すぐにできるもの(こと)系のコンテンツを摂取しすぎて自分の頭で考えることができなくなる。

発想と行動を記録する

WEB的なコンテンツのことを考えると、「すぐにできるもの(こと)」というのは重要なポイントになります。

WEB上の文脈において、いわゆる有益な情報というのは「それを知ってすぐにできるもの」「それを聞いてすぐにできること」であることが多いようです。

少なくとも、それを知ったその日、欲を言えばその時その瞬間から、「すぐにできるような気がするもの」「すぐにできるような気がすること」である必要はあるのではないでしょうか。

すぐ。すぐ、というのが大事。すぐさま、即時。誰でもみんな、今すぐ自分を変えたいから、かもしれません。

how to系のコンテンツであればそのまま、「すぐにできそうなこと」が有益なコンテンツとみなされますし、娯楽系のコンテンツであれば「すぐ楽しい」「次々楽しい」「分かりやすい」が人気のコンテンツとなりやすいです。

分かりやすさ、手軽さ、有体に言えば「しんどくないまま、自分を変えるもの」が重要ということになります。それは宝くじを求める精神性と似ていると思います。

この記事は、大いにアンビバレントな感情を含みます。

コンテンツを作る頭としてはそういう価値観を素直に受け入れなければならないし、そういう発想が欲しいと思うこともある。

しかし自分自身の指向として、「(宝くじのお金のように)インスタントなものはモノにならない」と言う感覚もあり、同時に、分かりやすいとか簡単とか、そういうものに触れて刹那的に興奮している自分に対する嫌悪感もあるのです。

さてこの感じをどうしよう、コンテンツの楽しみ方や作り方をどうやって納得いくものにしていこう、というのが、この記事のテーマです。

Contents

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層と層の間にある壁を超える力が無くなっていく、流動食的なコンテンツの奔流

幾度かこのブログでは「流動食のようなコンテンツ」という風にWEB上の情報を例えたことがあるのですが、まさに食事とコンテンツは似ているなと感じます。

負担の少ない食事で、まだ消化器官が発達していない乳幼児や、病身、高齢者などが必要とする食事です。噛む必要がなく、消化にかけるエネルギーも少なくて済みますから、とても身体に優しい。

WEB上のコンテンツは、傾向として流動食的なことが多い。

もちろんすべてがと言ってるわけではありませんし、どんなものも「層」というものがありますから、少し目線を変えればすごく重厚で難解で複雑で膨大なコンテンツに触れることもでき、なおかつ多くの人に愛されているものと出会うこともできます。層と層の間には断絶があり、互いに行き来するのが難しいだけ。

しかし、流動食に触れれば触れるほど、そういう情報にアクセスする力がなくなり、気力もなくなります。壁を超える力が無くなります。簡単なものしか受け付けない、分かりやすいものじゃなきゃつまらない、すぐに食べられて、すぐに美味しいものじゃなきゃ興味がない、という状態に下っていく。

自分自身にこれを感じます。難解な文章、複雑な情報、膨大な知識。そういうものに触れるのが少しずつ億劫になってくる。歳も関係しているのかもしれない。それよりも深刻なのは、有益で、分かりやすく、早いコンテンツがこれでもかと押し寄せてくるから。そしてついそちらに流れてしまう。

流動食とは言わないまでも、日ごろの食事でついインスタント食品に頼ってしまうのと感覚が似ています。

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流動食のようなコンテンツ、インスタント食品のようなコンテンツ、ジャンクフードのようなコンテンツ

インスタント食品が大好きです。ジャンクフードが食べたくなります。インスタントラーメン、チェーン店のハンバーガー、チンすれば食べられる加工品。

すぐ美味しいし、手間暇かけて作った料理じゃなくて今は絶対「焼き弁」が食べたい、みたいなこともある。ハンバーガーは、幸いど田舎住みなので食べるとすればわざわざ行く、ということになり、あんまり食べる機会がないけど、たまにマックだけで食事を済ませたりしたいなって思うことがあります(最寄りのマックまで車で40分)。

でも栄養が乏しいこと、身体や精神に悪影響を及ぼすことも分かってます。みんな分かってるはずです。

「スーパーサイズミー」というドキュメンタリー映画がありましたね。マック生活。マックで買えるものだけで食事を続ける、スーパーサイズを勧めらたら必ずイエスと言う、そんなルールがあったはず。結果は予想以上に予想通りのものだった。面白いので見た方が良いですよ。ジャンクフードこわっ!てなるから。

たいていの人はインスタント食品やジャンクフードが体に良いと思って食べてるわけじゃない。身体に悪いけど手軽だから食べちゃうし無性に食べたくなってしまう、決して美味しいわけじゃないのに下手な料理よりおいしいと思ってる。糖質と資質が豊富で、ごく短時間で濃厚なカロリーが摂取できるから。

故の依存性、抗えない魅力、強い満足感がそれらにはある。

だから、ちょっとした食事を作るよりも安上がりになることがあるし、何より時間をかけなくても良い点で大きなメリットがある。

それは一種の正義でありますが、同時に恐ろしい毒でもある。

作る方も簡単手軽に美味しいものを求める

食事の話じゃなくてコンテンツの話がしたいのでした。

コンテンツもインスタント食品やジャンクフードと同じように愛される。すぐ美味しくて、強力な魅力があって、強い満足感が得られる。けれど自分の血肉になるか?と問えば、ちょっと疑問。

さきに流動食って言ったけど、流動食なら少なくとも栄養はあるし、体に悪いわけじゃないからマシかもしれない。

自分で噛む力も、消化する力もなくなって、それが情報だとすれば、つまり自分で判断したり理解したり解釈したりする力が無くなって、誰かの口先で動くゾンビになるけど、体を壊してしまうわけじゃない。それなりに幸せ。

周りがみんなゾンビだったらもういっそゾンビになった方が楽で幸せなくらいで、実際ゾンビ風の容貌になるわけでもなし、手軽に満たせる、簡単にできる、それでいて大きな満足を、コンテンツから受け取っても良いように思える。

もちろん良い。一種の正義で、自分自身、WEB上で何かを発信するのであればそういうものを作らなければなと強く思う。

例えばyoutubeの動画。今は月に二本とか三本しか作れない状態です。今の課題は更新頻度。少ない労力で、ある程度の質(つまりコンテンツの有益さ)を維持した動画を量産する方法はないかと考えます。

コンテンツを受け取る方もそうですが、作る方もインスタントやジャンクを求めます。簡単に作れて、すぐ美味しいものを求めます。深くなくたって良いです、浅く広く簡単に。それでいて抗えない魅力があるもの。

実際、多くのリサーチをしますが、難しい話はあまり見られないようです。難しいものは簡単に簡単に、かみ砕いて、飲み込むだけの状態にして。

気軽に触れて魅力的なコンテンツを作る高度なシステムとしての自分の精神と身体を作らなければならない

もちろん、更新の頻度を上げるために簡単に作れるものを探すというのは、大変な苦労を要するものです。本当に簡単に作ったものはただ低質なだけで、良いものにはならない。

マックのハンバーガーがジャンクだからと言って、適当に作ってるわけじゃないのと一緒。ものすごい工夫と努力がその背景にあると予想できる。早く美味しいものを提供するのは簡単にできるものじゃなくて、高度にシステム化する要がある。

流動食を作るのだとしたら、それだってものすごい労力がかかる。誰かが噛むべきものをすりつぶして、誰かが消化するべきものを消化しやすい状態にして提供するわけだから、それはそれは手間と時間がかかる。

つまり、自分で何かを作り、誰かに提供しようとする人は、自分の頭で考えて、試行錯誤をして、解釈して、消化して、コンテンツを作る高度なシステムとしての自分の精神と身体を作らなければならないと思います。

その結果、どんな性質のものができるかはその人の指向やそのときの流れによるのだと思うけれど、いずれにせよ、クリエイトをしたいのであれば、コンテンツを受け取る時点で、積極的に受け取るだけに徹している人と同じでいてはいけないのだなと、ちょっとストイック目に思うのでした。

創造社会で生まれる差は、どれだけ栄養のある情報と経験を摂取したか

さらに話を展開するとすれば、今後は多かれ少なかれ、誰もが「作る側の人」「提供する側の人」になります。

今現在においてさえ、総クリエイター時代とか、総表現者時代とか言われることがあると思いますが、今後はもっともっと実に様々な分野で、様々な媒体で、多くの人が活躍することになると思います。

自発的に、意識的にするかどうかの違いで、多くが表現し、多くがクリエイトする。作品のみならず、生き方、暮らし方、考え方、見方、と言った有形無形問わず様々なものが誰かに向けて作られるようになる。誰もが自分の個性を表現し、自分が培ってきたものを誰かのためにこねくり回す。

そのとき差となって現れるのが、どれだけ栄養のあるものを摂取し、自分の力で消化し、自分の身体に取り入れてきたか、ということになると思うのです。

さてここから言えるのは、自分で作ることを意識した順に接種する情報やコンテンツの質にもこだわりを持つ人が増えるだろう、ということです。

なんでもかんでも振り子のような動きがあると思いますから、手軽に楽しめるコンテンツが全盛を迎えれば、次には重厚なコンテンツが盛り上がりを見せたりするのでしょう。

大きな振り子運動、揺り戻し、試行錯誤を時代そのものが行って、少しずつ高度で複雑な情報が蓄積されていく。

そんな未来に一部になるために、さてどんなものを作るのが良いだろうかと考える。

考えるためには栄養のある情報が必要。そのループ。

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