「田舎だって選ばなければ仕事がある」と言うべきじゃない

いなかを観察する
雪と木

正月に地元の友人と会って、「仕事を辞めて帰ってこようかな」なんて話を漏らしたから、僕としては帰ってきてくれたらどんなに嬉しいか、ということを話し続けた。

「地元に帰ってきたらやってみたいことはいくつかあるけれど、いずれにしてもお金が必要だし生きていかなければならないから、とりあえず何か仕事があると良いのにな」という。

田舎には仕事がない。

これは半分事実だけど、半分嘘、なんですよね。

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「田舎でも選ばなきゃ仕事はある!」と言いそうになってしまった

田舎でも当然働いている人はたくさんいるし、忙しくて手が足りない会社や工場はあるようだから、仕事がないなんてことはない。

僕は友人に帰ってきて欲しい一心で「田舎でも選ばなきゃ仕事はある!」と言いそうになってしまった。

言ってはいないけれど。言いそうになった。

でも、こんな仕事あるかもとか、誰々に聞けば何かあるかも、とか言ってる過程で、結局、言葉は違えど同じことを言っていたのではないかと思うのです。

とりあえず職があれば良い、「労働中」のステータスを得られれば良い、という視点で僕は考えていなかったか?

友人の口ぶりから「やりたいこと」があるから、その繋ぎというか、スタイルを構築するまでの「働き口」があれば良いのだろうと感じた僕は、あのときわりと無神経だったんじゃないか?と思うことしきり。

「選ばなければ仕事はある」なんて、相手を選ばなければ結婚できる、と言ってるのと同じくらい時代錯誤な発想だ

どんな場合でも、「田舎でも選ばなきゃ仕事はある」なんて絶対に言うべきじゃない。

「選ばなければ仕事はある」なんて、相手を選ばなければ結婚できる、と言ってるのと同じくらい時代錯誤な発想だと思う。

選ばないなら結婚なんてする意味ないじゃないか、と言えるように、選ばないなら働く意味がないじゃないかと言えても良い時代じゃないか。

もちろん、それが現状きれいごとというか、理想論であることは間違いないと思います。

だけど、人も需要も無い田舎町で「働く意味」や「仕事のフィット感」をおろそかにしたら、今後どんどんどんどん、田舎で生きる意味がなくなってしまうのではないでしょうか。

犠牲や妥協を前提とした田舎ではなく、理想の先の田舎へ

お金の稼ぎ方、お金の使い方、人間関係、創造の余地、自己実現、遊びなどなどをトータルで考えた上で「どう生きたいか」を考える先に、田舎というフィールドがあると良い。

何かの犠牲の上に実現する理想ではなくて、すべての理想が上手に組み合わさって調和する方法が田舎にあると良い。

現実はなかなか思い描いた通りにいかないから、それは最初の理想より少しだけくすんだ姿をしているかもしれない。だけど精神的な犠牲の上に叶う理想よりは納得の度合いが深いと僕は思います。

田舎だからできる仕事、田舎の方が良い仕事、田舎にいなければできない仕事、自分こそがやりたい仕事。そんなイメージがなければ、今の時代を行き、人生100年時代を見つめる若い人が田舎を目指すわけがない。

友人だって帰って来れない。

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