神はごく普通の人間説

発想と行動を記録する

このブログで何度か書いたことがあることのような気がするけれど、僕は「神って普通の人間なんじゃないか」って思ってます。

なんでそう思うかってことを書きますね。

趣味でSF的なことを考えてるだけですから気軽な感じで読んでみてください。

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すべての情報を握った神

昨日書いた 僕らは「記録」させられてる という記事で、「僕らは何らかの意志により、この世界に起こることを細部に至るまで余すところなく記録させられている」みたいなことを書きました。

僕らは地球の記録係的な細胞で、最終的にはすべての記憶、すべての経験、すべての視野が記録され、一つの大きな虚構脳に情報が格納されていくイメージ。

完全共有された巨大な脳がこの宇宙に作られるわけで、その情報の所有者はグーグルでもアマゾンでもなくもっと巨大な概念、大いなる意志を持つ何者か。

その何者かってきっと、僕らが「神」と呼ぶものに近い知的生命体なんじゃないかと思うのです。

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神は思ってるよりずっと普通の人

さて、この記事のメイン主張は、その神って僕らが思うほど「偉大」でも「崇高」でもないんじゃないかってとこです。

便宜上「神」と呼ぶしか今のところ方法はないけれど、実はけっこう普通の人なんじゃないか。

というのも、僕らの文明が順調に進んでいけば、あらゆる情報は記録されやすくなるし、アクセスしやすくなる。

あらゆる記憶、知識、経験が共有されるだけでなく、それらにアクセスするハードルも労力もめちゃくちゃ小さくなる。

つまり、現状では膨大に思える地球上の全記憶でも、いつか誰かひとりが所有するデバイス一つに収まってしまう可能性がある。現状、誰でも簡単に膨大なWEB上の情報にデバイス一つでアクセスできるように。

もし、今必死に生きている僕らの人生がすべてささやかな情報であり、些細な経験なのだとしたら、そんな情報を握る誰かの目的はなんなんでしょうか?

その目的は、個人が支配できる宇宙に地球のような惑星を生み出し、実験を進めることなんじゃないか。

『フェッセンデンの宇宙』と『のび太の創生日記』

『フェッセンデンの宇宙』という短篇小説がありまして。

自分の実験室に極小の宇宙を作ったとか言い出した科学者に呼ばれて家に行ってみるとマジで小宇宙が作られてて、おまけに地球みたいな惑星も生み出されてる。

そこには知的生命体が存在してるんだけど、その科学者はかなりマッドな方法であれやこれや実験を繰り返すって話。

もし僕らが暮らしているこの地球、この宇宙が誰かの部屋の片隅に作られたミニチュアの空間だったとしたら。

そしてその空間のデータを我々自身が自発的に記録し残すように仕向けられているとしたら。

僕らはただの実験体であるか、もしくはゲームの中のキャラクターのようなものなのかもしれません。僕らに降りかかる試練の数々は、僕らの宇宙を所有している誰かの観察実験のために拵えられた設定なのかもしれない。もちろん、今回のコロナ騒ぎも。

フェッセンデンの宇宙に登場する創造主は科学者ですが、未来のどこかでは、誰もが「宇宙創生キット」を使って自由研究みたいなノリで宇宙とか惑星とか作れるようになっているのかもしれません。

ドラえもん劇場版『のび太の創生日記』みたいに。

『のび太の創生日記』の中ではのび太が神だった。あののび太が神。

そうして宇宙はいくつもいくつも重なりあって

あ、ついでに、もう一つ書きたいことが。

僕らが暮らしているこの地球とか文明とか宇宙とかが実は誰かの実験室の片隅にあるミニチュア的空間っていう発想はとりあえず面白い。

だけど僕がもっと面白く感じるのは、この、ミニチュアの実験用惑星である地球では、僕らが頑張って文明を発展させ、記録技術などを進化させて、未来においては「宇宙創生キット」のようなものを作れるようになるかもしれないってことです。

僕らはごく普通の人間の所有物にすぎないかもしれないけれど、僕らもまた、それぞれが極小の宇宙を趣味とか仕事とかで作って、実験を行う日が来るかもしれない。

誰でもこうして自分のブログを所有し、自分のyoutubeチャンネルを気軽に所有できるようになったように、それぞれ自分の国を所有する日が来て、宇宙を所有する日が来るのかも。つまり一般人のそれぞれが自分の宇宙の神になる。

そうして宇宙はいくつもいくつも重なりあって、こうしてできた入れ子構造こそが、無限に広がる僕らの宇宙の正体なんじゃないかって思うのです。

 

 

 

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