小さな規模の世界観を守るという意思や工夫

発想と行動を記録する

やっていること、作っているもの、興味のあること、その景色、ルール、アイデンティティ、オリジナリティ、つまり世界観を広く発信することはとても大事な時代だと思う。

まちという単位でも、個人の単位でも同じ。もしかしたら「国」こそが意識しなければならないことかもしれない。

世界観を作る、ということは、現代の最重要課題と言って良い。それは何となく一昔前に必要と言われていた「個性」の上位互換的な代物と僕は感じます。

個性があるだけではダメ。個性なんてものはある。

近くで見ればなんでも個性的に見えるし、遠くから見れば個性は立ち消えるものだと思う。近くにいる人は個性的に見える。唯一に見える。だけど同時に、そんな人はありふれていたりする。

観測する距離で揺らぐ程度の個性では僕らオリジナルになれない。

他者や大衆から見て「個性的」だと思われる必要があって、それには世界観と呼べるほどの作りこみが必要。

そんな世界観を広く発信しながら、同時にその適切な規模を守るという意思や工夫が大事だと思ったのでメモします。

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規模、スケールも含めて世界観だ

持って回った言い方をしてしまったけれど、規模、スケールも含めて世界観だ、という話です。

例えば応援していたインディーズのバンドがメジャーデビューして寂しくなる、みたいな経験って、ジャンルは違えど誰しも経験したことがあると思います。

好きだった深夜番組がゴールデンに進出してなんだかつまらなく感じるようになったとか、無料のWEB小説を投稿していた頃からファンだったけど書籍化して人気が出ると昔の荒削りな文体が懐かしく感じるとか。

規模や知られている人の層が移り変わると、なぜか「世界観」が少し変質するような気がしますよね。

でも、小さな支持を集め、より大きな次のステージへ、というのは何事においても理想的な姿だと思うけれど、今って、「メジャー」とか「大衆」とかを無理に巻き込まず、つまり「世界観の規模」を変えることなく、届けたい人に届けたい世界観をしっかり届けることができる時代なんじゃないかって思うのです。

多くの人に知ってもらいながら、「知る人ぞ知る」という状態がいつまでも保てる、というようなこと。

まだ感覚の話でしかないのですが、そう思います。

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「知っている人」の気持ちを尊重するデザインで世界観を作る

世界観の規模を保ちながら、同時に多くの人に知ってもらうこと。

「知る人ぞ知る」状態をいつまでも保ち続けること。

「知る人ぞ知る」ってどういうことかというと、それはただ「知っている」とか「聞いたことある」とかではなくて、「知っている」ということに一種の優越感とか、自分独自の感性との一致感がある必要がありますよね。

これから「世界観」を作るのであれば、「知っている人」のそういう気持ちを尊重するデザインをしなければならないと思うのです。

そこにどんな意思が必要で、どんな工夫ができるのか。

いわばこの記事はそこが本題なのですが、これと言った答えが提示できません。

ただ何となく、「そういう意思と工夫が必要だ」、「そこが考えどころなのだ」と思ったのです。

そう考えた上で世界観を意識するのとしないのとでは出来上がるものに大きな違いが出るのではないでしょうか。

今後考えて自分なりに答えを出していこうと思います。

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