【おっさんへの道】誰かが導き出した答えを疑いなく自分の知見のように話すようになった

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「おっさん」になりたくないな、と思いつつある。

僕は年齢的には立派なおっさんなんだろうけど、心はフレッシュでいたいし、若々しくありたい。一方で立派な男性になりたい、男らしくなりたい、貫禄が欲しいみたいな感情もあって、そういう意味では年齢を重ねることに抵抗はないのだけど、ちょっと蔑称の響きがある「おっさん」にはなりたくない。

自分を顧みて、「あ、今『おっさん』だった」と思ったことがあります。

誰かが導き出した答えを疑いなく自分の知見のように話すようになったとき。

例えば僕の場合、「失敗しないと人生が豊かになれない」とか知った風なことを言ってしまったときなんかがそうです。

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どこかから得た知識を鵜呑みにしてるものと、自分の経験から実感した知識は違うのに区別がつかなくなる

生きていれば知識は増えます。本を読んだりネットで調べものをしたりすればその知識は自然に増えるって領域を超え、血肉となって蓄積されていく部類のものになる、かもしれない。

決して豊富とは言えないけれどそれなりの人生経験を積んで、自分以外のたくさんの人生を観察して、いろいろのニュースに触れて、そのうち、自分が経験したものなのか、人の経験を眺めて何となく答えを知ったものなのかが分からなくなることがある。

つまり、自分の身体と頭と心で導き出した答えなのか、誰かが身体と頭と心を使って得た答えなのかの区別がつかなくなって、後者をあたかも自分の力で得た知見かのように話すようになったとき、僕は強烈に自分が「今おっさんだった」と感じました。

それが「失敗しないと人生が豊かになれない」というようなことを言ってしまったときでした。

いや、これに限らずもっとたくさん言ったり書いたりしてるんだけどね。

失敗しなきゃならないは心当たりも説得力もあるけど

確かに、僕らは失敗しなきゃならないんだと思います。

何かを志したり目指したりすれば必ず失敗するし、失敗を積み重ねること、トライ&エラーを繰り返すことが成功への道に続いていることも間違いないと思う。

こういう話のときに必ずと言って良いほど引き合いに出されるのがエジソンが電球を作るのに1000回だか10000回だか失敗作を作った話ですよね。

そのときエジソンは、「私は失敗したのではなく電球を作ることができない1000通りの方法を見つけたのだ(うろ覚え)」と言ったとか言わないとかいう話。

けっこう至るところで聞くし、例えばスポーツの上達や人間関係をハンドルすることにかけても失敗を繰り返さなければならないというのは心当たりがあるし、失敗を忌避してチャレンジしない風土がこの国にはあると思うし、説得力があるんですよね。

でも、たぶん「失敗しなきゃダメだ」とか「失敗を恐れるな」って自分の言葉で言うには「本気でチャレンジして、大いに期待して失敗して、傷ついて落ち込んで、それでも諦めずに次の手を打って、成長するなり成功するなりして」はじめて言霊が宿ることだと思う。

それを、自分の些細な失敗や勘違いを肯定するために都合よく使ったり、自分から失敗しに行ったりするのってなんか違う。

結局自分自身では何もできないんだよなと感じる怖さ

僕ら携帯電話の作り方も仕組みもろくに分からないのに「携帯がつながる」のは普通だと思ってるし、地球が太陽の周りを回ってることを証明できないのに「地球が太陽の周りを回ってる」のが当たり前だと思ってる。

自分の頭とか心を使って得た答えじゃないのに、そんなの当たり前だろって態度で物事を見て、当然よく知っているかのように振る舞う。

いやそれはそれで良いと思うのです。なんでもかんでも知らなきゃいけないわけじゃないし、難しい理屈も来歴も知らないけれど人口に膾炙するものこそが、その時代の文明たる条件なんだと思う。

それに、先人の知識や思考をトレースして自分の人生に活かすってのはとても大事なことでもある。何でもかんでも神経質に、自分の経験か、誰かの受け売りか、なんて考える必要もないでしょう。

だけどこれもバランスの問題で、というか自覚とか自意識の問題で、なんでも「知った風」なことを言って、「知識だけ」で世の中を渡り歩いていてそれに気づかないと、どこかで虚しくなると思うんですよね。

結局自分自身では何もできないんだよな、誰かの見つけた正解に乗っかってるだけなんだよなって。僕は自分にそういう恐怖を感じたのでした。

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