ブログ、日記の効用。極小の自己実現を繰り返し自分を育てる

close up photo of notebook with pen表現力の向上を目指して
Photo by Alina Vilchenko on Pexels.com

今日は、文章を書くとか、絵を描くとか、そういう作業って「小さな自己実現」を達成して、検証する、というサイクルをわりと早いサイクルで繰り返すことがやっぱり重要だと思うんですよね、という話を書きます。

その話のために引き合いに出したい動画あります。

武井壮さんのyoutubeチャンネルの「大人の育て方」っていう動画です。

武井壮の 『オトナの育て方』

 

子どもの頃、思ったように野球ができなかったってエピソードがありますね。

どうしてバッドに球が当たらないのかと大人に聞いても誰も答えてくれなかったけど、ある日父親が買ってきたビデオカメラで自分の投球ホームを見たとき、武井少年はハタと気づいた。

自分が思ってた投げ方と全然違う!プロの選手の投げ方を真似しているつもりだったけれど、現実は全然違った。そうか、自分は思っている以上に自分の身体を思い通りに動かせていないんだ!

だからスポーツをするにあたって武井壮さんは、まず自分の身体を思った通りに動かす練習を徹底的にしたそうです。

この話は動画のほんの入り口で、ひいては物事の価値とは何か、スポーツにおけるジュニア教育の本質とはという話題に転じており、どんな人にも役に立つお話だと思うので、見たことがない方がいらっしゃったら是非一度見てみてください。

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肉体も満足に動かせないのだから、精神的な作業はなおさら、理想的なものを表すのは困難じゃないか

さてこの記事で書きたいことは、思った通りにならないのは身体の動かし方だけに限らず、あらゆることで同じことが言える、というようなことです。

例えば、書き表したいという気持ちを文章に書くと思ってたんと違う。

犬とか猫とかの絵を描こうとしただけなのにモンスターが生まれる。

面白いと思ったアイディアを人に喋ったらなんか全然面白そうじゃない。

鼻歌一つ、音を外してしまって満足に歌えない。

物理的な、身体の動き、というだけじゃなくて、自分が自分の身体を使って表すほとんどすべてのものが、「思ってたのと全然違う」という現象を生み出す。

武井壮さんは「腕をまっすぐ横に伸ばす」というような訓練から始めたそうです。すべての関節を自分の思った通りに動かす訓練。それからスポーツをやろうとした。

そう、「腕をまっすぐ横に伸ばす」という簡単そうなことも実は満足にできない。

基本性能がわりとポンコツなのが僕らなのですね。

それなら「思考」のような精神的な作業であればなおさらだと思いませんか。

だから、文章を書くのなら、自分の身体を思い通りに動かす練習をするがごとく、自分が思っていることを、どんな小さなレベルのものでも良いから、思っていた通りに、表に出すという訓練をするべきだろうと思ってという話です。

そしてそれにはブログとか、日記とか、毎日でもできるようなことがうってつけだよねと。

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ブログは1000記事ほど書いた。小説は毎月10数万字ほど書く

目に見えない思考を表す方法はありますね。声に出す、文字に書き表す、絵にする。人によってどんな媒体に表すかは変わってくる。そして多分多くの人の表に出てきた思考は、必ずと言って良いほど思っていたものと違う。

僕はブログを1000記事程度書いてきました。毎月10数万字小説を書きます。

しかしやっぱり思ってたのと違う。書き始めるとそうとうズレる。腕が実は真横じゃないなんてレベルじゃなくて、腕を上げようとしてたのに舌が出ていたというレベルのズレが生じる。

しかし、最近ようやく、大きくは外れないようになってきた、という実感が湧くことが多くなりました。

ブログとか、小説とか、そういうものを書きなぐって、極小の自己実現を積み重ねてきたからだと思います。意識的に訓練をしました。もちろんまだまだ足りないと思います。

技術も思想も未熟故に満足することがあるということも分かってきましたからね。

まあその辺は一旦置いておいて、僕にとってブログはとても役に立ってます。最近まで半年ほど更新をサボっていたけど。その間は小説に集中していた。

書こうと思ったことをごく短い文章で書き表す訓練になってると思います。だから続けてます。検証もわりと容易。短いからね。

精神的な作業の厄介なところは、「思っていたこと」の方が変化してしまうこと

それにしても精神的な作業の厄介なところは、「思ってたこと」の方が変化していくことですね。

これは先ほど書いた「技術も思想も未熟故に満足することがある」に繋がります。

小さな子どもは自分が描いた絵に満足するでしょう?客観的に見てこれは未熟だ、これは理想にほど遠い、とかあんまり考えないじゃないですか。うちの子は今二歳だからそんな感じ。もちろんそれは長所だと思うけど、この文脈においては由々しきことだと思います。

精神的な作業の場合、「腕が真横に伸びているかどうか」というような客観的な真実がありませんから、それが「正しい状態かどうか」を判断するのが極端に難しい。

この文章は良いのか、悪いのか。この絵は巧いのか拙いのか。

ブログ記事。思ったことは書けたけど、そもそも思ってたことそのものが世間的に間違ってることだったり、くだらないことだった、なんてこともありますよね。

書けば書くほど分からなくなる、ということが割と頻繁に起こるわけです。

精神を練磨し続け、陽炎のような理想を追い求めていく。その先に考えなければならない現実的な価値の問題がある

この点は勉強し続けるしかない。人の文章を読んで、調べものをして、検索をして、観察をして、世界を知り、自分の精神の方を練磨し続けるしかない。

そうすると「思ってたこと」「理想」の方が変わっていくから、またそれを追いかけて、僕の場合は、引き続き文章を書いていく。

ここで武井壮さんの動画に回帰するけど、自分の表現力が上がっていくのと、それが価値のあることなのかはまた別の話なのですよね。

武井壮さんの動画で言うところの、陸上十種で日本一になることとそれが価値になるのかどうかは別の話だったように、自分が書き表したい世界を仮に書けたとして、それが人に求められるものなのかは別の話ってこと。

この問題を解決する方法はいくつかあるんじゃないかと思っている。というかこの点だって深く深く考えなければならないと思うけれど、その話はまた別の機会にしよう。

 

 

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