人間と機械のためのコンテンツと自由意志の話

発想と行動を記録する

こないだ以下の記事が急激に読まれました。

ラーメンズの傑作コント『採集』から「怖さ」を学ぶ
ラーメンズが好きなのですが、特にお気に入りのコントは『採集』かもしれません。 かもしれません、と言うのは、コントと言いつつなんか噛めば噛むほど怖い話ですし、笑いたいときに見るもんじゃないからです。強いて言えば完成度の高さにニヤリとしたいとき...

いつもはせいぜい30回程度読まれる記事ですが、一日に2000回くらいになりました。

急に特定の記事が読まれるようになるとなんとなく気持ち悪いのでできるだけ原因を探るのですが、この記事の場合、有名なyoutuberさん(キリンさん)が怖いコントを紹介しており、その中にラーメンズの「採集」が紹介されていたことが原因でした。

↓キリンさんの動画はこちらです。

ブログ記事が読まれるルートはいくつかあるけれど、あーこういうルートもあるんだなあと思った体験でした。

そんでこの記事では何をお話したいかというと、僕らは何を相手にコンテンツを作っているのか、パソコンの向こうにいるのは人間か、それとも機械か、ということを考えたので、そういう話です。

ちなみにラーメンズの採集はこちら↓一度は見るべき傑作だと思います!

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PC画面の向こう側には確かに人間がいる!

ラーメンズの採集の記事が読まれた経緯は分かった。

キリンさんの動画を見た方たちが、もっと深く知りたくなって考察記事を探したり、誰かの感想を覗きたくなったりして検索したんだろう。中には何が怖いのか分からなかった、という人もいるかもしれません。

いずれにせよ、採集の記事の向こう側には人間がいました。

パソコンの向こうには人間がいる、ということが分かった。

そんなの当たり前だろ、って誰もが思うでしょう。

というかこの件に関わらず、僕のこのブログの場合、ある特定の時期になると急に読まれる記事があったり、ツイッターやフェイスブックで拡散されて一時的に読まれる記事があったり、土日や連休でアクセス数が落ちたりして、画面の向こう側に人間がいることはありありと見てとれるのです。

でも一方で、僕にはちょっとした疑問がある。

毎日コンスタントに読まれる記事のことです。

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なぜアクセス数が平均化されているのか

コンスタントに同じくらい毎日見られる記事のことを考えると、少し変な感じになります。

この記事はだいたい100回は一日に読まれる。この記事は50回、この記事は10回前後読まれる。

そういうのって決まってます。大きくブレない。これが不思議です。

グーグルのアルゴリズムとかブログに詳しい人にとっては不思議でもなんでもないことなのかもしれないけれど、なぜ一定の数に収まるの?と僕は思う。素朴に疑問。

例えば一日に100回見られる記事なら、10日に一回だけ1000回見られても良いじゃないか。500回の日と10回の日があっても良いじゃないか。なぜ毎日毎日100回前後なの?

もちろん、ブレがまったくないことはないです。今日は90回だったけど昨日は200回だった、なんてことはないことはない。だけど印象として、アクセス数は平均化されている。

これを考えると、毎日のアクセスの向こう側にいるのは本当に人間なんだろうか?と思ってしまうのです。

これからは人間と機械のことを考えてコンテンツを作る時代?

怖い話をしたいわけではないけど最初に怖いコントの紹介動画を貼ってしまったせいで不気味な空気になってしまっているかもしれません。

もしそうなってしまっているならば気を取り直して読んでいただきたいのですが、僕が言いたいのは、人間に向けてコンテンツを作る一方で、機械に向けてコンテンツを作るってことも重要なんじゃないか?ってことです。

とても分かりにくいと思うけれど、やっぱりネット上のコンテンツ、現状グーグルがゆるっと支配しているコンテンツは、ある程度アルゴリズムに従って結果が決められているのではないか、ということです。

つまり、このテーマでこんな分量の記事をこれくらいの質で書けばこれだけのアクセスが集まる、ということは予め決められていて、結果どれだけの数字を呼び込むのかも決まっているから先回りして何となく平均化してくれているのではないか。

最初から全部決まってるってこと。

人間は自由意志を持っているのか

さらに考えるのは、ふつうに考えれば画面の向こう側にいるのは正真正銘の自由意志を持った人間だけど、その人間の一人ひとりは本当に自由意志を持っているのか?ということです。

誰もが自分の意志で「ラーメンズ 採集」とか「採集 怖い」とか「怖い コント」っていう風に検索窓にワードを打ち込んでブログ記事を読みに来たはずです。

しかしそれは本当に自分の意志なのだろうか。そういう風に決められていたのではないか。誘導されたのではないか。ん?そもそも僕が「採集」というキーワードで人間がたどり着く記事を書くことも決められていたのでは?まあそこまでは考えないようにしよう。

採集の記事であればきっかけ(キリンさんの動画)があって、検索して、読む、という流れがあって多少強い意志を感じるけど、日ごろコンスタントに読んでくれている30名くらいの方たちは誰かに「ラーメンズの採集というコントが怖いから一度は見るべき」みたいな情報を順番に与えられてるんじゃないか。

たまたま自分にそういう順番が回ってきただけなのに、「自分が気になった」とか「偶然友人とそういう話になった」とかって思ってるんじゃないか。

意味わかんないこと言ってるかもしれないけど、そんな風に考えたのでした。

自由意志に関して適当な動画がありましたので貼っておきます。僕がこの動画を見たのは僕の意志なんでしょうか?

 

 

 

 

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