「新しい小説のために」を読む前に考えた、モノゴトの新しさと「小説の新しさ」について

新しい小説、この時代に相応しい小説ってなんだろうって考えるともなく考えるのに疲れていたところへ、「新しい小説のために」という本があることを知りさっそく買いました。

読み始めるとすぐに頭の中が暴走して勝手にああだこうだ考えだし文字が追えなくなったので(こういう化学反応って本を読む醍醐味でもありますよね)、「モノゴトの新しさ」について、そして「小説の新しさ」について、整理してからゆっくり読もうと思います。

僕が何を一番強く考えているのかというと、新しさというのは鳥瞰して見たときと、接近して見たときとでは全く様相が異なる、ということ。

そしてその異なる「新しさ」を理解することで、凡庸や既出に抗えるのではないかということ。

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遠くから見た新しさ=人類的な発見

あらゆる分野で「新しさ」というのはあります。

例えばファッション、音楽、将棋の手、仕事、動物、虫、元素、ウィルス、法則……数えだしたらキリがないですね。もちろんこの中に「小説」もある。

かならず、「正真正銘これまでに無かった新しいもの」はある。

しかしそれは、いわば学問的な、もしくは全人類的な視野で見たときの「新しさ」であって、かなり視野の大きい何か(神様みたいな存在)から見たときの新しさです。

「新しい何か」を考え出すとき、僕らは何となくこういうスケールの新しさを考えてると思う。

人間の歴史を塗り替えるような「発見」ですね。

新しさを認められなければならない分野

さらに、「新しいもの」というのは、認められなければならないという側面もあると思います。

新しい虫や星の発見であれば無感情に「新しいかどうか」が判定されると思いますが、人が作りだす音楽やファッションでは人の感情や知性と照らし合わされた上で認められなければならない。

そうでなければ、ただ意味不明と判断されるか、そんなの音楽じゃない、小説じゃないという風に断罪されて終わる。

人が作り出すものの分野で「新しい」と評価されるのは、新しいと言われた時点でわりと肯定的な意味を持っている。

つまり、ただ新しければ良いというわけではなく、認められる新鮮さを持ってなきゃならない。

この時代、このタイミングで、新鮮に感じて、なおかつ受け入れられるようなものでなければならない。

服や音楽や食べ物や小説と言った人間が作り出すものは、単純な新旧とは別に「一周回って新しい」みたいな概念もある。

接近して見る新しさ=個人的な新しさ

「全人類的に見た新しさ」とまったく違う様子のものに「個人的な新しさ」があると思います。

最初に言った、鳥瞰したときの新しさと、接近して見たときの新しさの違い。

全人類的な新しさに比べて、個人的な新しさは、それほど足並みがそろっていないです。

例えば僕が「これはこれまで聞いたことのない音楽だ!素晴らしい」と思ったとする。

でも音楽の歴史や技法に詳しい人、つまり網羅的な知識を持った、全人類の中でもトップクラスに位置する知識で音楽を語れる人(専門家)からすれば「それは70年代のロックシーンで流行した○○奏法っていうもので……」なんて、珍しくも何ともない、というかめちゃくちゃ古い何かかもしれない。

つまり、ある人にとっては既に知り尽くしているもので、歴史的には全然新しくないものであっても、ある人にとっては超新しいものだったりする。

このとき、僕が感じた音楽の新しさは嘘だろうか。

新しい、個人的な関係の発見=発明

小説に全人類的な新しさを求めるのは酷です。

いままで散々実験的な小説が書かれて、もうやってないことはないってくらい小説は書かれ尽くされている。どんなものを書いても何かに似てしまい、かならず前例がある。

でもそれは全人類的な、地球規模の新しさを求めるからであって、個人的な、接近して見たときの新しさは常に生み出せると思う。

正真正銘新しい小説というわけではなくても、誰かの中に新しい小説の感動を生み出すことができる。

例えば小説は「読み方」が変わっている。紙の本を開くしかなかった時代は終わった。文芸書を買わなくても、小説が置かれているプラットフォームはたくさん。「140字小説」や「チャット小説」みたいな分野も生まれた。内容は新しくなくても、見せ方が新しくなった。

それは読者との新しい関係を生み出したということで、それはそれで一つの進化。

新しい小説を生み出すのは難しいかもしれないけれど、これまで小説を読まなかった人が小説と出会う機会が増えて、変化している。それだけ、小説には新しい可能性がある。

その一人ひとりに新鮮な感動を届けようと考えるのが、この時代に僕らができる小説との向き合い方なのではないかと僕は思うのです。

その上で、これは過去のこういう作品にインスパイアされていて……という種明かし?みたいなこともできるのが、創作者と鑑賞者が近いこの時代ならではのコミュニケーションの可能性だと思う。

僕のこの作品を面白いと思ってくれたなら、この作家さんのこの本がすごいよって教えることができたりする。その人はまた新しい発見をするわけで、小説を好きになるかもしれないわけで。

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