僕にとってゲームは、「この世界観の中で一人ぼっち」が魅力的だった。

発想と行動を記録する

最近は「小さな世界観」のサイズを守りながら、それを多くの人に楽しんでもらう、好きになってもらう方法、のようなものを考えています。

このブログのメインテーマは(そうは見えないかもしれないけど)「まちづくり」で、そのまちづくりに必要な視点なのではないかと思うのです。

どうしてこんなこと考えてるのかな僕は、ということをしばらく考えていたのですが、それはきっと、幼い頃からやっていたゲームの世界に憧れているからだと思いつきました。

僕が初めて本格的にやったゲームはファイナルファンタジー4。始まりがFFだったから、FFシリーズを基本にRPGに没頭していきました。

僕はゲームの世界が好きでした。そこには「僕が一人」という状況があるから好きでした。

あれだけの世界の中で、意思を持って動いているのは僕一人。人目を気にせず、他人に気を使うこともなく、自由に振る舞える僕だけの世界。

この感覚を「まち」というフィールドに応用できないだろうか。そんなことを考えています。

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ゲーム業界は「自分だけの世界」を大勢に配った

「自分だけの世界」を多くの人に配ったことが、ゲーム業界の一つの業績で、実にたくさんの人の心を救ったと思います。

僕は極端に社交性に欠ける性格で、「まちづくり」を標ぼうしておきながら、誰かと共に何かすることや、大勢が集まる場というものを拒否しているところがあります。

お祭りやイベントにも滅多に参加しない、地域を盛り上げることに関して協力的とは言えない僕はいっそ「まちづくり」という言葉を使わない方が良いのかもしれません。

僕は僕の創作をまちでする、というだけのことがしたいのでしょう。

とは言えそれは完全に閉ざされたものではなく、完全に僕だけのものにしたいのかというとそうじゃないからややこしいことです。

僕はありのままの町の姿を面白いとは思わず、地域のおまつりやイベントに興奮せず、ただ疲弊してしまう。

僕はRPGをプレイするときのように「よく作られた自分だけの世界」でありながら、その世界観や設定を多くの人と共有し愉しみたいのです。

繰り返すけれど、ゲーム業界はそれができた。「自分だけの世界」と思えるようなものを、大勢に配った。僕もまちでそれがやりたいです。

そこは好奇心と冒険心を持ってストーリーを作り上げることができる

とても意味が分からないかもしれません。

僕もはっきりしたことはまだ分かっていないのですが、いつも心の中にある方針としては間違いなくこれだ、と感じています。

「この世界観の中で一人ぼっち」をまちに作る。

言い方は違えど、今までもずっとこれを目指していた気がします。

そこは好奇心と冒険心を持ってストーリーを作り上げることができます。

他者がいなければ成り立たないものではありません。自分一人がそこにいて、その状態が正常である、という点が大事だと思います。

意味が分からない、と思ったらRPGの世界を思い浮かべてほしいです。

そこは適切な不自由と自由の中で自分勝手に振る舞うことができます。ごく内向的な性質と倫理観を持っていれば楽しめる、小さな世界観です。

とりあえず今言えるのはここまで。

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