という記事を書いたのだけど、コントに限らず、いわゆる「お笑い」の世界は文学的だなと思うことがあります。
いや、文学がときにお笑い的であると言ってもよくて、どちらを軸にするかは人それぞれ、どちらがより親しみを持てるかということだと思います。
とにかく、ツッコミがする人と小説を書く人は頭の使い方が似てるなと思うのでそのあたりを記事にしたいと思います。
ツッコミと比喩表現
お笑い芸人さんたちがネタ中や会話中に行うツッコミでは、比喩表現が多様されます。
「お前は○○か!」「○○じゃないんだから」
みたいなツッコミは、そのまんま比喩表現であって、文章表現上であれば「それはまるで○○を○○したときのような姿をしていた」とでも書くところを、より端的に、口語的に表現した形ということになります。
例えツッコミで有名なのはフットボールアワーの後藤さんとかでしょうか。
くりぃむしちゅーの上田さんなんかも、司会業が多いと思いますが、どの番組を見ても巧みな比喩表現で共感を呼ぶツッコミを行っており、ツッコミで笑いを取るプロですよね。
ツッコミと共感能力
小説を書くときも、ツッコミをするときも共感能力が必要です。
比喩は共感を達成できなければ機能しません。
ツッコミが上手な人は共感を呼ぶ比喩が巧みな人であり、笑いという方面に特化した描写が得意な人であります。
何かを見て○○みたいだ、と思うこと。
その○○みたいだ、と思うことが、だいたい多くの人も同じように感じているはずだということを高精度で見極められる人のツッコミが優れていると言えるのでしょうね。
反対に、比喩表現が上手な人はユーモアのセンスも高いということになるのかもしれません。
ツッコミと発見、ツッコミと伝達
ツッコミには共感能力が必須であることは間違いありませんが、同時に、誰も思ったことがないことを発見することと、それを伝達する能力が必要になります。
考えたことはなかったけど言われてみれば似てるとか、似てるとは思わないけど言ってることがすごく分かるとか。
その能力はどちらかというと文学の方に必要だと思う。
人は文学になにを求めるか。
僕の個人的な意見だけど、きっと文学に求めるのは新しい言葉と、新しい概念だと思う。
どの単語にも当てはまらない悲しさや、既成概念では足りない嬉しさを多くの人が持っていて、きっと僕らはそういうやり場のない何かを当てはめる箱を探すために本を読みます。
何十万字も費やさなければならない何かが、それほど大きくもない、それほど重くもないこの見慣れた本の中に納まっている嬉しさったら。
言葉の偉大さを思い知るには一冊あれば充分で、しかし充分とは言っていない。
数が多ければ多いほど嬉しいから、僕らは新しい本を繰る手を止められない。生きれば生きるほど、今ある言葉に当てはまらないものが溜まっていく。
小説を書く頭とツッコむ頭の使い方は似ている
語ってしまった。
小説を書くときと、ツッコミをするときの頭の使い方はすごく似ているのだと思います。
どちらも人の感情を動かす、掬い上げるということを目的とした上で言葉を扱っている以上、それは当然のことのように思います。
違いがあるとすれば、口語と文語の違いで、口語では暖色、文語では寒色の趣があると思います。
つまり、口に出す比喩は得てして陽気になりがちで、文にする比喩は得てして陰気になりがち。
その陽気な色合いに合わせて声音や例える対象を選ぶのがツッコミで、その陰気な色合いに合わせて字面や例える対象を選ぶのが文学なのでしょう。
もちろんその境界は厳密ではなく、あくまで親和性と傾向の問題で、陽気な比喩を好む作家や作品もあれば、陰気な比喩を好む芸人さんもいることだと思います。
ただ、文字で人を笑わせるのは大変難しいというのは身を持って実感するところであります。
だから笑えるコピペとか本当にすごいと思う。文学の一つの極地。
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