お笑い芸人が面白い理由

自分で考える創作論

 

からかうコミュニケーションと失礼のコミュニケーション

という記事を書きました。

僕の場合「からかい」や「失礼」を潤滑油としてコミュニケーションに組み込む場面というものは高校時代によく体験したけれど、その後大学生になって、大人になっても場所によっては多用されているようだと思った、というお話しでした。

この記事でも書いたけれど、僕はこの「からかい」と「失礼」が潤滑油になってるんだなあ、みたいに、「コミュニケーションの型」を眺めるのは好きです。

しかし、型と言って良いと思えるほどに硬直化した、コミュニケーションの形に巻き込まれるのが苦手であります。

苦手というのは、やはり上の記事でも書いたけど、英語教師にグッモーニン、エブリワン!と言われて、グッモーニーン、ミスター、○○と返さなきゃいけない恥ずかしさに起因します。開き直れないのです。

誰にでもあると思います。こういう場面ではこういう話題をするのが正しいと分かるけどしたくない、こういう返答をするべきだけどしたくない、ということが。そして僕のように、端的に、能力的にできないということが。

こういうコミュニケーションの嗜み的なことを難なくできなきゃ大人になれないんだろうなあと思いますが、当分難しそうです。

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お笑い芸人はコミュニケーションの型を崩すのが上手

こんな風に、僕はコミュニケーションに対して苦手意識があり、難易度が高いと思っており、結局場に飲まれることに、いつも何となく恥を感じています。

それでここのところ、けっこう真面目に悩んでいたのですが、こういうときに「お笑い」を見たくなる傾向にあるなと思いました。

そして考えるに、芸人さんは、コミュニケーションの型を崩す技を持っていて、同時に、コミュニケーションの型を守る技も持っていて、そういう爽快さに僕は憧れていたのかもしれないと感じました。

芸人さんは、この場面は普通こう流れるというところで口を挟んで、思ってたのと違う展開にコミュニケーションを運びます。

疑問を抱かなければすんなり進んだコミュニケーションにちょっかいを出して、予想外の展開を作る。

「笑い」とは言いますが僕らの脳が喜ぶのは「予想外」であるはずです。その予想外が好ましいものであれば僕らは「笑う」のでしょう。

心地よい躓きを提供できる芸人さんは、優れたコミュニケーション能力とサービス精神を持った超人なんだと思います。

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芸人はコミュニケーションの型を守る達人でもある

芸人さんは同時に、コミュニケーションを守る器用な力も持っています。

お笑いの世界では「お約束」というものがあるようで、それはゴリゴリに型を守ることで成り立ちます。

お約束と言えば「ダチョウ倶楽部」が筆頭でしょうか。

ダチョウ倶楽部の芸はすべて展開が決まっています。

「押すな押すな」に代表される前フリ、「俺がやるよ、いやいや俺がやるよ、じゃあ俺がやるよ、どうぞどうぞ」の展開は「決まってる」というところが重要。

この展開を知らない人は、この手のコミュニケーションに乗り遅れてしまいます。

これらが面白いのは、誰でも真似できるということです。ダチョウ倶楽部は型を作って守ったという点で偉大だと思います。

有吉さんが言うように茶番劇集団による茶番には違いありませんが、僕らは茶番をスムーズにこなすことに快感を感じます。

ダチョウ倶楽部に限らず、お笑いの場面ではいくつか型が決まった展開というものが存在します。

「天丼」と呼ばれる技法があり、同じボケを繰り返すことで笑いを作るというものなどがそれに当たります。その他、特定のボケや芸を引き出すための前フリはフリートーク系のバラエティでは散見されます。

「そう来たか!」と「待ってました!」

芸人さんは、常にコミュニケーションの型を疑いつつ、コミュニケーションの型を作ろうとする因果な芸を生業としている人です。

創造と破壊を繰り返すことで人の感情を揺さぶるエンターテナーという点で、努力とセンスがなければ成り立たない職業でしょう。

面白いとは言うけれど、その面白さはふざけているところにあるのではなく、単純に笑えるというところだけにあるのではなく、コミュニケーションの型が崩れる快感と、コミュニケーションの型に従う快感を作り出している点にあると思います。

物語の展開には「そう来たか!」と「待ってました!」の二種類があるって宮部みゆきが言ってた気がするけれど、お笑いもそういうところがあるよなと思いました。

 

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