小説が書けなくなってしまうことってありますよね。
僕は頻繁にあります。
迷うと立ち止まってしまう。
迷いが生じるから書き進められなくなってしまう。
筆が止まるとき、必ずと言って良いほど何かで迷ってる。
こんなとき僕は自分で用意したチェックリストを参照します。
迷いの正体が分かったら、あらかじめ用意しておいた「その迷いを断ち切る考え方」を読み、納得したらまた書き始めます。
迷いを断ち切るためのチェックリスト10個をブログに書いておきます。
個人的なものだけど役に立つ人もいるかもしれません。
これは僕のなのでオリジナルのものを作っておいた方が良いでしょう。数は多い方が良いのではないかと思います。
特に「迷いを断ち切るための考え方」は自分の納得できる言い分を用意した方が良いと思うので自作推奨。
チェックリスト
- 主人公に優しくなりすぎていないか
- 章ごとの文字数のバランス、みたいなものを気にしていないか
- 分岐点が多すぎて足が止まっていないか
- 面白くないんじゃないかと不安になっていないか
- これは純文学作品だからこう、という風にジャンルありきで展開を選んでいないか
- テーマばかりが立派で、語彙力が追い付いていないことに気付いたんじゃないか
- やっぱり一人称が良いんじゃないかと考えてはいないか
- 「デザインされた子ども」を作っていないか
- 自分にはサービス精神が足りていないんじゃないかと不安になってないか
- 知識不足なのに調べるのが億劫なんじゃないか
チェックリストの解説と解決する考え方
主人公に優しくなりすぎていないか
書いているあいだに自分の友達のようになってしまって、主人公に間違ったことをさせたり、不幸な目に遭わせてしまうことを拒否してしまうことがある。
主人公を困らせる、というセオリーにばかりこだわって無意味に困難や不幸を拵える必要はないけれど、人間のごく一面を切り取るはずの物語において、何事もないシーンを選ぶ必要はない。
無難な展開は小説に書かれていないところで用意すべきだし、何事もない領域は書かない領域で予測させることができたら最高だ。
章ごとの文字数のバランス、みたいなものを気にしていないか
はじめの章では6000字書いたのに、次の章では2000字くらいしか書けなかった。
バランスは悪いけれど区切るのが正しいと思うが、なんとなく気持ち悪い。
気にしなくて良い。章ごとにバランスよく文字数を費やしてる小説の方が少ないと思う。短い章はテンポがよくなるかも。
文字数を合せることに意味がある物語なのだとしたら気にする必要があるかもしれないけれど、それってどんな物語だろう。
分岐点が多すぎて足が止まっていないか
物語の筋をあまり作らずに書くと途中で分岐点が多くなりすぎてどこにも進めなくなってしまう。
筋をしっかり作っても、ゴールにたどり着くまでに思いもよらなかった分岐が生じ、そちらを取ると想定していたゴールにたどり着けない。
どっちも書こう。
思いついたことは全部書こう。
どっちにしろ小説を書き続けるならこの先500万字、1000万字と書くのだから、書き渋らなくておーけー。
思ってたのと全然違う作品になるかもしれないけれど、思いもよらなかった一本を生み出すチャンス。
面白くないんじゃないかと不安になっていないか
面白くないんじゃないかと思ったなら、自分にとっては確実に面白くない展開になっているに違いない。
ということは、少し考えれば自分がワクワクする展開、面白みを感じる展開もあるはず。
すらすら書ければ良いというわけでもない。考えるべきときは考える。必要なら一日置く。立ち止まる勇気もあって良い。
面白さに疑問を持って立ち止まったなら、「面白さ」のジャンルが狭くなっていないかもチェック。
面白さにはいろいろな種類がある。
友達や恋人や家族と時間を過ごすときを考えてほしい。
一緒に笑える面白さも、スリルを味わう面白さも、熱中する面白さも、ただ気分が良いという面白さもある。
エンターテインメント的な面白さだけを求めているから面白くなく感じてるだけかもしれない。
これは純文学作品だからこう、という風にジャンルありきで展開を選んでいないか
純文学っぽい展開、エンタメっぽい展開というのは、今まで読んでいた作品から自分で作り上げたイメージであって、サンプルが偏っていたり、足りなかったりする可能性が高いので、きっと間違っている。
純文学ってこういうトーンだよな、という風に展開を選ぶのではなく、選ぶ必要のある展開を選ぶ方が自分らしい作品になるだろう。
ぽさで小説を書かないで、書けることを書きたいように。
テーマばかりが立派で、語彙力が追い付いていないことに気付いたんじゃないか
立派なテーマだからと言って難しい言葉で書かなきゃいけないわけじゃない。
言葉はたくさん知っておいた方が良いかもしれないけれど、組み合わせと展開によって、テーマを強く読む人に積み重ねていけるかもしれない。
丁寧に、もっとも体温を持っている言葉で、何度も、もしくは多角的に。
やっぱり一人称が良いんじゃないかと考えてはいないか
あとで一人称パターンも書こう。今から書いても良い。
「デザインされた子ども」を作っていないか
書き慣れてしまって、例えば悲しいお話しを書こうとすれば、こういうパーツとこういうパーツとこういうパーツを組み合わせれば出来上がる、という風に要領よく物語を作ってしまっている自分に気付いて創作を楽しんでいない気分になる。
迷いが生じていない、という部分に迷う。
頭の中で自分に注文した原稿をただ完成させるだけで、苦しみも、新しい発見も、思わぬ出会いもないのであれば、創作は作業になってつまらない。
すらすら書けるだけが正義ではないと思う。
でもすらすら書いてることに疑問を持てた今はチャンスだ。
自分にはサービス精神が足りていないんじゃないかと不安になってないか
あまり人のことを考えられていないのではないか、他人が喜ぶような物語を作れていないのではないか、自分には魅力がないのではないかと不安になる。
読んでくれる人のことを考えるのは良いことだけど、卑屈になっていてはある魅力もなくなってしまうと思う。
サービス精神は出せるときに出そう。
誰かが求めているものがはっきりわかったときにでもサービスをしてあげれば良いと思う。
知識不足なのに調べるのが億劫なんじゃないか
調べるの億劫になる。億劫になるから、調べなくても良いことばかり選んで書いてしまう。そうすると物語が薄っぺらくなってしまいそうで怖いし、それはつまり自分が薄っぺらいってことなんだなと落ち込む。
そんな気分になるくらいなら調べた方がマシ。どんな方法でも良いから少しでも調べて書く。ネットの時代だから楽。
ネットが無い時代は本で調べるしかなかった。本がなかったら人に聞くしかなかった。むしろわざわざ図書館まで歩いて本を探すのも良いかもしれない。
執筆のために普段触れない分野の調べものをするなんて作家っぽくてやる気アップにつながるかもしれない。
さて書くか。
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