嫌われたら遠ざかるしかない

発想と行動を記録する

嫌われたら遠ざかるしかない。

今まで人並みに……は届かないかもしれないけれど、いろいろなコミュニティに属してきました。

不思議と馴染めなかったところや、頼りなさ気に見られるというか、面倒そうに扱われるというか、不遇な気持ちになるところがいくつかありました。

その場の全員に嫌われるということはなかったかもしれないけれど、あの人には蛇蝎の如く嫌われたとかそういうことはあって、もうどう考えてもそれは運が悪かったということで、解決策は遠ざかるしかなかった。

ふと「そういう場所(ずっと馴染めなかった場所や自分のことが嫌いな人がいる場所)がいくつかあったな」と今日思ったのでこの記事を書いてるんだけど、今考えてみても、「そういう場所からは遠ざかるしかなかったな」と思うのです。

ああすればもっと馴染めただろうかとか、あそこでこんな風に振る舞えば良かった、というようなことはなく、あそこはどう足掻いてもダメだったな、巡り合わせが悪かったな、としか思わないです。

一方で、特になんの努力もしてないのに気に入られるところもあるもんです。

そういう場所には、ただ巡り合えて良かったなとしか思わない。自分がこんな性格だから、あんな振る舞いをしたから気に入られたのだ、という実感もない。ただただ、良い巡り合わせだった、と思うだけ。

もちろん、最初はちょっと馴染みにくかったけれど後々馴染めたとか、最初は気が合うような気がした人たちだったけれどだんだん遠ざかっていったとか、いろいろなパターンがあったと思います。

どのケースも、そういうもんだった、と思います。

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コミュニティには力学があって、まったく自由に振る舞えない

だからなんだ、という話がしたいわけではないし、よく言われるように「属するコミュニティは多い方が良い」という意見があるでもない。「今いる場所に不遇を感じていても必要以上に自分を卑下する必要はない」とか、そういうアドバイス的なこともできる立場にもいない。

きっと僕が言いたいのは、そのコミュニティ内での自分の扱われ方とか出来上がってしまったキャラクターとかって、「まさにそのとき」にはどうしようもなく、かつ「どうしようもなかったな」と思えるのはそこから抜け出したあとなんだよな、ってことです。

ただただ、その実感だけが残ってるな、ということを書いているだけです。これは僕の実感で、違う意見もあると思う。

こんなことを書いている僕の中にでさえ、口ではどうしようもなかったと言いつつ、とは言え何かやり方はあったはずだとか、負のループから抜けだすルートがあったはずだ、という気持ちは正直あります。

だけどそれ以上に、「場の力学」というか、そういうものって本当にいかんともしがたいものがある、と思う。

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それは、地球が太陽の周りを回っていて、金星と火星の近所に浮かんでいるってくらいいかんともしがたい場の力学。

当然のように決まってしまう立ち位置、意思の力ではどうしようもない力関係、地球が気分によって逆回転するとかそういうことができないように、僕らは「コミュニティ」という場において、まったく自由に振る舞えない。

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意思の力でコミュニティの重力の働きを少しずつ変える方法があったかもしれない

本当にそうなんでしょうか?

こうして考えていることを書いていると、自分で本当にそうだろうか?と思うことがあります。

現に、僕はそういう居心地の悪い場所から抜け出して今ここにいるじゃないか。

その場で立ち位置を極端に変えたり、行動を反対にしたりすることは難しいかもしれないけれど、遠ざかることは比較的簡単にできた。これは場の力学、コミュニティの重力から抜け出す、という意思があったということで、意思が反映されたということでもある。

つまり、人と人でできたコミュニティには確かに場の力学とでも言うべきものがあるしそれはなかなか厄介だけど、意思の力でどうにもできないようなものでもない、ということすら、僕は学んでいるんじゃないか?

ただ、抜け出すとか逃げ出すとか遠ざかるという方法が一番楽、ということを学んでいるだけで、この理屈がまかり通るなら、やはり内部で力学を覆すこともできた、ということじゃないか、ということに今気付いた。

コミュニティ内でいつもと違うことをするとか、いつもしていることをしないとか、誰も予想できないことをするとか、できることはたくさんあったんじゃないか?

それでどう変わるのかはやっぱりコントロール不能だなとは思う。結果的にもっと嫌われたりするかもしれないけれど、

 

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