怒りという感情は6秒しか持たない、みたいな話を聞いたことがあります。
だからついカッとなってしまう人は、とにかく6秒過ごすことだけを考えれば良いと言うのです。
アンガーコントロールみたいな話になると必ず言われるのがこの6秒ルールでしょう。
僕はついカッとなって怒ってしまう、自分が抑えられなくなるということはあまりないはずだから、この6秒ルールを聞いたときなどは世の中そんなに怒りを持て余す人がいるのかよと感じました。
でも考えてみたら疑わしいものです。
例えば家族の前ではかなり怒りの沸点が低くなるし、後先考えずに怒ってしまうことはあります。みんなそうじゃなかろうか。子どもに怒ってしまう、旦那や奥さんに怒ってしまう。親に怒ってしまう。
大声を出したり物に当たったりはしないまでも、ついイライラしてしまうし、強い言葉を使うこともある。イライラは特に自動スイッチみたいになってるなんて人はいませんか。
正直自分でも自分の「怒り」という感情がよく分からないんだけど、一旦そういうの全部見て見ぬフリして書きたいのは「怒らない選択肢」のことです。
怒らない選択肢
「怒らない選択肢」があります。
絶対に、怒らないための筋道がある。
例えばあるお店で店員さんに不愉快な態度で接客されたというとき。
「疲れてたのかもしれない」「プライベートで嫌なことがあったのかもしれない」と考えることはできる。
その「プライベートでの嫌なこと」が何だったら許せるだろう?とさらに考えれば、ちょっと接客態度が悪かったくらいで「怒る」必要がないな、と思えるかもしれない。
もちろん、これはあまりにも優等生的というか、「そりゃそうかもしれないけど、何にせよ接客態度が悪いってダメでしょ、プロとして」って思う人が多いと思います。
確かにそうなんですよね。
こちらが嫌な気分になった上に、相手のことを慮って、こちらが怒りをグッと飲み込むなんてことをどうしてしなきゃならないの?という気分にもなると思う。
怒られて当然のことを相手はして、こちらは怒っても良い状況にあるのだから、怒りを表すのが正当だと感じる。
これは怒っても良いでしょ、みたいなことがありますよね。
でも、だんだん大人になって「怒り」が無益だってことが分かってきた気がするのです。
怒りは完全に無駄
怒っても良いことがないことは間違いがないです。
怒ると自分の心が気持ち悪いし、相手も嫌な気分になる。見てる人がいたらその人もたぶん嫌な気分になる。冷静に判断できなくなるし、後先が考えられなくなる。
怒りが生み出すものってないんじゃないだろうか。壊すには良いエネルギーかもしれないから怒りも使いようかもしれないけど、たいてい身に余る武器ですよね。
だから義憤とかいう領域になると話が違ってくるだろうけど、いわゆる日常の怒りはほとんど無価値だ。昔の中学生が謎にバタフライナイフを持ち歩いてたみたいな感じだ。ほんと無駄。無駄に危ない。うんうん。
こうやって自分に言い聞かせなければならないのだから僕はまだ人間ができてるというわけではないのだけど、少なくとも基本方針として「怒りは無駄だから減らそう」と考えている最中です。
で、減らそうとするだけでも多大な努力が必要になると思う。もうゼロにしようと考えて丁度良いと思う。
怒りは無駄だからそもそも湧いてこないのが理想
さっきハンパに接客態度が悪い店員さんの例を出したから混乱してしまうかもだけど、ここで言いたい「怒らない選択肢」っていうのは、怒りを抑えるための選択肢ではなくて、理想は「怒り」って感情がそもそも湧いてこないまでになったら良いよねということなのです。
怒るという選択肢が浮上する時点でもう時間と精神エネルギーの無駄。
僕らは怒る日々と怒らない日々を選ぶことができる。
「怒らない選択肢」がある。日々、怒らない。怒り、ワスレル。
ここまで極端なことを言うとなんだか書いてて嫌な気分にもなるのです。
そもそも、人間関係でトラブルを招かないためのライフハック的なことって元も子もないというか、それもう人と関わる意味ないじゃんレベルになると僕はあんまり好きになれない。
自分と相手は違うんだと納得できたら怒らずに済むとか、こう考えれば相手を許せるとか。
楽に生きれるのかもしれないけど感情を殺してどうするんだみたいな気持ちがあって、怒らずに済めば楽かもしれないけど、怒りという感情を捨てるのはどうなの?と。それで楽しいの?
それでもこんな記事を書くのは、「怒り」って感情は割りと持て余すよなと思うからです。
「怒らない選択肢」を選んでやっと、多分僕を含め多くの人が「怒りにとらわれ過ぎずに済む」くらいの怒りライフが送れるんじゃないか。
無理っすよ怒らないの。無理ムリ。放棄したってできるもんじゃない。だからWi-Fiの設定をオフにするくらいの感じで「怒らない選択肢」を選んでいこうぜ、みたいな話がしたかったです。
アドラー心理学と怒り
少し前に『嫌われる勇気』を読みました。
アドラー心理学において「怒る」というのは、感情ではなく目的によって引き起こされているのだということを知りました。
つい怒ってしまう、感情が抑えられないというのは欺瞞で、「怒る」という行為を通して成し遂げたい「目的」があるから僕らは怒るようなのです。
もしかしたら、どちらかというと以下の記事を読んで得た知識かもしれないです。この記事マンガで分かりやすいし面白いです。
【アドラー心理学】マンガで分かる心療内科・精神科in池袋 第2回「涙も怒りも『目的』がある!
確かに、自分の胸に手を当てて考えてみれば、「怒る」行為の裏側にははっきりと目的意識がある。
黙らせたい、謝らせたい、溜めこみたくない、舐められたくない、言うことを聞かせたいなどなど。
店員の接客態度が悪かったという場合も、怒る理由を見つけて怒れるから怒るだけですよね。
ただ失礼な態度を取られて大事にされてない気がして、舐められた気がして、お客さんとしてのプライドが傷ついたから痛い目に遭わせないと気が済まないだけですもんね。
怒ったからって別に見直されるわけでもなし、崇められるでもなし、ましてや相手の人生を良くできるわけでもないのだから、この程度の怒りに正当性なんてない。
この程度の怒りは時間と心の無駄だからオフにしていこう、みたいな話がしたいのでした。
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