説で体験できてたりして、劣化版ではあるけどおぼろげながら知っていたりする。

日常的には子どもの頃に感じたワクワクの黄色い気分を基準に今経験していることのワクワク度合いを計測するのだろうし、子どもの頃に感じた悲しくてブルーな感情を基準に日々の悲哀を乗り切ってるんだと思う。

抽象的なことばかり言い続けて申し訳ないけど、ここで書きたいのはほんとにただこれだけ。これ以上具体的に書くつもりはなく、これ以上は考えていない。

田舎(故郷)にはこれと言って何もないかもしれないし、代わり映えもしなくて客観的にはつまらないかもしれません。

それに経験できる事という話でいったら楽しいことも悲しいことも大人になってからの方が圧倒的に多いのだろうと思います。

でもその都度自分が染まる気分のエッセンスはその何もないはずの田舎とか故郷にあって、みんな無意識にそれを薄めて飲むみたいなことをしてるんだと思う。

だからまあ、田舎とか都会とか何があるとかないとか関係なく、特に幼い頃、長い時間を過ごした場所というのは大事なんだろうなという話。

愛郷心の正体を探れ/なぜ愛着は生まれるのか

なぜ人は自分のふるさとを大事に思うのか。(完)

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