50年後、小説はどうなっていると思う?

自分で考える創作論

50年後の小説のことを考えると、いくつかの筋道が見えます。

一つは、映画ドラえもん『のび太と夢幻三剣士』に登場したひみつ道具「気ままに夢見る機」が答えの一つだと思います。

身体に電池ボタンのような受信アンテナを取り付ける、機械に好きな物語が展開されるビデオカセットのようなものを差し込んで寝れば、機械が発する電波により、その物語の中に没入できるという仕組み(主人公は自分、ヒロインはあの子、などの配役も自分で決められる)。

小説というものがただ眺めるだけのものではなく、「経験をするもの」なのだとしたら、「気ままに夢見る機」は一つの正解に違いなく、今の状況で既に開発されているVR技術を鑑みても、僕らは物語を実際に体験する未来が来る。

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小説、映画、ゲームの境目が曖昧に

実際に物語を体験する未来自体は必ずやってくると思います。

しかしもしそうなれば、今のようなスタイルの小説、映画、ゲームはいずれもそこに収れんされて、区別がつかなくなるのではないでしょうか。

「気ままに夢見る機」で見られる物語も多岐に渡っており、あらゆるジャンルが網羅されています。

アニメ化もしているライトノベル作品『ソードアートオンライン』のように、剣と魔法の世界にプレイヤーとして参加することもできるなら、テレビ画面の前でゲームをする意味はほとんどなくなる。

ゾンビ映画みたいなサバイバル系も見るだけより参加した方が絶対にスリリングですよね。

「物語を作る人」自体は50年後も必要かもしれませんが、現代の作家、映画監督、ゲームクリエイターとは趣を異にするかもしれません。

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現実世界がおろそかに

新しいテクノロジーが生まれれば必ず不安視したり危険視したりする人が出てきます。

物語世界が過激すぎて現実に影響を及ぼすのではないか。

例えば、長くバイオレンスな物語に没入しすぎて、現実でも簡単に人を傷つけるようになるのではないか、のような。

実際に影響を受けて起こる事件もあると思います。一方で、歴史や文化を学ぶこと、苦難を乗り越えること、現実では為しえない人間関係を作ることなどができる正の側面も容易に想像できるため、結局は使う人次第、使い方次第ということで、そういった啓発がおおくなされることになる。

物語内で何らかの工夫がされるかもしれません。その工夫がどんなものかについては長くなりそうなので割愛。

また、プロのプレイヤーが出てくることも必然です。

今のままの小説は残るぞ

小説の道筋の一つとして、「今のままの形で残る」という未来もあるはずです。

紙の書籍を持っていることがマニアックな趣味になるのか、それとも別に珍しくもないのかは分かりませんが、50年くらいでなくなるような気がしません。

というか仮想世界内にもたぶん本棚はあるし、僕はたぶんそこで本を読むぞ。

また、物語を経験することと、字を読むこと、つまり読書をすることは根本的に違うことである、という感覚を持っている方も多いと思います。

字だけで作られた世界というのは本当に独特のものです。僕らはテクノロジー発展の恩恵を受けて、信じられないような臨場感を持って様々なものに触れ、見ることができるようになると思いますが、活字を追い、一列に均された情報から世界を構築するのとでは、やはり質が異なる。

僕たちは活字から意味や映像を読み取るだけでなく、活字を追うという行為を通してまだ触れたことのない感覚に触れ、創造する。

その営みがもたらす快楽を全人類が忘れるとは思えないし、ましてや不要になることはないと思う。

 

 

 

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