小説にあるのは骨組みか、それとも枠組みか

自分で考える創作論

小説にあるのは「枠組み」かもしれない。

小説を書くときに意識すべきは「骨組み」である、と思っていた。

だけど、「枠組み」の方が僕には合ってる可能性がある。

いや、骨組みと枠組みはそもそも違うものでしょ?「プロット」と「テーマ」を比べて喋ってるようなもんだよ、と思う方もいるかもしれません。

そうかもしれませんが、僕はいざ自分でオリジナルの物語を作ろうと思ったとき、とっかかりとして「骨組み」より「枠組み」を作った方が物語の進行が容易いと思ったのでとても大事な発見だと思います。

後で見返して何となく分かるよう、このこのについてメモしておきます。

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骨組みを意識すると書けない現象が多かった

小説の物語には骨組みがあってその周りに肉がついていくみたいなイメージが当然あるべきだ、と思い込んでいました。

しかし、一方で、骨組みを意識しながら書いていてなかなかピンと来ないことが多かった。有体に言って書きにくかったです。

僕はいわゆるプロットを立てる、という行為があんまり上手じゃなくて、仮にプロットを用意したとしてもその通りになんかいかないし、プロットを立てると順番通りにやらなきゃって気持ちが強くなる&予定通りに行かなきゃっていう意識が強くなって前に進めないことが多くなります。

これは「旅行」に似ていると思っていて、あらかじめ予定を綿密に立てれば立てるほどそれらをこなすことが目的になってしまう、そんな焦燥感に駆られる、という感じ(実際僕は一人での外出時にほとんど計画を立てない)。

でも小説や物語に「枠組み」を用意しよう、と考えたらどうだろう。

僕にはそっちの方がしっくり来るのです。今すぐにでも書きはじめられそうな気がするのです。

枠組みが魅力的なら内容はついてくる?

「枠組み」も旅行に例えてしまうと、例えば函館あたりに行く場合、「函館旅行」というのがそもそも大きな枠組みです。

「函館旅行」に行くのだから、函館でやることや考えること、感じること、見ることはすべて「内容」になる。

だから何をしても良いし、何もしなくても良い。これをしなければ函館に行ったことにならない、なんてことはない。行ってるんだから。誰が何と言おうと。この開き直れる強力さを持つ枠組みを作れば良し。気楽。

むしろ予定したことは底が知れるたかが知れるというもの。

「枠組み」がはっきりとしていたり大きかったりすればするほど、内容も豊かになる。

小説もこんな側面があると思う。

「枠組み」がそもそも面白かったり、特殊だったりしたら、内容は後からついてくるだろうと。

むろん、こんな枠組みを考えるのは容易ではありませんが、それでも骨組みを作るより僕には負担が小さい気がします。

そんな発見がありました。

 

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