「そんなの誰も求めてないよ」に負けず、人の役に立つためにやるべきこと

何かを社会に対して投げかけたり何かをしようとしたりするときに怖いのが

「そんなの誰も求めてないよ」っていう声だと思う。

それはたいてい言葉にならず、音にすらならず、無反応という形で突き付けられる。

僕は今クラウドファンディングで企画を立てているのだけど、怖いのが、これだと思う。

企画を立てて、一定期間掲載して、宣伝するけれど、誰からも何からも反応がなければ、「そんなの誰も求めてねえよ」ってことが分かる。

それはつまり、自分のやりたいこと、自分が思い描くことでは「人の役に立てない」ということであり、もちろん、へこむ。

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人の役に立とうとするのは怖いから、既に役立ってるものの手伝いをした方が無難

人の役に立とうとするのは怖い。

自分発信で、こんなことやりたい!って言うのは怖い。

たいていの場合、本当に多くの場合、「そんなの求めてません」と声なき声に突き付けられるのがオチ。

だから既に「人の役に立ってる領域」でお手伝いするのが無難だと思う。既に世に出回っているサービスは当たり前に人の役に立ってるから、間違いなく人の役に立てる。

それが堅実、なのかもしれないし、傷つく必要もないのかもしれないけれど、やりたいことがあったり、自分がこんな風に役に立ちたいという欲望があるのなら、やはりその立場を作り続けるしかないんですよね。

コウモリは超音波を放って自分の進むべき道を決めるんだって

「そんなの誰も求めてないよ」にぶち当たることは多い。

履歴書を書いてもそう、ブログを書いててもそう、動画を投稿してもそう、賞に応募しても、商品を店先に並べても、新しいメニューを開発しても、そういう声なき声は聞こえてくる。

何もない、というむなしい音が返ってくる。

自分が何者かになりたい、役としてこの世の中に立ちたいという意思は、やんわりと拒絶されることが多いです。そういうの、「世間はそんなに甘くない」って表現されることが多いと思うのだけど、それでも、何度も試し続けるしかない。

コウモリは超音波を放って、反響音によって自分の進むべき道を探るらしい。

自分の立ち位置を把握するには、まず自分から発する必要がある、ということだと思う。

何度も何度も確かめて、ノックし続けて、どんな反応が返ってくるのかをよくよく観察するのが、自分の進むべき道を知るほとんど唯一の方法じゃないか。

 

 

 

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