田舎から若者が出て行くのは田舎に若者がいないからという身も蓋もない真実

まちづくりを考える

田舎に若者がいないのはなぜだ。

田舎から若者が出ていくのはなぜだ。

なぜ若者は都会にばかり行くのか。

その答えは、田舎に若者がいないから、というのが身も蓋もない真実だと思います。

鶏が先か、卵が先かという話に似ていますが、若者がいないから若者が出ていく、若者が出ていく先は都会だからみんな都会に行く。

仕事がないからとか選択肢がないからとか娯楽がないからというのはすべて後付の理屈で、ただ若者がいないから若者がいないのだというのが真実。

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若い男性は若い女性を求めるし、若い女性は若い男性を求める

結婚にも出産にも関心がなくても、若い男性は若い女性を求めるし、若い女性は若い男性を求めるものだと思います。

理屈を超越して(というか生殖という理屈がすべてかもだけど)、若い人がいないというのは若い人にとって大きく魅力を損ねる要素になる。

仕事がないんじゃなくて、若い人が活発に働き、仕事のあとや休みのようなプライベートが輝く気配のある仕事がないのが問題です。

娯楽がないんじゃなくて、同世代で共有する娯楽がないことが問題です。

観光資源がないのではなく若い男女が行きたくなるものも見たくなるものもないのが問題です。

反対に言えば、生殖に対する欲求を諦めた人や抑えたい人には田舎は心地よいかもしれない。

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以前書いたなぜ田舎から若者がいなくなるのかの記事は甘かった

このブログではずっと以前に田舎から若者がいなくなる理由を書いたことがあります。

当時は、「そういう設定になっている」というようなことを書きました。

進学するにつれ都会に進んでいき、都会で就職するものだ、とみんなが思っているからそうなるのだ、というようなことです。

なぜ田舎から若者がいなくなるのか。

それもあるかもしれないけれど、この記事で書いている、「ただ若者がいないから」という理由が一番的を得ていると思う。

いろいろ取り繕って見ても、「年寄りばかりのところにいても楽しくない」という真実を認めざるを得ない。

ここで言う年寄りとはいわゆる高齢者ということでなく、30歳の僕も含むな、と思ったのでこの記事書いてます。

30人の若者がゲリラ的に巡礼するだけで日本は若返る

じゃあ田舎ってもう為す術なくない?と思うのがまっとうな思考回路だと思います。

だって若者がいないのが若者のいない原因になってるなら、若者が必要!といくら言ったところで解決しようがないじゃないか。

若い集団が30人くらいゲリラ的に、今日からみんなでこの町住みます!情報発信します!楽しいまちを作ります!ってやってくれば正直それでもう解決じゃないの?とすら思う。知恵とか工夫とかいらなくない?って。

何をするとか何を作るとか関係なく、若い人がわちゃわちゃしてるってだけで魅力なんですよね。若者は宝ですよホント。男女問わず華。

若者が「いる」だけであらゆる「必要」が生じるもの。

それは高齢者が多いからコミュニティバスが必要、のような必要じゃなくて、なくても良いけどあった方が100倍良い、みたいなものの必要が生じる。言うなれば無駄が生じる。無駄こそ豊かさ。

ちょっと無理やりぶっこむけれど、もうコンテンツの良し悪しじゃなくて、「場の盛り上がりの気配」、「共有している感覚」、「文脈の合致」の方が重要なんす。なんもなくて良い。気配だけで良い。

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田舎とネット活用の未来

解決法はいくつか考えつきます。

きっと同じ時代を、同じ時間を共有してるって感覚こそが大事で、ネットの力を使えばそれが可能かもしれません。ってかネットを使う他ないような。

①若者の身体はなくとも、若者の視線を集めることはできるかもしれない。

②若者の一瞬の通り道にならなれるかもしれない

③漠然とした若者ではなく、「特定の誰か」なら住みよい地域にできるかもしれない

いずれも難易度はべらぼうに高い。べらぼうに高い。

けど無理じゃないはず!

 

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