前と少し違うを繰り返す。閾値がやってくる。変化する

発想と行動を記録する

よく言われることですが、変化の閾値というものが、世の中の事象にはあるものです。

例えば水は100度に達したらぐつぐつと湧き出すし、0度に達すると凍り出す。

目に見える変化(いわば0が1になるような変化)がおとずれる閾値というのは、水に限らずあらゆるものに用意されている。

個人の中にもありますよね。

ずっとある語学を勉強してたけどある時期から急に分かるようになるとか、あるタイミングで自転車が乗れるようになるとか。コップの水があふれ出すように、それまでの様相がガラリと変わる瞬間がある。

大なり小なり誰でも、0が1になる変化というものを経験したことがあるはずです。

最近このことをすごく実感する一方で、早く大変化を求める気持ちもあります。

0が1になるような大変化の前の地味で変わり映えのしない営みに倦んでしまわないよう、自分に言い聞かせるように今日の記事を書こうと思います。

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変化がおとずれる前の時間は一定ではない

当たり前のことですが、傍から見て分かる変化がおとずれる速度には違いあります。

例えば、水を火にかけて沸騰するまでの時間は5分から10分くらいとある程度決まっていますが、語学が上達するタイミングとか、仕事が軌道に乗るタイミングとかって人によって違うし、どんな語学を、どんな仕事をするかによっても違いますよね。

例えば日本人なら韓国語の上達がかなり早いことが予想できますが、英語などは少々不得手です。一般的に。

飲食店の経営が軌道に乗る速度と、芸術家が軌道に乗る速度も違うだろう。

こんなことは当たり前ではありますが、ここで言いたいのは、事象によって差はあるけれど、いつかかならず閾値に達して変化の瞬間が訪れるのは一緒だと信じて良いのではないか、ということです。

ただし、自分にだけは分かる変化ってのは必要だろう、というのがこの記事のメイン。

大変化の前の変化をどれだけ意識し明記できるか

水が沸騰するのは100度くらいですが、100度に達するまでにも着実に温度は上昇しています。

この、大変化の前の変化に対して、どれくらい意識的になれるか、もしくはどの程度明記することができるかによって、僕らのスタンスって変わってくるんじゃないかと思います。

例えばダイエットのとき、目に見えて体重が減ったら面白いけど、ある段階で変化がおとずれなくなり、やる気が削がれて挫折ということがよくあると言いますよね。変化が分からないと継続自体が難しくなるって一般的な心理らしいのです。

でも本当に継続は力になる。なぜかと言うと閾値に達するまで粘ることができれば必ず何らかの変化がおとずれるから。

だから、傍から見てどうこうじゃなく、自分にだけは分かる変化、前と少し違うを意識し続けることって大事なんだと思います。

もちろんその対象の変化だけでなく、自分の気持ちの移り変わりの変化も含めて、「前と少し違う」を10回、それでも変化しなければ100回、1000回と重ねていく。それは意識しなければ何もないのと同じような些細なこと。

その些細を意識しモチベーションを維持するため、記録を取ったり、誰かに話したりするってけっこう役立つのではないでしょうか。

僕にとってブログはそういう場としてかなり重宝しています。

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