自分の頭で考える人にできるアドバイスなんて何一つない

コミュニティ・メカニズム

最近ある若い方とお話しする機会があって、強く感じたのは「自分の頭で考える人にできるアドバイスなんて何一つない」ということでした。

年齢が上であれば単純に生きている時間が長いわけで、そうなれば当然先にやっていることの数も多くなる傾向があって、場合によってはそういう経験が参考になることはあるかもしれません。

でもこちらから積極的にアドバイスをしたり、何かを教えたりするのはひどく難しい。

自分で考えて行動できる人には意味がないな、と思うのです。

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考える人は自分で見つけた答えじゃなきゃ納得しない

なぜなら考える人は答えを自分で見つけるし、迷いながらでも進む道は本人のこころで決めるからです。そうじゃないと納得できない人こそが、自分の頭で考える人だと思います。

もしかしたらアドバイスめいた言い方や結果を教えるような仄めかしは害悪にすらなるのではないか。ときにはアドバイスを聞かないこと(結果的に言われた通りにしないこと)が面倒な人間関係の形に成り下がることもあるのではないか。

だから、何かの都合で自分の方が先を生きている場合でも「アドバイスする」「教える」という行為から強く離れる必要がある、と感じました。

つい何かを問われれば、見栄から、さも自分は知っている風に話してしまいます。

また、その優越感を斥けるのは難しいですが、謙虚にとまでは言いませんが、自分が人にアドバイスできることなんて何一つないぞ、と心に留めておくことを意識していこうと思います。

好奇心を満たすことならできるかもしれない

突然本の話をするけれど。

『華氏451度』では、焚書を担当する役人であるガイ・モンターグが、好奇心旺盛で鋭敏な感性を持った少女クラリス・マクレランに出会い自らの仕事や生活を顧み、歪みを疑いはじめます。

火を燃やすのは楽しかった。

から始まる『華氏451度』という物語は、焚書により「自省的な思考」を奪われた社会を背景にしています。

いちファイアーマン(伊藤典夫訳では「昇火士」)であるガイ・モンターグも、クラリス・マクレランに出会うまで仕事に疑いなんて持っていなかった。誰も彼もが与えられた情報と役割を受け取るだけの生活を送っていました。

そんななか、物事に疑問を抱いたり、自発的な興味を持ち世界を観察するクラリス・マクレランは奇異な存在でした。

 

最近、僕の中で「自分の頭で考える人」のイメージはこのクラリス・マクラレンであり、モンターグが彼女にしてあげられることはと言えば、その好奇心を満たすことくらい、だったのではないか、と思います。

自分の頭で考える人にある欲求は答えを与えられたいのでも情報を飲み込みたいのでもなく、「自ら観察し、考察し、導かれた憶測をもとに自分らしく行動する」ということ。

もちろん、自らがクラリスで居続けることも、この記事を読んでいるすべての方が可能だと思いますが、何より今日考えたのは「自分の頭で考えること」よりも「自分の頭で考える人に何ができるか」ってことでした。

「自分の頭で考える人にできるアドバイスなんて一つもない」けど、放置するというわけではなく「好奇心を満たしてあげる」ことはできるかもしれない、と思いました。

 

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