人と話してると自分がずっと嘘をついてるような感覚になる

コミュニティ・メカニズム

僕は自分で自分をコミュニケーションが苦手だと思っています。

だけど「コミュニケーションが苦手」「コミュ障」というのもなんだか概念として一般化しすぎていて、苦手と言って本当のところが伝わる気がしません。

僕のコミュニケーションの苦手をもう少しきちんと言葉にするのであれば、タイトルのとおり「自分がずっと嘘をついているような気持ちになって」辛いというのが一番大きいと思います。

もちろん他にもいろいろな要素があってコミュニケーションを避けるのだけど、根本にあるのはこれ。自分が嘘をついているような気になる感覚。謎の罪悪感。

いっそ嘘をつくことを開き直ればこなせることが多いので、傍から見るとコミュニケーションが得意に見えることもあるようです。が、完全なる誤解であります。

労働の後の飯はうまいのと同じように、社交のあとのアニメや小説は格別、という利点はあります。

このような種類のコミュ障を自覚する人はけっこう多いのではないでしょうか。

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大きな概念ばかり先走りして細部が伝わらない問題

「コミュニケーションが苦手」という事柄に共感はできるけれど伝わらない気がするという現象は、女性の「生理が重い」にも通じるところがあると思います。

僕は女性じゃないけれど身近に生理痛が重い人が多かったのでなんとなく以下のようなことを考えたことがあります。

生理痛の痛さや重さはあくまで個人での感じ方が絶対であって、本人が重いと思っていれば重いし、軽いと思っていれば軽い。完全に、とまではいかないけれど、主観に依存している。

痛みって全部そうじゃないの?と思うかもしれないけれど、生理痛ほど(女性にとって)普遍的なのに個人差が大きい痛みって他にないんじゃないだろうかと思います。

「生理の時期って辛いよね」という事柄は言葉上では多くの人が十分共感できるけれど、一方は本当に拷問を受けているような苦しみを感じながら生理の時期は「辛い」と言っていて、もう一方はちょっとした頭痛が長引く程度の「辛さ」を指しているのかもしれない。

この感じ方を互いに理解し合えることは残念ながらなくて(男性には特に分からない)、もう「鉛がお腹に」みたいに例えるしかないのだけど、その例えすら段階や濃度は度外視して分かられてしまうということがある。

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真面目にやろうとすればするほどうまくいかないのがコミュニケーションか

このような分かりあえなさと、表面的に分かってしまうことの応酬が日常で言われるコミュニケーションにはたくさんある。

嘘をついてるような気分になるというのをもう少し別の言葉に言い換えると、表面的にしか分かっていないように分かっている風にしてしまうこととか、伝わっていない気がするのに伝えたことにして先に進むこととか、そういうコミュニケーションの怠慢に対する罪悪感。

これは怠慢とは言わず、言うなればこういう細部をいかに気にしないで済むかがコミュニケーションの得意不得意に関する自己評価に繋がってると思う。

コミュニケーションの粗や不完全を逐一数え上げる方がこの場合不誠実で、円滑さのためには荒目の高速処理が必要で、円滑さほど日常のコミュニケーションに求められるものはない。

皮肉な話ではあるけれど、真面目にやろうとすればするほどうまくいかないのがコミュニケーションってものなのかもしれず、ファジーな処理が得意な人間だからこそ高度なやり取りが可能になるっていう理屈なのかも。

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